第3話・戦乙女との決闘
ひるがえって現在。
とある女貴族――名をジャスリーという――は、耳の早いことに、件の大立ち回りの噂を聞いた。
なんでも、臆病者として悪名高い人間の所業であるとか。
臆病者? 十数人をなで斬りにする剣客が?
暁光王国――オーリンの属する王国へ潜入中の彼女は、耳を疑った。
確かに戦い方を聞く限り、本当に無造作に敵集団を斬り伏せたわけではないのだろう。
例えば件の剣客は、話の限りでは、狭所に敵を誘導し、なるべく一対一の状況を作った上で戦いに臨んでいたようだ。
また、道路の砂などを用いて目潰しをしたり、石を拾って不意打ちとして投げ打った形跡もある。
頭を使った戦い方。
しかし、立ち回りの際に頭を使うということ自体、かなりの手練であることの証である。
少なくともジャスリーには、突然の襲撃に対してこれほどまでに智を働かせられるかは、自信がない。
残忍で狡猾な殺陣。なにより十数人を一気に斬るという、常人の考えるところではない決断によって行われた殺生。
これを行った人間の血は、きっととても冷たく、奇怪な色をしているに違いない。
一体誰がこんな事をしたのか。
彼女は義憤と哀れみと、少しの好奇心によって、この剣客を調べることに決めた。
オーリン襲撃事件から一週間が経ち、王宮は秩序と平静さを取り戻しつつあった。
オーリンが廊下を歩いていると。
「おや、『臆病者』のオーリンではないか」
鎧具足を着た女性貴族。齢は彼と同じぐらいか。
やっかいな人間と会ったな。彼は心の中で、己の不運を呪った。
「エレノア嬢、お目にかかり光栄です。では私はこれで」
横を通り過ぎようとするが、彼は彼女に腕をつかまれた。
「まあそう急ぐな。女の話を聞くのも、男の務めというものだぞ」
無茶苦茶な理屈である。そもそもエレノアもオーリンも執務中だというのに。
「はあ、なんでございましょうか」
「お前は戦を嫌いすぎる。戦働きに定評のある私を避けるほどにな。なぜそうも避ける?」
お前に理由を語る筋合いはない。
と彼は思ったが、そもそも彼女は理由を聞きたいのではないのだろう。
「私は悲しいし、悪評も立つというもの。それでいてなにやら画策することばかり得意らしいな、この『臆病者』め。詳しくは私も知らないが。どうだ、私が武芸や兵法を手ほどきしてやろうか、つきっきりで」
「ご心配ありがたく頂戴します。それはそうとして、そこを通していただけますか」
また横を通り過ぎようとするが、再び腕をつかまれる。
「なあオーリン、どうしてこうも避ける!」
怒らせてしまった。彼にとって、かなりまずい展開である。
「執務中ですので」
「オーリン……」
エレノアは一瞬悲しそうな顔をしたが、すぐにまた怒りの表情に戻る。
「決闘だ。今日の夕刻、タイルスの丘で決闘しろ。木剣を持って来い、武芸の手ほどきの必要性をみっちり教えてやる!」
最高にやっかいなことになってしまった。
彼はため息をついた。
陽が沈む頃。オーリンは指定された決闘場所にいた。
観衆が仕切りの向こうに大挙している。
「『臆病者』オーリンと『戦乙女』エレノアの一戦だな」
「まあ戦う前から勝敗は見えているけども」
「ちょっと待て。オーリンはとてつもなく強いって噂を聞いたんだが」
「ハハ、それはやつの得意の流言だろう。実際、やつの家臣の間者は優秀だと聞く」
実際は、最後の言葉の逆が正解である。
「オーリンは弱い」、十数人を斬ったり武功を挙げているのは「計略、まぐれなどによるもの、もしくは流言である」という流言を絶やさず行って、彼が弱いという風評を維持していた。
まんまと風評を信じたエレノアは、彼の武勇を低く見積もり、それに確信まで抱いている。頭が弱いことこの上ない。
――もっとも真相は、彼女が彼に接近するために、そうでないと困るから、信じたいものを信じているというだけだ。
オーリンはこのことを知らないし、仮に把握したとしても「知ったことではない」と考えるだろう。
オーリンが武術の腕を発揮する機会は、なんだかんだ言って何度もあった。逆臣バルバスの残党による襲撃のような例は、これまでにもあったし、戦場でも実は功を挙げたことがある。
これでなお戦乙女とやらの誤解が解けないのは、好都合ではある。
しかし同時に、こういったやっかい事の原因にもなるのは、勘弁してほしいと彼は思う。
全ては札の裏表。好都合の裏には面倒がついて回る。
考えていると、戦乙女はやってきた。
「おお、ご機嫌うるわしう、大いなる『臆病者』オーリンよ!」
最大限の嫌味。もっとも臆病者としては、「はいはい、お疲れ様」としか感じない。
「はいはい、お疲れ様」
うっかり口に出してしまった。
「実に、実に無礼だなオーリン。……まあいい、私が勝ったら、私にみっちり武芸を教わることだ。もちろん私にのみだ。他の者を挟んでは、その者に申し訳ないからな」
オーリンは耳をほじった。
「私はなんと優しいことか。この『臆病者』オーリンに更生の機会を与えるとは。私ぐらいにしか、この大任は果たせないな。ハッハッハ」
「能書きはその辺でよろしいでしょうか」
彼は指の耳垢を吹き飛ばした。
「……ずいぶんと余裕だなオーリン。まあいい、審判、では早速合図をしてくれ」
審判は「御意」とつぶやいた。
「用意!」
審判が手を挙げる。
「三、二、一……始め!」
始まった瞬間、エレノアは先手とばかりに間合いを詰め、烈風のごとき速さで剣を繰り出してきた。
そう、まさに荒れ狂う烈風。刹那に吹き荒れる戦いの風。剣撃が空気を裂く音すら置き去りにする、まさしく瞬きの領域。
戦乙女の迅風の一撃が、臆病者に迫る。
「甘い」
だが、その斬撃が彼に届くことはなかった。
それを上回る、謀略家の剣。
戦を遠ざけるために磨かれ、戦で築かれる屍山血河には及ばずとも、数え切れない「尊い犠牲」をやむをえず作り出した、堅固な信念の凶剣。
紫電のひらめくがごとく。音無き天雷の輝くがごとく。
烈風を超える、電光の一撃。
その剣は、エレノアの首をえぐる寸前で止まった。
「しょ、勝負あり! 勝者オーリン!」
審判が結果を告げる。
「そんな……バカな、なぜ」
うろたえる彼女を、ここぞとばかりに彼はあおる。
「おや……これはおかしいですね。戦乙女様が臆病者より弱いと。全く手も足も出なかったと」
彼はわざとらしく首をひねる。
「むむ、この臆病者に剣を教える、教えてやると仰せだったのは、いったいどちらの戦上手のお嬢様でしたか」
彼は謀略家であり、戦を好まないが、その前に一人の人間である。合戦につながらないなら、散々バカにしてきた相手を、たまにはあおりたくもなるだろう。
果たして、戦乙女は顔を真っ赤にして怒鳴る。
「も、もう一度、もう一度だ、まぐれはもう起きない!」
「まぐれ? 戦に定評のある女武将殿が、あれをまぐれと評されますか。あまり恥ずかしいことはおっしゃらないほうが、御身のために」
「うるさい! 審判、第二戦の用意を!」
審判は「ぎょ、御意」と縮こまって手を上げた。
三戦行ったが、結果はいずれも同じだった。
風の剣は、どう頑張っても電雷の剣には敵わなかった。
武名ある「誉れ高き戦乙女」の戦場で鍛えた剣技は、誰に師事したかすら分からない「陰気な臆病者」の剣術に、みじめにも完敗した。
「さて、試合は終わったので私は失礼します。私はみっともない臆病者なので、矜持ある栄光の戦乙女様をこれ以上汚す真似などできませんゆえ」
言うと、彼はさっさと試合場をあとにした。
エレノアは涙を流しつつも呆然とし、審判は間近で見たオーリンの、まぐれなどでは決してない腕前にひたすら困惑し、観衆はあまりにも不可解な試合結果に混乱していた。
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