三階の鏡

甲藤

三階の鏡


「居ると思い込むだけで、ソレはその人の中で存在することになるんだ」


 少年はそう言って、窓際に立った。締め切った教室内は空気が淀んでいるように感じる。彼が窓をあけると、涼しい風と共に、校庭で部活に勤しむ生徒の声が入り込んできた。


「知ってるかな? 三階にある鏡の噂。階段を上って右側の壁に掛かってる、あの大きな姿見。一人でその鏡にうつると、鏡の中に引き込まれるってやつ。

昔ね、生徒が行方不明になった事件があったんだ。よく問題を起こす生徒…A君としようか、教師も手を焼いていた。

 ある日、出勤した教師が姿見が割れているのを発見した。鏡の破片が飛び散っている中、片方だけの上履きを見つけたんだけど、血まみれだったらしい。その上履きの持ち主はA君だとわかったんだけど、彼は前日から家に帰っていなくて、そのまま行方不明。鏡の中に引きずり込まれたんじゃないかって噂が流れて、それは今でも語り継がれてる」


 7時間目の授業が終わっているこの時間帯は、9割方の生徒が部活動に参加するか下校している。あとの1割の生徒は教室に残っていたりするが、夕日の差し込むこの教室に残る生徒は彼と僕だけだ。


「噂っていうのは面白おかしい部分だけを抜き取って流れていくよね。だってさ、現実的に考えて鏡に引き込まれるってありえないだろう? でも、面白いから、怖いからってどんどん噂は広まっていくってわけ。本当のことも調べずに。

 行方不明になった生徒の件だけど、後日見つかったんだ。遺体でね…なんてことはなくて、ただの家出だった。問題児だったから、授業もサボるし家に帰らないこともよくあったらしい。鏡の前に落ちてた上履きも、苛立って踵で鏡を蹴った際に割れた破片で足を切って、血まみれになったのをそのまま放置したんだと。

 ちなみにそのA君ってのは、俺の親父なんだけどさ」

「あの噂って君の親父さんだったんだ…」


 校内では他にもいろいろな噂は飛び交っているが、鏡がある場所から一番近いこの教室では、特に有名だった。


「親父は鏡に引き込まれてもいないし死んでもいないし、今も酔っぱらうと「俺がモデルの怪談があってなー」って自慢のように話してるよ」


 恥ずかしいからやめてほしいけど。ぼそりと呟く。こちらが笑っていると、でもね、と話を続けた。


「真相を知っているのはごく一部だ。ほとんどの生徒は知らずに、一部だけ切り取った話を歪めて話を進めていく。そうして、鏡に引き込まれるっていう噂が出来上がったわけ。学校の七不思議のひとつだね。

噂は形を変えながら生徒に語り継がれて、やがて怪談となる。そうなるとどうなると思う?」

「どうなるんだ?」

「その怪談は実際に存在することになってしまう。今まで存在していなかったモノが、形を成してこの世に存在することになる。噂というのは風邪みたいなもので、人にうつるんだ。うつされた人は別の人にうつす。それを繰り返すと風邪が流行するだろう? 噂が流行するとどうなる? 形のなかったモノを認識する人間が増えて、そのモノは人間によって形を成していき、姿を現すようになる。人の噂が生み出すモノは、認識する人間が増えれば増えるほど形を鮮明に、人が想像したカタチになっていく。

 怪異もそうだ。人が「そう」なると言えば「そう」なってしまう。夜中になると物音がする、人の気配がする。そう考えるだけ、思い込むだけでそのモノたちはそう行動する。人間がそうさせるんだ。

 けれどこれには条件があって、噂を知っている人間にしか見えないし、感じないんだ。噂を聞いた人間は噂を認識し、それを脳内で再現する。一度再現された映像は脳内に残り、噂があった場所に訪れると、脳が噂と関連付けて、その映像が勝手に再生される。すると、そこにはないモノがあたかも「居る」ように見える。実際は見えているんじゃなくて、脳内での映像なのにね。

 そこから人間は「こういうことがあった」と人々に話し始める。昔から言葉には力があって、その力は発せられた言葉のとおり実現することがあるんだそうだ。コトダマっていうんだけどね。人々の想像がコトダマとなって、怪談となる。

 三階の鏡がまさにそれで、あの鏡は実際に人を引き込む力がある。いや、あった。最近はそれに関連した別の怪談のほうが有名になってるから、鏡自体に力は無いんだ。

 ま、人の噂も七十五日っていうしね。噂話も自然消滅しちゃえば怪談も消えるわけ。だいたいの怪談や怪異はそうなるんだけど、」


 突然、校庭から叫び声がした。なんだなんだと窓から覗いてみると、部活動中の男子生徒がこちらを見上げていた。生徒は気づいたらしく、「池上ー! そんなところにいるなよ! 三森だと思ったじゃんか!」と叫んだ。


