第65話

 認めたくなかった。

 尊敬した勇者は帰らず、父の帰りを待っていた俺と妹には形見の剣だけが届けられた。その剣を受け継ぎ、勇者として大成することこそが俺の生まれた意味、孝行、宿命と信じた。それを肯定し導く教団の存在は、総教皇の言葉は都合がよかった。


 あれから十年。

 この場で、十年前から積み重ねてきたものが根底から否定された。

 与えられた勇者の役割。信じてきた教団の権威。


 ここで負けたままでは、目の前の男にすべてが奪われる。偽物とはいえ父の服を来て勇者を名乗り自分の前にたちはだかる。最初はなんの冗談だと思ったが、ことここに至ると、因縁めいている。

 倒してみせる。


 渦巻く炎が男を包む。魔王四魔精との融合などうまくいくはずがない。万に一つどころか兆に一つもありえない。そんなものに賭けるなど死に急ぐ愚か者のやることだ。俺なら絶対にやらない。うまくいくはずがないからだ。


 それなのに。

 なぜ目の前の男は、それに成功するのだ。

 紅蓮の炎を身に纏い、群青の瞳が俺を映す。


 魔界の中でも最上位精霊とされる四魔精、灼熱炎魔と適合した者。

 実際に確認された記録は一切存在せず、伝承にしか存在しないとされる存在。

 炎魔人。


「あ、バールのようなものが溶けてる」

 炎魔人は持っていた鉄の棒を放り出し、近くに転がっていた黒尽くめから剣を奪い取る。


「お、これ装備できるぞ。これにしよう」

 教団に勇者と認定されていないとはいえ、勇者候補生には教団から最高級の剣が支給される。炎魔人の熱量でも耐えられるのだろう。

 俺は剣を構える。


 勝負は一瞬、最初の接触で決着がつくだろう。どちらがより速く、より鋭く斬れるか。原始的で本質的な剣の勝負。

 今まで積み重ねてきた経験と、生まれながらに持つ才能。

 およそ剣士のすべてを構成する全要素の比較。

 これほど単純明快な解決はない。

 どちらが真の勇者と呼ぶに相応しいか。


 炎魔人の持つ剣、その刃にまで火が渡り包まれる。

 魔法剣。

 魔法を武器に付加し強化する高等技術だ。通常、魔法使いと剣士の合わせ技か、熟練の魔法剣士のみが可能とする。


 あの一撃を受けるわけにはいかない。俺の鎧でも防ぎきれない。

 炎魔人が動く。俺は受けの構えに切り替えた。あの炎の剣を見逃さない。剣筋を見切り、その隙を斬る。カウンター気味の必殺剣。


 走り出した男の剣は上へ下へ揺れる。

 剣から目を離すな。絶対にあの剣を受けてはならない。受けずに済めば、こちらの勝ちだ。

 接触する、その一瞬、男の剣は動き――――


 男の手から離れた。

 数瞬、反応が――理解が遅れた。魔法剣に当たりさえしなければ――その意識が、前提が足を引っ張った。


 魔法剣は――――

 炎魔人に懐に潜り込まれる。

 囮――――

 燃え上がった剣は地を跳ねる。

「〈ファイエル〉」

 眼下から巻き起こる衝撃と爆炎。

 鎧をたやすく貫いたそれは、俺を背後の壁まで押しやった。


 そう、俺は思い違いをしていた。

 これは剣士の決闘ではない。

 これは勇者としての――――

 崩れる瓦礫と意識の中、最後に見たものは、

 男に駆け寄る、俺が守ると誓った彼女、そして――――

 苦々しく怒りに歪む総教皇猊下の顔だった。



「〈グラビエスト〉」




 ◆◆◆




 昔、布団を運ぼうとしたとき、何枚も一度に運ぼうと担いだことがある。すると存外布団は重くて、その場に下敷きにされた。

 今、そのときの気分を味わっている。


「どいつもこいつも、いつの世も役立たずばかり」

 俺とミツルとマオは地に伏していた。とんでもない重さが体にのしかかり、地に押し付けられているのだ。俺たちだけではない。ほかの連中や建造物を見るに、この会場全体に何か重しでものっけられているようだ。


「何も決められず何も変えられず、ただ喚くしか能のない愚民の分際で」

「重力魔法……」

 マオの呻きに俺は理解する。なるほど、これは総教皇の。

「お前たちは黙って言うことを聞いていればいいのだ。余計なことをするな考えるな。そうすればすべてうまくいくのだ」


 総教皇はゆっくりと、鷹揚とでもいうような足取りで近づいてくる。

「ただ無益に生涯を浪費するお前たちに役割を与えてやったのに、なんだこのざまは」

 倒れている勇者一行を見下す総教皇が手をかざせば、どこからともなく槍が飛んできて、その掌中に納まった。あの紫色の槍は、総教皇の部屋で見たやつだ。


「もういい。この場の不確定要素はすべて直々に始末してやる」

 なんとか起き上がろうとするが、さらに重くなって抑え込まれた。くそっ、底なしかよ。


「あとは代わりのものに挿げ替えれば、すべて元通りだ」

 炎が体から引いていく。多分これ限界だ。やがて炎すべてが俺の体から離れ、そばに留まったと思ったら、ふっと消えた。


 あとに残ったのは、赤い髪と服の小さな女の子だ。

 なるほど。恩、ね……。

 さんざん食わせてやったもんな、と場違いな納得をしつつ、俺はなんとか顔を上げる。


 状況は最悪だ。全員手の内を見せ切って力も使い切ってる。ラスボスが控えてるのに中ボスで燃え尽きてるパターンだ。まさか総教皇がこんな武闘派だったとは。こいつ、こっちの消耗と観察のためにずっとこの時を待っていやがったな。勇者一行が俺たちを仕留めるならシナリオ通り。そうでない大番狂わせが起これば自らの手でその収拾をつける。これが大人のやることか。


