第9話・築城をしよう

 それは、王都の城郭図だった。

「戦に備えて、上層部では王都の防御設備の改修を予定している」

「改修ですか」

「そう。実質は概ね増築だけど、居住区などは手を付けない。商業的、経済的な増築ではない」

「なるほど」

 オーリンはうなずいた。

 なお、王都はいわゆる「総構え」――防御力を持った外郭、外壁等の内側に城下町が広がっている構造だ。一般的な日本の城とは、構え方が全く異なるので注意が必要である。

「僭越ながらお尋ねいたしますが、戦、特に籠城戦をするご予定があるのですか」

 第一王女の優美な眉がぴくりと動く。

「予定はない。ただ、籠城かどうかはともかくとして、きな臭さはある」

 つまり、戦の気配があり、万一敗北すれば王都籠城もありうるということか。

 彼の脳裏に一瞬、悲しげな父の顔が浮かんだ。

「なるほど。深くはお尋ねしません。……籠城かどうかが不明ということでしたら」

 彼はあごに手を当てる。

「必要なのはこの図面ではないと思料します」

「……へえ! どういうことかな」

 彼女は驚いたようなセリフを、しかし全く驚いていないような様子で発した。

「この図ではなく、この国の国境付近まで入った地図と、場合によっては周辺他国まで含めた図面が必要かと」

「ほうほう、理由は?」

「お手元に地図を置きながらご説明したほうがわかりやすいかと」

「そうか。ちょっと待ってほしい」

 言うと、彼女は棚から地図を取り出した。

 あらかじめ準備していた……のではないだろう。彼女の性格と頭のほどからいって、普段から戦略などのため、部屋に常備していただけに思える。オーリンをわざわざ試す理由はない。

「はい、これ。……で、どういう理由かな、まさか地形で『まじない』でもするのか?」

「まさか、私はそのようなおふざけなどしません。ただ、正解に少しお近づきになったようです」

「え? まじないではないのに?」

「つまり」

 彼は若干得意顔で答える。

「王都籠城ではなく、もっと広域的な防衛戦略を練るべきと思っています」


 王都周辺は平野だが、少し離れたところは山岳、丘陵がある。そこまで防衛網を広げるとすると、王都への侵攻路は三本。

 そのうち一本、東口はどちらかというと友好的な国からで、不戦協定を一応は結んでいる。

 つまり、そちらの防御を固めると逆に不穏な関係になりかねない。

 むしろ、外交関係がさらに発展した場合に、速やかな援軍を確保できるように、今のところはあえて何もしないほうがよい。

 問題は残り二本、北口と西口である。

「ちょっと待って」

 第一王女は話を制した。

「つまり、王都周辺の平地で迎え撃つという話ですらなく、その前の山地で食い止めるということかな?」

「仰せのとおりです。山地で止めるほうが、守りやすさも良いですし、敵の動きも鈍るというものです。ああ、中継施設ぐらいなら平野部にも置くべきでしょう」

「王都籠城のほうが簡便ではないか?」

「単純で、頭を使わずに済みますが、その代わり滅亡の危険が高まります」

 滅亡の危険という言葉に、彼女は一瞬だが顔色を変えた。

 オーリンは畳み掛ける。

「当然のことです。王都籠城ということは、王都しか拠点が残っていないということですから」

「……それもそうか。そうだね」

「お話を続けます」

 北口と西口。どちらをどうするか。

 結論からいえば、北口には「何重にも通常の砦を置き」、西口には「最も守りやすい一箇所だけ、堅牢な城砦を建てる」べきである。

「どういうことかな」

「要約するなら『敵の進軍を西口へと誘導するため』です」

 北口は道のりが短い。安直にただ砦を一つずつ建てるだけなら、北口は若干脆い。しかも、それだけでは敵もどちらから来るか、こちらは読めない。

 しかし、山地という攻めにくい場所に何重にも拠点があるなら、話は別である。

 攻撃側は、本拠地攻略までに時間がかかることを通常は恐れる。

 道のりが短いとはいえ、いくつも山砦を越えていかなければならないというなら、通例としては二の足を踏むことだろう。

 たとえ、西口の道のりが長く、かつ一つとはいえ堅城があったとしても。

「防備の堅さ、これも確かに重要ですが、敵の機動を可能な限り不利な方向に確定させることは、さらに利点があるものです。相手の動きを、相手にとってまずい方向へ誘導することは、軍学としてはきわめて旨味のあるものです」

「なるほど。こちらとしても必要以上に戦力を分散させることがなくなるからね。西口に信頼できる将と主要な資源やら力を割けばいいわけだ」

 王女はうんうんとうなずく。

「しかし意外だな」

「何がでしょうか」

「いや、私にとっては意外でもなんでもないが、しかし」

 彼女は微笑んで続ける。

「『臆病者』オーリンが軍学を語るとはね。ふふ」

 その一言だけで、彼は色々察した。だが、だからどうというわけでもない。

「お戯れを。……しかし、情勢はそれほどきな臭いのですか」

 防衛を真剣に考えるほどに。

「そうだな。もっとも、どちらから仕掛けるかは分からない。防衛戦ではないかもしれない」

 ならば、この防衛戦略談義は無駄になるのか。

 ――答えは否。防御を固めること自体に政略的な、例えば一種の抑止力に関する意味はある。

 また、今回は砦等を使わなくとも、必要なときのために戦略を練り、設営をすることは無駄ではない。

「承知しました。このお話は以上ですか?」

「ああ。下がってよい。私はオーリンが帰るのが名残惜しいけどね。ああ、泣きたくなるほどにね、よよよ」

「もったいなきお言葉ですが、下がります。失礼いたします」

 考えのよくわからないお姫様を残し、彼は帰途についた。

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