第19話・またもや強敵

 オーリンは、何者かが自分を追跡していることを感じ取っていた。

 今日だけではない。ここ十日以上ずっとだ。

 今日の彼女の服装は踊り子。

 自分に秋波を送っているのだろうか?

 ……などと甘いことに期待するほど、彼はボンクラではない。まして彼は多数の人間の恨みを買っている身。

 あの踊り子は、自分を暗殺しようとしている。

 最近、追跡に気が付いたオーリンは、あらかじめメリッサに指示を出している。自分の帰りが遅かったら、すぐに探しに来てほしい、と。

 それだけではない。彼女には念には念を入れて、もう一つ、予備の命令を出している。

 オーリンは、自分は結構な剣の腕を持っていると自認している。しかしそれでも、相手がそれを上回っていたときのためを考えないほど愚かではない。

 なお、その命令はコーネリアやエレノアを呼ぶといったものではない。

 彼女たち二人は、確かに救援を快く承諾するだろう。しかし、彼女たちの都合で来れないというケースは無数に考えられる。万難を排しはするのだろうが、それとて限界はある、と少なくともオーリンは考える。

 ということで、オーリンはすぐそこに迫る死の踊り子に備える。

 いつでも抜刀は可能。

 全力をかけて行うであろう、一撃目を全身全霊で止める。

 ――来い、曲者め!