「ごめん! 坂木がそんなビビリだとは思ってなかったからさ!」

「池上てめー!」


 なにか言っているようだが池上が笑いながら窓を閉めてしまったので聞こえない。


「そんな煽って…あとでどうなるか知らないよ」

「煽ってはないよ。楽しんでるだけ」


 窓際の席につきながら、池上は言う。性悪だなあと思いながら彼の前の席に腰を下ろした。

 この教室は曰くつきで、放課後になると一斉に生徒はいなくなり、誰も寄り付かなくなる。その原因はとある怪談が関係している。


 昔、放課後に女生徒たちが教室に残って喋っていると、廊下から叫び声が聞こえた。慌てて教室を出ると、まるで水のように波打つ鏡面に男子生徒の後ろ姿が映っていた。女生徒たちが驚き動けずにいると、その波は徐々に収まり、男子生徒の姿はなくなっていた。一人の女生徒が恐る恐る鏡面に触れるが、鏡は波打つことなく自分たちがうつるだけだった。そばには通学鞄が置かれていて、見るとクラスメイトの名前が記載されていた。さきほどの叫び声はクラスメイトのものだった。

 すぐに教師を呼びクラスメイトが居なくなったことを説明するが、信用してもらえず。とりあえず校内放送で呼び出したが、男子生徒は現れることはなかった。鞄を忘れて帰宅したのだろうと教師は女生徒たちを諭し、下校を促した。

 夜になり、一本の電話が職員室にかかった。息子が帰ってこない、まだ校内にいるかという生徒の親からの連絡だった。複数の教師たちが校内や近所を探すが見つからず、警察も捜索したが見つかることはなかった。

 生徒が鏡に引き込まれた話はすぐに広まった。

 『昔、この教室の生徒が廊下にある鏡に引き込まれてしまった。その生徒は放課後になると、自分の身代わりを探しに教室に現れるので、一人で残らないように』

 そして、実際に行方不明になった生徒の苗字から取って、「三森」という怪談が生まれた。そこから派生して「三森くんと目が合うと呪われる」「三森さんに会うと殺される」「三森に声をかけられたら三日以内に死ぬ」という噂も流れた。


 なので、坂木は残っている池上を見て「三森」と勘違いしたのだろう。


「さっきの続きなんだけど。

 稀にそのモノに自我が芽生えてしまうことがあるんだ」

「どういうこと?」

「怪談は人の噂から生み出されたものだから、噂に出てくる場所でしか行動できないんだ。けれど、自我があるモノには関係ない。「三森」がまさにそうで、最近教室以外でも彼を見かけるようになった。『教室で身代わりを探す生徒』という枠の外に出てきちゃっているんだ」

「ふうん」

「なにするかわからないからね、放っておけないんだよ」


 恐れているというより、まるで幼い子供を心配するように。池上は小さくため息をついた。


「…まるで親みたいじゃないか」


 彼は困ったように微笑んだ。


「怪談を生み出したのは人間だからね、親みたいなものだよ。子供が知らないところで怪我したりするのも心配だし、人様に迷惑をかけたら責任をとるのが親だろう。だから、ある程度成長するまでは見守ってないといけない。

 それで、どこまで移動できるようになったんだい?」


 そう、僕に尋ねてきた。


「先週は廊下、今週は二階の美術室付近で見かけたけど」

「校舎内ならどこでも移動できるよ」

「そこまで移動できるのか」


 池上は、まるで子供の成長を見届ける親のように微笑んだ。


 引きずり込まれたのは一瞬だった。

 鏡の向こう側には見慣れた廊下が映り、鏡の端に花が添えられているのが見えた。きっとクラスメイトが置いたのだろう。こちら側の空間は暗闇で、先に進むことはできなかった。何年も閉じ込められていた。

 いつからだろう、気づいた時には教室にいるようになった。いるのは必ず放課後で、誰も教室にはいなかった。歳月は流れ、教室以外にも移動できることを知った。


「…それで、君は何をしにきたんだ? 僕を消すのか?」

「消す?」


 予想もしない発言だったのだろう、池上は目を見開き驚いていた。


「お祓いみたいなことをするんじゃないのか?」

「俺に除霊できるような力は持ってないよ。そもそもそれは君の身体が見つかって、君自体が幽霊だったらの話だ。体が見つからない限り、三森という存在は生きてもいないし死んでもいないことになる。君は怪談そのものなんだ。

 …まあ、君を消す方法はある。あの鏡を処分すればいい。君の存在はあの鏡の怪談に繋がっているからね。鏡を処分すれば鏡の怪談は徐々に人々に忘れられる。そうすると、鏡に関連した「三森」も忘れ去られるようになる。けれど、怪談を抹消できたからと言って君の身体が戻ってくるとは言い切れないし、もし戻ってきたとしても死んでいる可能性が高い」

「じゃあ、君がここに来た理由は?」

「興味だ」

「?」

「「三森」は身代わりを探している生徒として何年も話が受け継がれている。だけど、実際に身代わりになった人間はいない。自我が生まれた君ならできるはずなのに、人に危害を与えることなく存在している。無害な怪談はいったいどんなものか、気になったんだ」


 だから消すなんてもってのほかだ。彼は言う。

 …なんてことだ。目の前に化け物がいるっていうのに、目の前の少年は単なる興味で僕に会いに来たというのか?


「今から身代わりにされるかもしれない、とは考えないのか?」

「だって、話している間いくらでもできたじゃないか。でも君はしなかった」


 怪談を信用するなんて、僕も舐められたものだな。呆れと彼の警戒心の無さに、笑った。


 

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三階の鏡 甲藤 @kouhuzi

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