 ミシッミシッ。体が潰れる感触。骨がきしんでる。中身が出てきそう。

 もうだめか。

 俺が目を閉じたとき、ふっと体が軽くなる。いや、依然として重いが、今までよりはマシになった。


「っ……」

 マオが呻きつつも、杖を天に向けて膝をついていた。

「ほう。反重力魔法ですか。しかし、自然重力に重ね掛けするこちらと違って、さぞ大変なことでしょう」

 総教皇の嘲笑を肯定するように、立ち上がろうとしたマオは、どんどん抑え込まれていく。

「もう、魔力が……」

 これでは元の木阿弥だ。


「もっと範囲を身近なものだけに限定すれば……いやはや。その善良な精神は見事」

 裁判所全体にかかる重力魔法に対して、それを真正面から受け止めた形か。それはさぞ魔力も消耗するだろう。


「その高潔な精神を受け継ぐ者がいないとは、不憫ですね」

 暗に自分は語り継がず、歴史の闇に葬ると宣言する男は槍の先を自身が選び担ぎあげた勇者に向けた。


「まずは期待外れの失敗作から」

 その背後を覆う影。

 振り降ろされるメイスを槍の柄は難なく止めた。

「おや、まだ動けたんですか」

「おらぁ頑丈だけが取り柄でね」

 ミツルに殴られたためか、頭から血を流した男は不敵に笑う。マオが抵抗したとはいえ、この重力下で動けるとは。


「そのようで。それで、神の代行者である私に狼藉とは何事ですかな」

「わりいが俺は無神論者でね。俺は俺の勇者様に従ってただけさ。いるんだかわからん神様より、俺は目の前の兄ちゃんに命を託してるんだ」

「では異教徒らしい扱いをして差し上げましょう」

 槍の横払いをバックステップで避けて、こっちに来た。それを追撃しようとした総教皇の足元に氷の塊が突き刺さる。総教皇がおっさんとの戦闘に集中したからか、こちらの負荷は軽減された。身動きはとれんが、死ぬほどの重さは感じない。総教皇からすれば、この場にいるやつを今押し潰さなくても、逃がさなければそれでいいってわけか。


 差し迫る危機を回避できて気が抜けたのか、再び倒れるマオ。その眼前で勇者の仲間は戦う。

「悪かったな、嬢ちゃんたち。後始末は俺らがやっておくから心配すんな」

 槍の攻撃を避けきれなかったのか、脇腹から血が流れているが、大した傷ではない。


「おい、さっさと回復魔法かけろよ。いつも言ってるだろ。些細な傷もどんな深手になるかわからんから」

 仲間の叱責に魔法使いは首を振る。

「さっきからやってるわよ! でも治らないのよ」

 杖を振り回すが、何も起こらない。杖の先端が光っているから、魔力は使っているようだが。

 おっさんも傷口に触れるが、治ることなく血は流れ続けている。


 この動揺がいけなかった。

 それは総教皇に攻撃の隙を与えることになり、槍の刃はおっさんの右大腿部を深々と切り裂いた。これはすぐさま治療しなければ命にかかわると素人目から見ても明らかだ。


「さて、詰めとなったので種明かしをしましょうか」

 槍から滴る血を振り払い、総教皇は元・信者たちを睥睨する。

「神より賜りし、この槍。名を反魂槍はんごんそう。その神秘性は〝不可逆〟。この槍による傷の前では、ありとあらゆる回復・蘇生――一切が無力」


 つまり一度でも食らったら永続ダメージってわけか。死ぬまで。下手な毒よりよっぽどたちが悪い。これが総教皇の――日ノ本鎮の転生特典ってわけか。あの神様、厄介なもの渡しやがって。


「さてどうしますか。このままでは失血死ですが、安静にしていれば少しは延命できるでしょう。自らの行いを懺悔すれば、その時間くらいは恵んで差し上げても」

 総教皇の言葉は最後まで続くことはなく、メイスはその顔に振るわれた。苦も無く防がれる攻撃だが、それでもおっさんは平然と笑う。

「ありがとよ。おかげで手当ての手間が省けたぜ」


 決死の覚悟。屈して命乞いをするより、最期まで戦い抜くと決めた。それは誰の目にも明らかだった。

 しかしその攻撃は軽い。当然だ。軸足を斬られ、現在進行形で大量出血。力も入らない、バランスが崩れてる。


「愚かな」

 それだけ吐き捨てて、槍は横一文字に振るわれる。直後、太い首に赤い線が走り、血が噴き出した。

 頸動脈への一撃。


 くずおれる男をそのままに、総教皇は歩みを進める。

「さて、あなたのお考えを聞きましょうか」

「決まってるでしょ!」

 氷のつぶてが雨のように降り注ぐ。さながら散弾銃だ。

「神より愛よ! 惚れた男に尽くして何が悪いっての」


 まるで霰を払うように防いだ総教皇はため息をつく。

「俗物そのものですね。どいつもこいつも不心得者ばかり」

 俺は横に目を向けた。マオもまた俺たち同様に倒れたままで、万事休すといった様子であった。もう頼りにはできない。もはや残された手は……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る