第3話 転生の間1
闇がどこまでも広がっています。
その中に、ぽつんと小さな光がありました。
椅子です。
黒いキャスター付きのオフィスチェアのようです。
シンプルな肘掛けにはぶ厚いクッションが付いていて、メッシュ状の背もたれが高く伸びています。
その椅子の上に、小学4年生ぐらいの男の子が膝を抱えて座っていました。
男の子の椅子にしては大きいですね。きっと、その男の子のお父さんの椅子なのでしょう。
絶対に守られている、そんな安心感のある椅子でした。
男の子は唇をきつく結んで、ふさぎ込んでいます。
抱えている膝に時おり爪を立てて、必死に耐えているような、つらそうな顔をしていました。
野球クラブのユニフォームはところどころ泥で汚れていますが、トラックに跳ね飛ばされた時の擦り剥けた跡はありません。
きっとその姿が、彼のイメージする彼自身のいつもの姿なのでしょう。
音の無い、光の無い世界で彼はぽつんとつぶやきます。
「どうせ、僕が悪いんだろ」
声は響かず、闇に消えていきます。
ですが、まるでその声を聞き入れたかのように一条の光が上の方から差し込んできました。
男の子が座っている椅子の正面の床を照らします。
「そんなこと、ありませんよ」
光の中から声が聞こえました。
男の子はとっさに顔を上げて、光が差し込む根元の方を見つめます。
その光の中を、それはそれはとても綺麗な美しい大人の女性がゆっくりと降りてきました。
煌びやかな羽衣を身にまとう彼女は、穏やかな瞳で男の子に微笑みかけます。
「初めまして、高梨 才共(としたか)くん」
やがて男の子の目の前に降り立った女性は言いました。
「私は運命の女神です。あなたが妹の依子ちゃんを守ったところ、ちゃんと見ていましたよ」
膝を抱える才共くんの頭を、女神さまは優しく撫でてやりました。
才共くんの目から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれます。
ずっと堪えていた感情が噴き出してしまったかのようでした。
女神さまは才共くんが泣き止むまでずっとそばにいました。
気持ちがほぐれた才共くんは、女神さまに気をゆるして甘えます。
それを察した女神さまは、才共くんを抱え上げて、黒いオフィスチェアに座りました。
「よしよし。寂しかったんですね、才共くんは」
「……おばさん、いい匂い。お母さんみたい」
「おばっ!? ……そうですね、おねえさんの事は『女神さま』って呼んでくださいね」
「女神さま」
「はい、よくできました」
まだ気持ちは若い女神さまは才共くんをあやしながら、優しく語りかけます。
「依子ちゃんとは仲良く遊んでいましたか?」
「うん、でも」
「でも?」
「……あのゲーム、お母さんに最後に買ってもらったんだ」
「そうだったのですね」
「楽しかったけど、でも、絶対にクリアしたくなかったんだ」
「あら、どうして?」
「ゲームが終わったら、お母さんとの思い出が終わっちゃう気がして、怖くて」
「……そうだったのね」
「だからずっと、最初の町でレベル上げだけしてたんだ。それだけで楽しかったんだ」
「うん、うん」
「だけど、依子が、先に進めちゃって、それで……」
才共くんは、自分がどうして怒ってしまったのかを説明します。
そして、それをとても後悔しているようです。
再び沈黙した才共くんを、女神さまはずっと抱き続けました。
「ねえ、どうしてあのゲーム、レベル50で止まっちゃうの?」
「……ふぇ?」
落ち着きを取り戻した才共くんの唐突な疑問に、女神さまは戸惑います。
「ぼく、ずっとゲームしていたいのに。レベル50までなんだ、あのゲーム」
「そ、そうですか……」
「だから、レベル50になったらセーブ消して始めからやってたんだ」
「そうだったのですね」
「ずっと続けばいいのになぁ」
「そうですねぇ……」
女神さまは才共くんを椅子におろして、きちっと座らせます。
そして椅子から少し離れた前に立って両手を広げます。
すると、女神さまの周囲に様々な風景が映し出されました。
「才共くん。妹を助けるために力を振り絞った勇敢な心を持つあなたは、勇者として選ばれました」
「勇者? ぼくが?」
「あなたが住む世界と異なる世界では、人々が勇敢な戦士の登場を待っているのです」
「異なる世界?」
「うーん……例えば、そう。才共くんが好きなゲームの世界。……とか、それに似た世界。その主人公になってほしいのです」
「うんいいよ」
「軽っ!? えっと、その世界ではモンスターも出てきてとても危険なのです。覚悟はよろしいのでしょうか、本当に」
「いいよ、依子と一緒なら、どこだって」
満面の笑みで才共くんは答えます。
ですが、女神さまは少し困った顔をしてしまいます。
「そうですか……。実はですね、新しい世界に生まれ変わることができるのは、才共くんだけなのです」
「依子は?」
「残念ですが、転生することができるのは命を懸けて誰かを助けた勇気ある者だけなのです」
「……やだ」
「え?」
「じゃあ、行かない! 僕は依子とずっと一緒にいる!」
才共くんは大きな声で言います。
「お母さんと約束したんだ! 僕が依子を守るって!」
それを聞いて、女神さまは真剣な表情になり少し考えます。
そして、笑顔でこう告げました。
「わかりました。依子ちゃんも一緒に行ってもらいましょう」
そして、才共くんに近づいて優しく頭をなでます。
「立派なお兄ちゃんになりましたね、才共くん。これからも依子ちゃんと仲良くしてくださいね」
「うん!!」
女神さまは才共くんの瞳に灯る熱い炎を感じて、心を震わせるのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます