第29話・乙女二人

 ある休日、オーリンは市場への道中で思った。

 自分の家も一応貴族なのだから、御用聞きができる食材屋と契約して、わざわざ市場まで行く労力をどうにかしたほうがいいのではないか。

 しかしその考えには短所もある。市場に直接行って、買い物のついでに情報を拾ってくるという貴重な機会を逸することにもなりかねない。現に先日は、エレノア襲撃事件の手がかりをつかむことができた。

 だが、情報収集ならメリッサとその配下たちに任せてもいいような気がする。

 どうすべきか。

 考えていると、彼は見知った二人を見つけた。

 コーネリアとエレノアである。


 コーネリアはエレノアに尋ねる。

「どうしてエレノア殿が自分で買い出しを……エレノア殿の家格なら、使用人に行かせるか御用聞きの業者を呼べばいいんじゃないか」

 猫かぶりの口調ではなく、本来の話し方である。

「オーリンは、噂では自分で市場に来ているらしいけど、エレノア殿ならその必要はないんじゃ……?」

 聞くと、エレノアは顔を少し赤くして答える。

「そのオーリンが……」

 しばしの沈黙ののち、コーネリアは何かを分かったような顔をした。

「ああ、オーリンが、だからか、そうかそうか」

 何が分かったのか、その会話を聞いているオーリンには分からなかった。

 なぜかコーネリアのほほも少しばかり赤い。

 しかし、全然気づかれないものだな、と観察中のオーリンは思う。

「いや別に、邪な気持ちじゃあないぞ、やつの軟弱ぶりには一度ガツンと言わないと」

「そ、そうだよな、分かる分かる」

 俺、エレノアの危機を剣術と頼れる方々との連携で救ったんだが。これでも軟弱か?

 とオーリンは思ったが、しかし考え直した。世間的にオーリンは臆病者で通っており、自分もその風評を通すために、絶えず公衆へ働きかけているのだった。

 全ては己の信念のために。仮面をもってその活動を容易にするために。

 彼が信条に燃えていると、女二人の話は続く。

「でも……その……私を救ってくれたお礼はしなければならないな。そうだ、それをどうしたらいいか困っていたんだった」

「私は救援に呼ばれなかったから関係ねえな」

「むむ」

「でも……エレノア殿が困っているのは見過ごせない」

 コーネリアはニカッと笑った。

「私が助言してやろうじゃないか。いっちょやってやるぜ」

「おお、ありがたい」

 エレノアもつられて笑う。

「あと、私は呼び捨てで、エレノア、でいいぞ。コーネリアがよければだが」

「おう、分かった、エレノア」

 この二人、意外と相性が合うみたいだな。本当に意外だ。

 オーリンは顔を隠しながら思った。


 すっかり意気投合したように見える二人の女子は、今度は商店街に足を向けた。

 オーリンも悟られないようについていった。本来ならこれ以上追尾すべきではないのかもしれないが、なんというか気になり、流れでつい追ってきてしまった。

 そんな男心など知る由もなく、彼女たちは話し合っているようだ。

「『臆病者』オーリンには、ぜひ名工の剣を贈り、勇気を奮い立たせてほしいものだな」

「エレノア、それ本気で言っているのか?」

 コーネリアはなにやらあきれた様子を見せる。

「先の水攻めの戦でも、あいつは現場で戦った。お前が刺客に襲われたときも、ネビル殿やウィンスター殿だけに任せず、自分でも剣を抜いた」

 彼女が真面目くさって言うと、エレノアも少しうろたえている。

「うう……」

「本当は分かってるんじゃないか。あいつは臆病者なんかじゃないって」

 しばらく重い沈黙。

 エレノアは口を開いた。

「……そうだな。私は、オーリンに『臆病な劣った貴族』であってほしいと思っていたのかもしれない。そのほうが、私が上から『教えてやる』という体で近づきやすいから」

「そうだ」

「でも……あの男が臆病でもなんでもないことを認めてしまうと、近づく隙もないことを自覚しなければならない。私の全てが、まるっきり、あのお方に劣っているとすれば、もう何も打つ手がないのではないかと、思わずにはいられない」

