第11話・正論について
エレノアは涙を浮かべる。
「なぜ……どうして……」
「勝敗は兵家の常。戦況というものは容易には読み切れないものです。ではこれにて御免」
泣いている戦乙女をほぼ放置し、足早に解散しようとするオーリン。
しかし、またしても腕をつかまれた。
コーネリアに。
「おい、どういうことだ」
「せめて話は聞いてやろうよ。あんまりだぞ」
言うと、メリッサも同調する。
「主様がお忙しいのは重々承知ですが、なんの収拾もなく撤収というのは、少しばかり可哀想すぎませんか」
「そういうものか」
彼はエレノアに向き直る。
「なあオーリン。なぜこうも武略に長けるのに、臆病者の地位と振る舞いに甘んじているのだ」
「戦が嫌いだからです。それは嘘偽りありません。そう考えたきっかけは三つほどありますが、人に話すことでもないでしょう」
「えっ三つ?」
コーネリアが間抜けな声を上げる。
「二つは心当たりがあるけど。ザイラス一味のなんやかやと、あたしの……とにかく、もう一つはなんだろ」
「まあ強いて話すには値しないことだ」
それこそが最大のきっかけなのだが、彼は黙して語らない。
「ならばなぜ」
エレノアは問う。
「なぜ、武芸を磨いたり、軍略の見識を高めたりしたんだ。私は……お前がただの、裏表のない『臆病者』であってほしかった」
「残念ながら、それはできません。私は私の考える理想のために、刃を振るい、兵学を追究し、陰湿極まる策謀を遣い続けるつもりです」
彼には、その営みを止めるつもりはない。
これは固い意志に基づく、絶対のドグマであった。
「話は以上です。私もやるべきことが色々あるので、では、これにて」
今度こそ彼は、踵を返した。
一方、灯火国のジャスリー。
かの「臆病者」オーリンがエレノアを模擬戦で打ち破った、という報せは、彼女も聞いた。
暁光王国、というか彼の身辺に間者を放っていたため、それを知るのは当然といえた。
しかし。
「やはり、彼は風評通りの『臆病者』ではないということね」
大して驚かなかった。
「しかし、世間はもっぱら、オーリンが事前に、誰か優秀な策士から助言を受けたのではないかとしています」
「それこそオーリンの流言。だまされてはいけないわ」
間者に彼女は言った。
オーリンをめぐる風評は、どうも巧妙に彼の力を隠すように作られている。
エレノアとの決闘試合の件もそうで、運命の波で片付けようとしている。
第一王女の私室に立ち入りを許されているという噂もあり、巷では虚言とされてるが、おそらくその巷のほうが虚言なのだろう。
そもそも彼は昔、戦場で殿軍を成功させているはずなのに、それはなぜかまともに評価されることがない。もっとも、殿軍の件は亡きザイラスが単に横暴で、悪口を吹聴したせいもあるだろうが。
いつからオーリンが自らの真相を隠し始めたのかは、定かではない。それを知ったところで、大して意味はない。
しかし、現にオーリンは影の謀略家であろうとしていること、および謀略だけでなく軍略、武芸にも長け、人格は陰湿であろうことはほぼ確実。
少なくともジャスリーはそう確信している。
「もう少し様子見をしましょう。いずれにせよ、いま私にできることはないのだから」
彼女は嘆息した。
数日後、第一王女からの呼び出しを受けた。
今日の執務は欠席せよとも命じられた。
これはなんらかの重大任務、密命に違いない。
「父上、行ってまいります」
密命の可能性が高いので、多くは話さない。しかしいつものことなのでペデール男爵にも伝わったようだ。
「おう。くれぐれも体に気をつけろよ」
「ありがたきお言葉。では」
彼は外套をまとい、一路、第一王女の私室を目指した。
王女の部屋に入る。
「男爵ペデールの嫡子オーリン、参上しました」
「うん、入って」
どうも女性の私室、しかもこの国屈指のやんごとなきお姫様の部屋に入るのは、彼にとって苦手だ。
落ち着かないのだ。
コーネリアの部屋にさえ、彼はまだ幼い頃にしか入ったことがない。異性の私室に入るというのは、この世界ではそれほどまでに大きなことなのだ。
それなのに、このお姫様はしょっちゅう私室に呼びつける。仕事のため必要なのは分かるが、きっと落ち着かないオーリンを見て愉快がってもいるのだろう。
「ふふ、オーリンは今日もそわそわしているな」
「わざとですか」
「当然。私がそういう性格なのは分かっているだろう?」
「はあ」
からかわれても反応のしようがない。
「で、こたびはどのような」
「いきなり本題に入るとか、気が早すぎる男は好かれないぞ?」
「御意。で、こたびはいかなる」
彼が催促すると、王女は「やれやれ」とこぼしつつ続けた。
「暗殺だ。しかも、我が国の領主だよ」
地方領主ギムレットを謀殺し、その上でその一族に無実の罪を着せ刑死させる。
「同じ国王を奉じる人間を、やらなければならない」
「どういうことです?」
まず伯爵ギムレットは、悪行といえることは特にしていない。領土統治も善政といえる。
しかし、一部の反国王派が外患……灯火国と結託し、王家の遠い親戚である彼を担いで造反することを目論んでいる。
「本人の過ちではない、と」
「今のところはそうだな。しかし、家臣や同輩からの突き上げというのは、きみが思っている以上にやっかいなものだよ。謀反を決意させかねないほどにね」
彼は有能で人望も厚く、造反勢の首領としては危険と見える。
ただし一族の中に代わりになれるほどの人物はいない。彼さえ葬り去れば、とりあえずは反乱の総大将は不在となる。
もっとも、彼の一族を全て滅しないことには、危険を完全には除去できないことは事実であった。
第一王女はそこでいったん黙った。
「どうされました?」
「いや、なに、きみにこの任務を命じることが、少しばかり心苦しくてな」
「必要な謀略は、為されなければなりません。私は喜んで手を汚しましょう」
「うん、きみがそう言うのは分かっている。きみなら快く引き受けるだろう。それが悩みの種だ」
オーリンは首をかしげる。
「それは、いかなる?」
「私はきみが心配なんだよ。人道を外れたことを、そうも簡単に引き受けることが」
俺を試しているのだろうか?
オーリンはそう思って、切り返す。
「主君が命じれば、家臣は全てをかけてその命を果たす。それが世の習いであり理であると私は考えております」
「うん、それは正論だ。しかしオーリン、正論は時として大切なものを壊すんだよ」
王女は続ける。
「正論というのはいつも、何かを切り捨てるための口実になりたがる。圧倒的な正しさで物事を切る論理が、何かを創り出し、人を救うのを、寡聞にして私はまだ見たことがない」
一理はあるのだろう。だが、ここでそれを言っても始まらない。
「私は私の理想のため、泰平の世のため、喜んでご命令に従う覚悟です。王女殿下への忠誠ゆえでもありますし、私自身の理想を実現するためでもあります」
「……そうか。そこまで言うなら、この命を下そう。ただ……」
「ただ?」
「大義には呑まれないでくれ。邪魔者を切り捨てるために、理想を楯にするような人間にはならないでくれ。よく気をつけてほしい」
「承知いたしました。肝に銘じます」
「よろしい。下がってよい」
部屋を出る際にちらりと見えた王女の目は、幾分不安げだった。
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