 彼は正面を見ながら、背後に意識を向ける。


 人通りの少ない小路に入った瞬間。

「イヤアァアァ!」

 闇夜を切り裂く白刃と絶叫。

 その突然顕現した、大上段の殺意に対し。

「甘い!」

 止めるでも避けるでもなく、冷静に受け流すオーリン。

 止めようとすれば、洋刀ごと頭を割られると、とっさに悟ったからだ。

 仮にも幾度も剣で活路を開いた貴族、この程度の判断はできる。もっとも、本人は剣術よりは策謀を磨いてきたという自己認識があるが。

「くっ!」

 最初の一撃で倒すつもりだったのだろう、踊り子は体勢を崩す。

 しかし反撃を加える寸前に、彼女は素早く立て直し、軽やかに距離を取る。

 この踊り子、相当遣えるな……。

 オーリンはまたも苦戦の気配を感じた。先日ギムレットと剣を交え、もう二度と凄腕とは戦いたくないと思っていた矢先にこれである。

「はあ、はあ」

 嘆息するつもりが、息切れを見せる始末。

「『臆病者』オーリン、貴様の陰湿な奸計はこの世界に不要のものよ!」

「ならば今、貴殿が行っているこの夜討ちは、奸計ではないというのか!」

 とっさに煽り返す臆病者。

 しかし踊り子も言い返さないはずがない。

「枠を外れた相手に道理など無用、筋道と正義は、あらゆる手段を用いて自己保全、確証をしなければならない!」

「枠? わけのわからないことを、今宵の月の光にでも狂ったか!」

 オーリンはジャスリーの信念など知る由もない。説明不足のジャスリーの発言が通じるはずがないのだ。

 誰かの敵討ちかとも彼は思ったが、ひとまず対処に全力を注ぐことにした。

「まあいい。狼藉者はとりあえず討ち果たすまでだ!」

「外道の卑怯者オーリン、ここで貴様の命運を断つ!」

 彼女の長剣が、彼を襲う。


 じわじわとオーリンは不利に追い込まれてゆく。

 彼の感じることには、彼女の剣には、嫌悪とも怒りともつかないものがこもっている。そしてそれは、敵討ちの熱意といったものとは少し違うような気がする。

 私憤か公憤か、悪を憎むのかオーリン個人を嫌うのか、どうも見当がつかない。

 それでいて剣の扱い方は冷静そのもの。剣に激情を載せつつ、しかしてその激情に頭は呑み込まれていない。

 その並外れて強烈な一撃は、されど無思慮に放たれるものではない。

 不思議な剣法。

「どうしたオーリン、防戦一方のようね!」

 事実だった。だが、それで充分なのだ。

「その通り。ところでずいぶん時間が経ったようだな」

 オーリンがしびれる両腕に、さらに力を込める。

「安心なさい、まもなく冥府へ送る!」

 その瞬間、オーリンはぎらついた笑みを浮かべた。

「残念ながら、私ではなく貴殿の負けだ」

 言うと、かすかな風を切る音とともに、幾筋かの矢が飛んできた。

 ジャスリーは瞬間的に感知し、さっと距離を取って避ける。

「狼藉者はそこか!」

「覚悟しろ曲者!」

 メリッサと間者たちが、警察軍を呼んできた。

 しかもその構成員は精鋭ぞろい。中でも中隊長ネビルと小隊長ウィンスターは、荒事にかけては国内屈指の腕前と言われているほどだ。

「ちっ、時間をかけ過ぎたようね」

「やっと分かったか、間の抜けた曲者が!」

 もっとも、事前にある程度の態勢を整えていたので、いうほど時間がかかり過ぎたわけではない。が、それをわざわざ言う必要もない。

「おとなしく縄につけ!」

「断る、正義が負けることは許されない!」

 叫ぶと、煙玉を地面に叩きつけた。

「うわっ!」

 煙幕を張られ、気づいたときには姿が消えていた。


 オーリン襲撃の報は、貴族と一部の平民の間を駆け巡った。

 自宅待機を命じられたオーリンのもとに、夕方、来客があった。

「怪我とかねえか、オーリン!」

「心配したぞ、お前は『臆病者』だからな」

 コーネリアとエレノアである。

「いや、心配には及ばない。このとおり無傷だ」

 オーリンは微笑を浮かべる。

「よかった……」

「私たちを呼べばすぐ来たのだが」

「あなたがたにはあなたがたの都合もあるだろう」

 すぐに来れない事情もあるかもしれなかった、という意味で言ったのだが、しかし彼女たちは首を振る。

「そんな、水臭いぞ、お前の窮地を黙って見過ごしたりなんかしねえ」

「私もだ。実際、ギムレットの時だってちゃんと来たではないか。結果論だが」

 誤解を解くのも面倒だったので、彼はそのままうなずいた。

「そうだな。心配かけてすまなかった」

 二人に助けを求めるよりは、メリッサと間者によってネビルたち警察軍に通報したほうがはるかに早い。

 また、事前に言っておけば、ネビルやウィンスターなど腕利きの人間を呼ぶこともできる。コーネリアやエレノアと違い、それが彼らの本務だからだ。

 だが、それを口に出すほどオーリンは無粋ではない。

「ありがとう。感謝する」

「お、おう、それでいい」

「次は私を呼ぶことだな。いいな?」

「分かった。そうさせてもらう」

 彼はただうなずいた。


 とはいえ。

「あの踊り子が誰か、調査する必要がある」

 数日後、オーリンはメリッサを呼んで話す。

「あの踊り子、おそらくただの踊り子ではもちろんないし、下っ端の刺客にも見えなかった。末端の殺し屋なら、枠がなんとか、道理と筋道、正義がどうとか、意味の分からんことも言わないだろう」

「まさにおっしゃるとおりです。刺客が正義を語らないとは限りませんが、素直に考えて、信念を持った貴族、官吏が自分の意思で襲撃を試みたのではと」

「その通り。そこであの踊り子が何者か、調べてほしい」

 とオーリンが頼むと、メリッサは得意顔で答える。

「実は、すでにある程度調べております」

「おお」

 彼女は自慢げに語りだす。

「目星として、あの踊り子はジャスリーという、灯火国の貴族と思われます」

「ジャスリー? 聞かない名前だな」

「ええ。派手な功績は残していないようです」

 オーリンは首をひねる。

「あれほど腕の立つ剣士が、なにも?」

「というより、難しくも地味な役目をこなすのが得意のようです。例えば兵站主管とか、殿軍、城攻めといったものですね。役目自体が地味なので、成功しても噂になりにくいと」

「それでも、あの剣の腕はほぼ持ち腐れではないか。そもそも、この王都に易々と潜入するほどの知恵者でもあるんだぞ」

「敵の人事に憤慨しても仕方がありませんよ」

「まあ、それはそうだが」

「きっと、そういう星のもとに生まれたのでしょう。ちょうど、主様が『臆病者』となっているように」

 聞くと、オーリンはまずまず納得した。

「そうだな。他に分かったことは」

「どうも正義と道理を重んじる人物のようです。謀略は大嫌いで、策謀をもって敵を倒すより、戦場で正々堂々と戦うことを旨とするらしい、と」

「暗殺は謀略ではないのか」

 メリッサは困ったように微笑む。

「主様は別格なのでしょう。あの夜に言った『枠を超えた相手には、枠を超えた方法で対抗する』趣旨の発言はその意味ではないかと愚考します」

「なるほど。ようやくあの発言の意図が分かったな」

「あくまで憶測にすぎませんが、そうでなければ意味を図りかねますからね」

 彼女はあごに手を当てる。

「なお、ギムレットの件に一枚噛んでいるかもしれません。ジャスリーらしき人間を目撃したとの話が、わずかに聞こえました」

「むむ、ギムレットの最後の襲撃は、もしかしたら」

「はい、彼女が入れ知恵をした可能性があります」

「面倒な相手だな……」

 オーリンは頭をかく。

「まあいい。引き続き調査をしてほしい」

「御心のままに」

 彼は腕を組み、深く息をついた。

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