 軍の采配も知恵も、明らかにオーリンが何周も上手である。それはエレノアの思い込みではないし、彼の自信が過ぎるのでもない。そこへもって武勇までも上回るとなれば、彼女の勝てる分野が見当たらないことになる。

 しかしコーネリアは朗らかに返す。

「別にいいじゃねえか」

「えっ」

「私なんて、エレノアの比じゃないほどオーリンより劣ってるぞ。特技と呼べるものがそんなにない。昔、弁舌、というより意思の疎通が上手いとは言われたことがあるけど、それだけだ。ああ、あと普請術、特に合戦とか急場での施工も褒められたことがあるけど、オーリンはきっとその上を行くだろうな」

 普請とは、ざっくり言えば建築の事である。

「でも、あいつは私を排除しない。私はあいつより全部下回っているのに、遠ざけられたことはない。オーリンはそういう差別をする人間じゃねえんだよ、エレノア」

 彼女は強い口調でもなく、教え諭す口調ですらなく、どこかわずかに幸せそうにつぶやいた。

「……さて、お礼の贈り物を探すんじゃないのか。話を戻して、ぶらつきながら一緒に考えようぜ」

「……そうだな。後ろ向きの思考をするより、ぜひコーネリア先生に前向きな策をご教授願いたいところだ」

 二人はまたキャッキャと探し始めた。


 そこでオーリンはきびすを返し、買い物のため市場に戻った。

 さすがにこれ以上まで後を追うのは無粋に過ぎる。彼女たちがどういった贈り物を用意するか、どういった時機にそれをくれるのか、そこまで把握してしまうのは楽しくないし、礼儀としても、誰からでもなく己の良心に、批難されうるものだろう。

 せいぜい待っていることにしよう。彼は独りうなずいた。

 しかし、コーネリアとエレノアの組み合わせで馬が合うのは想定外だった。……いや、そうでもなかったかもしれない。

 そもそも、この二人、対立していた記憶がオーリンにはない。

 剣術の試合は完全にオーリンとエレノアの一対一で、コーネリアの割り込む余地はなかった。集団の模擬戦では確かに、コーネリアはオーリン側の士官として参加したが、個人的な因縁の生じる余地はなかった。

 それどころか、あの「剣豪にならなかった伯爵」ギムレットとの死闘の際にも、二人そろって救援に来たほか、先日の灯火国との戦いに際しても、協力して水攻めを完遂している。

 仲が悪くなる要因は、よく考えれば一つもない。

「むむ」

 オーリンは思わずうなった。

 彼女らをそろって、第一王女との私室会議に呼ぶ案は、そういった意味でもやはり当たりであったのかもしれない。

 強いて問題があるとすれば、それはエレノアの劣等感だろう。

 オーリンは、世間的にあまり優秀ではない人を見ても、その人物を嫌いになったりはしない。その人物が自分に何か仕掛けてくれば、倍にして反撃をするところだが、少なくとも今回はそういう話ではない。

 それはなぜか。オーリン自身が世間的に無能扱いであることもあるが、そもそも、彼は自分が常に仕事で良い結果を出すなどと思ってはいない。今後、自分が失敗して無能の部類とみられない保証はどこにもないのだ。

 煽り合いになれば、相手の至らぬ点をあげつらうことはある。しかしそれは戦術の話であり、本心から、冴えない人を「冴えない」というだけで糾弾することはない。自分がそちら側へ押し入れられる危険が、どこにでもありうるからだ。

 話を戻す。そのような考えを持っているオーリンが、エレノアに劣等感を与えているとすれば、深く反省しなければならない。

 彼は、試合にせよ模擬戦にせよ、少しばかりやりすぎた。

 そういった話も、機を見てエレノアにしなければならないだろう。

 オーリンは、考えがまとまったところで、市場の雑踏に入っていった。

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