第66話

「頼みがある」

 俺はマオにささやき、手を伸ばす。

「反重力でも補助魔法でもなんでもいい、この状況でも俺が動けるようにしちゃくれないか。俺だけでも逃げたいんだ」


 マオは驚いた顔をして、すぐに安堵したように笑ってうなずいた。

「残った魔力のすべてをこめれば、短時間ですが動けるようにはできます」

 伸ばした手をマオが握る。視界の端でミツルが何か言いたそうにしていたが、結局口は開かれなかった。


 体が軽くなる。俺は立ち上がり、繋いでいた手を名残惜しくも離した。

「悪いな。本当なら、この手を引いて、どこまでも連れて行ってやりたかった。もっと一緒に冒険したかった」

「いえ。あなたが生きてくれるなら、それだけで私は」

「ああ、それも悪い。その話は嘘だ」

 そうでも言わんと、お前が力を貸してくれなさそうだったからな。


「そんな……」

 マオの悲痛な声を背に、俺は総教皇を見やる。総教皇もまた、始末した魔法使いの体から槍を引き抜き、俺に目を向けた。

「逃げるならいつでも構いませんよ」

「いいや、逃げねえ」

「ほう。では今までのあなたの頑張りに敬意を表し、望むものを与えましょう。何がお望みですか? 女、金、力、土地、名声、地位……」

「全部いらねえ。てめえのもらいものなんて、また死んでもいらねえ」

「教団選定の勇者なんてどうでしょう。そんなレプリカの服で甘んずることなく、これで名実ともにあなたは真の選ばれし者だ。類まれなる才も人脈ある血統もないあなたには、望むべくもない、身に余るほどの栄光です」


「いい大学出てエリートコースに乗ってもわかんねえもんだな」

 怪訝そうにする名門大学主席卒業・事務次官出身代議士に向かって高校中退は言う。

「勇者はガタイやコネでなるんじゃねえ、生き様でなるもんだ」

「そうですか」

 槍が腰だめに構えられる。わかりやすい刺突の体勢だ。

「では、その崇高なる精神へ敬意をこめて、楽に送って差し上げましょう」

 対して、俺は拳を構える。もはや武器も作戦もありゃしねえ。狙うは素手の裸装備でラスボス戦低レベルクリアだぜ。落ちてる剣はあっても融合なしじゃ装備できないから、殴り倒すしかねえ。


 何度目の詰みだよ、まったく。

 それでも後悔はない。結果としてこれで死んだとしても、今度は胸を張れる。今度は努力の方向性を決して間違えちゃいなかったと声を大にして言える。


 槍による突撃。ちくしょう、全然リーチ足りねえじゃねえか。こうなったら刺された瞬間にクロスカウンターで――――

 前のめりになった俺の体は、横から突き飛ばされた。


 そのとき舞った血は、俺のものではない。

「ズガンヅ……キュラス……少し待っていろ」

 胸を貫かれ、背中から槍の穂先が飛び出している。

 その傷をそのままに、そいつは剣を振り下ろす。


「冥土の土産に、この男をつれていく」

 槍を掴んだそいつは片手で引き抜く。総教皇の斬り落とされた両腕がぶら下がる槍は、一転して持ち主に狙いを定めた。


「やめろ。その槍を」

 腕を失った総教皇は後ずさり、いや、結局その場でつまづき転ぶ。

「その槍を私に向けるな!」

 肉を切らせて骨を切る。

 その手は奇しくも俺と同じ――――


「私はこの世界に必要な存在だ!」

「貴様はこの世界に必要ない!」

 自分が選んだ勇者、自分が神から授かった槍によって頭を貫かれた転生者は、それきり動かなくなった。再生魔法や復活アイテムがあろうと、その槍はすべてを無力化する。


 槍から手を離したそいつはマオのところへ行こうと足をゆっくり動かす。しかし届かないと悟ったのか、力なく手を伸ばし、やがて糸が切れたように倒れた。

 立ち上がった俺は駆け寄る。重力による抑圧がなくなったのか、マオ達もそれに続いた。


「…………これを」

 駆けつけたところで、何もできない。かける言葉もない。膝をつき黙って見ているしかない俺に、そいつは口を開いた。

「父から受け継いだ剣だ」

 おぼつかない腕の運びで、持っていた剣を俺に渡そうとする。自然と体が動き、受け取った。


起始剣きしけん。代々勇者が連綿と継承してきた神剣。俺はもう使うことはできない。君に託したい」

 その胸にぽっかりと空いた穴。

「バロン・ルメド・スーフィ・ラフォンの名において、この剣を君に譲渡する」


 塞がることのない傷からあふれる血に目を背け、俺はうなずくことしかできなかった。

「感謝する。……もっとはやく君に会えたなら、俺は本当の勇者になれただろうか。与えられた役割ではなく、己の守りたいものへ一心に向き合えただろうか」

「なれただろ。たった今、お前だって勇者だ」

「いいや。ここで倒れるなら、どこまでいっても結局、俺は偽物なんだ。でも、それでいいんだ。こういう末路は、勇者になれなかった偽物がふさわしい。誰もが思い描き憧れる勇者には似合わない」


 そこでようやく、今まで見てきた仏頂面が変わった。

「認めよう」

 安らかな笑みを浮かべて、

「君が勇者だ」

 勇者になろうとした少年は逝った。

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