浴室から出たわたしは、足音を殺して自室へと向かう。

 部屋へ入いり、鞄の中から携帯電話を取り出す。警察にはかけない。正気を失った娘と直接話すのは躊躇ためらわれたので、自宅へと電話をかけた。

 もちろん、娘の事だから電話には出ないだろう。だが、留守電は聞いてくれるかも知れない。冷静になるように娘へメッセージを吹き込もうとしたが、顎が外れているので上手く言葉を喋れなかった。

 あきらめて電話を切る。

 意を決して、娘の部屋へと向かう事にした。



 ノックをせずにドアノブを回すと、鍵は掛かっていなかった。

 娘の部屋へ入る。やはり不在だった。

 数年振りに娘の部屋へと足を踏み入れたが、室内は綺麗に整頓されていた。出窓に飾られているぬいぐるみに懐かしさを覚えて、そっと手を伸ばす。

 それは、娘が幼い頃から大好きな、〝魔法の国のお姫さま〟のペットのキャラクターだった。それに影響を受けてか、娘もよく自分をお姫さまだと言っては、真似をして遊んでいた。

 そんな思い出にふけっていると、痺れて麻痺していた顎がふたたび痛みはじめてきた。


 ──このままだと殺されるかも知れない。上手く状況を説明すれば、娘の罪は軽い物になるはずだ。助けを呼ぼうと考えたが、携帯電話を部屋に置いてきた事を思い出す。

 携帯電話を取りに戻ろうとドアへ近づいた時、階段を昇ってくる足音が聞こえた。

 慌てて部屋の鍵を閉める。ほどなくして、ドアノブが数回動く。立て続けに、娘の罵声とドアを激しく叩く音が部屋中に響いた。

 やはり、このままだと殺される……なんとか助けを呼ぼうと室内を見渡す。

 本棚に目が止まり、適当に本を一冊取り出した。数ページ破ると、机に置いてあったペンを掴んで「助けて」と何枚も書き殴る。

 そしてそれを、紙飛行機に折って出窓から投げた。


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