第13話・剣豪の悪夢

 隠れ家でオーリンが変装を解くと、メリッサが話しかける。

「うまくいきそうですね」

「ああ。だが、まだ工作が終わったわけではない」

「おや」

 彼女は小首をかしげる。

「これで充分のように思えますが」

「いや、まだ足りない。互いを敵対に至らしめる『証拠』がな」

「証拠……つまり恒例の『落とし物』でしょうか?」

 言うと、オーリンはかぶりを振った。

「いや……落とし物はかえって不自然だ。こたびは事実を作るだけでいい」

「事実を作る?」

 なんともふわっとした言葉。

「もう少し具体的に話すと、つまり――」

 彼は彼女に耳打ちした。

「なるほど。それは確かに、事実をもって証拠とするものですね」

「その通り」

「ところで、殿方から耳打ちされるのはドキドキしますね」

「そうか。良かったな。決行は夜を待つぞ」

 オーリンは明かりを点け、手元の図面を見つめた。


 その日の夜。ラグネルは自分の屋敷で眠っていたが。

「むむ、我慢我慢」

 偶然、厠に行くため起きた。

 屋敷はそれなりに大きいため、厠へはそこそこの距離がある。

「不便だな」

 階段を降りながらつぶやく。

 大きな屋敷も考えものだ、と思いつつ、彼は無事に厠で用を足した。

 そして、部屋へ戻ろうとしたそのとき。

「……ん?」

 外に何かの気配を感じた。

 野生動物だろうか? それとも人間?

 人間だとしたら――ギムレットの手の者が何かをするのか。

 そこに思い至った直後、急激に意識がはっきりしてくる。

 もう何か仕掛けてくるのか、こしゃくな!

 彼は気配のした場所へ駆ける。


 そこで見たものは。

「火事、火事だ!」

 放火の痕跡。

 その場所の火は、大きくなる前に消せた。しかし見回ると、もう燃え広がっている箇所がいくつもある。

 彼は使用人たちを叩き起こし、迅速に指示を出す。

「お前は裏口の火を消せ! キンブリーは警察の詰所に知らせろ!」

 火が屋敷を呑み込む前に消さないと!

 彼はギムレットのほくそ笑む顔を思い浮かべ、「畜生め!」と叫んだ。


 ラグネル邸から充分に離れ、街の外でオーリンとメリッサが話す。

「うまくいったな」

「しかし、こたびも放火ですか。もしこれが吟遊詩人の弾き語りだったら、同じ展開で聴衆が飽きてくるでしょうね」

 メリッサの痛快な皮肉。

「同じではない、と思いたい。ザイラスの時と違って、落とし物は残していない。ここでそれをやったら、かえって怪しまれる。話が出来すぎだ、弾き語りではあるまいし」

「ささいな違いです」

「他にも差はある。ザイラスの時は屋敷を実際に全焼させないと意味がなかった。『新しい屋敷を求める』という筋書きだったからな」

「うん? こたびは全焼に失敗してもよろしいのですか?」

 メリッサは首をひねる。

「構わない。ギムレットから攻撃があった、とラグネルに思わせれば充分だからな。逆にここでラグネルが焼死すると、反国王派の力が削がれすぎて不都合だ」

「標的はあくまでギムレットですからね」

「いや、そうじゃない。反国王派も標的だ。先日、諸々の報告を殿下に送ったところ、追加の命令が来た」

 オーリンは無表情で語る。

「なるほど。確かにそうでなければ危険を除去したとはいえませんね」

「どうも、反国王派の始末には、当初は他の人間があたるつもりだったようだ。その手配の都合が悪くて、俺に鉢が回ってきたらしいな」

「なにか事情があるのでしょうか」

「そこまでは知らない。ただ、最近はきな臭いからな、皆、忙しいんだろう」

 なお、本当にオーリンは事情とやらを知らない。知ってもきっと、意味はないのだろう。

 第一王女がオーリンを信頼していないわけではない、はず、と彼は思った。

「なるほど。とにかく私たちで両方を片付けないといけないのですね」

「その通り。それが分かっていれば、俺たちは充分なんだろう」

 彼はけだるげにつぶやいた。


 同じ頃、コーネリアは宮殿からの帰り道を歩いていた。

「オーリン……」

 何日も幼馴染は外出中で、音沙汰がない。

 彼女は、彼が遺体で帰ってくるのではないかとの思いで、仕事も今ひとつ手につかない。

 一応、第一王女からの呼び出しを受け、オーリンがとある特別な任務に従事していることは聞いた。

 なぜ王女がわざわざコーネリアにそれを告げたかは不明であるが、まずは結果として、雲隠れしたわけではないことは分かった。

 ただ、これなら今までのように、単なる外出だと思えたほうがマシだったかもしれない。

 悶々としていると、エレノアがやってきた。

「おや、コーネリア様、何を落ち込んでおいでかな」

 能天気な声。

「らしくもないな」

「あら、エレノア様、ご機嫌うるわしう」

 コーネリアは一瞬で淑女の体裁を取り繕った。

「そうしなくてもいい。私は貴女の素の姿を見ているからな」

 そういえば、エレノアの前でオーリンに「本来の」言動をしたことがあった。

「なんだ、じゃあいいや」

「良くはないだろうに。先程から貴女はがっくり肩を落としていたぞ」

 こんなときばかり鋭いエレノア。

 しかし……彼女になら悩みを話してもいいかもしれない。ひとまずオーリンに不利益な行動は、彼女ならしないだろう。

「どうしたのだ、急に思いつめた顔をして」

「実は……」

 彼女は口を開いた。


 それからしばらく様子見をしていた二人は、ある日、当事者方に潜入中の間者から、一つの報せを受けた。

「申し上げます。ラグネル一党がギムレット伯爵を襲撃した模様です」

「おお。詳しく話してくれ」

「御意。まず……」

 昨日の夜、計画を万端に整えたラグネル一派が、「造反の造反」を行おうとしたギムレットの城に密かに乗り込み、襲撃を仕掛けた。

 ギムレットは、精鋭たる護衛とともに、勇壮にもこれに応戦し、血で血を洗う変事となった。

 どちらも激闘を演じた。死闘だった。

 その結果として、ラグネル一派の主だった幹部たちは全滅し、ギムレット側も、伯爵自身が行方不明になるなど痛手を被った。

 戦闘の場は、天井にまで殺傷の痕跡が届くほどだという。

「待ってくれ。ギムレットは『行方不明』なのか?」

「然り。消息が途絶え、全く知れませぬ」

「それはおかしいな。城内で戦ったんだろう?」

 オーリンは首をひねる。

「然り……ただ、どうしても遺体も見つからず、生きている姿もまた見えないのです」

「城に残された人たちは、どう話している?」

「やはり何も分からぬようで、ただ身を案じたり、おろおろしています」

「不思議だな……メリッサはどう思う?」

「全くもって同感です。ただ、少なくともとどめを刺せてはいないのだとは思いますね」

 常識的な結論だった。

「やっかいだな。どこかでまだ生きているとすれば」

「然り。ただ、こたびの顛末を白日の下にさらせば、とりあえずギムレットの失脚、爵位剥奪は可能でしょうね。それをもって任務成功としますか?」

「難しいな。しかし、それしかないのも事実」

 彼は頭をポリポリとかいた。


 その日の夜、異変は起きた。

「主様、起きてください」

「……うん?」

 唐突なメリッサの声と揺さぶりで、オーリンは寝ぼけまなこをこする。

「ふあぁ……どうした、何かあったのか」

「敵が近づいています」

 一瞬でオーリンの目が覚める。

「なんだと」

 とりあえず、傍らに置いていた洋刀を手に取る。

「見張りの間者から連絡がありました」

「見張りたちでは始末できなかったのか」

「はい。人数は約二十人、数も多いですが、そのうちの一人が途方もなく腕の立つ様子で、手出しができなかったと」

「たった一人のせいで? どういう人間なんだ」

 彼が軽く驚くと、彼女はさらに畳み掛ける。

「その男は、伯爵ギムレットです」

「……そうか……!」

 それだけで彼は理解する。

 この件がオーリンの謀略であることを、ギムレットがその聡明な頭脳で悟ったのだと。

 どうやって、とか、どんな筋で、などとは問わない。その問いは、今は無駄だからだ。

 目の前の敵は排除しなければならない。

 謀略自体については、ギムレットが生きていても、第一王女の圧力で「自称被害者の虚言じみた言い分」を押しつぶせばよい……だろうか、強引ではあるから、心配は尽きない。

 しかし今はそこを気にしている場合ではない。まずは迎え撃つべきである。

 生きるために。

「出るぞ。どうにか撃退して……その化け物じみた伯爵を倒さなくては」

「お待ちください」

 しかしメリッサは制止する。

「どうした、こんなときに」

「もう一点、ご報告と、簡単ではありますが策があります」

「そんなものがあるのか」

 オーリンはまたも軽く驚きながら問う。

「ええ、お耳を拝借」

 彼は言う通り、耳を貸した。

「実は……」

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