第61話
正しい選択だったと思う。
牢に入った彼女から俺は目をそらす。あのまま戦えば、誰かが死んでもおかしくはなかった。彼女が素直に我々に連行されるという選択は、もっとも無難な選択であった。あの場をやり過ごせたとしても、教団から指名手配されれば生涯あらゆる組織・市街から追われる身だ。いずれ捕捉される。いたずらに消耗・疲弊するよりは、よほどいい。
薄暗い地下には、俺と彼女しかいなかった。あの二人は二度寝だの朝食だので外れている。俺は、どちらもする気にはなれなかった。彼女に会ってから一睡もできず食べ物ものどを通らない。
彼女との会話は皆無。ここに来てから一度も口をきいていない。話すことは……あるが、切り出せない。いったい、どの面をさげて声をかければよいのか。
彼女は多分、あの旅が幸せだったんだと思う。だからこそ、自分から静かに旅を終えたのだ。これ以上仲間が傷つかぬように、これ以上思い出が損なわれないように。
俺はその幸福を奪った。彼女を守ると誓って勇者になった俺が。
「待たせてすまないね」
俺にそれを命じ強いた者が現れた。
「いえ」
「残り二人は」
「捨て置きました」
情けというよりは、償いに近かった。気絶と降伏で手打ちにしたのは、男の安否を気遣い回復魔法を掛けた彼女の意思を尊重した。転移魔法でこちらに戻り、飛竜を連中にくれてやったのも彼女への謝意を表したようなものだ。ズガンヅと揉めていた女に男のことを頼んだ彼女は安堵し、こちらに一切抵抗することなく従ってくれた。
「まあ、それもいいだろう。追い詰めたらどんな牙をむくかわからない」
「大した強さは感じませんでしたが」
総教皇猊下は意味深に微笑み、俺から目をそらした。
「多かれ少なかれ、神の加護を受けたものたちです。どんな能力・武器を授かったかは、まさしく神のみぞ知る」
「つまり、猊下をもっても関知しえないと」
「ええ。この世で不確定要素ほど恐ろしいものはない。パンドラの箱など開くことなく、捨ててしまえばいい」
「そうですか」
よくわからないたとえだが、藪蛇ということなのだろう。
「さて」
総教皇猊下が牢の中を見る。合わせて、彼の背後から黒づくめが現れた。その黒布の隙間から腕輪が取り出される。無機質な、分厚い灰色の鉄板を丸くくりぬいたようなそれは、俺にも見覚えがあった。
「つけなさい」
無抵抗に捧げられる細い両の腕に、それははめられた。
魔封じの腕輪。
魔力を吸収・阻害・封印する道具だ。修行や拘束で使用される。
「それは特別製でね、つけた瞬間に魔力は尽きるまで吸われ続け、許容量は無尽蔵。自力では解除不可能の堅牢性」
「一時的な拘束にしては厳重ですね」
彼女がここに連れてこられた理由は聞かされていない。彼女がそこまでの大罪を犯したわけでもなかろうし、軽い尋問くらいで解放されるだろう。
「これから処刑だからね」
気軽に、まるで今日の朝食を語るように言った。
「なぜ」
それしか言えなかった。
「そう驚くこともないだろう。半年先の予定が前倒しになっただけだ。今日の夕方に処刑が予定されていたからね。これはちょうどいいと思ったんだ。彼女と順番を入れ替えればちょうどいいだろう?」
「それほどの大罪人だと。いったい彼女が何を」
「そういう生まれだからだよ」
総教皇猊下の微笑みは揺るがない。
「生まれ……?」
「ふむ」
猊下はそこで俺の疑念に感づいたのか、自身の顎を撫でた。
「君はひょっとして、今の自分の地位が自分のたゆまぬ努力の賜物だと思っているのかね」
「…………否定はしません」
「それも生まれによるものだよ」
彼は――この世界の理は断言した。
「勇者の子供として生まれたから勇者になれた、ただそれだけのこと。誰しもそう。才能、人種、環境……ありとあらゆるものは、生まれたときすべて定められたもの。富める者から生まれた子は豊かな生を、貧しき者から生まれた子は苦しむ生を。与えられた役割を演じるだけの存在。それが人間の本質。『人は平等。努力で報われる』――――片腹痛い。努力も才能の一端だ。たまたまその才能が多いか少ないか――その誤差でしかない」
「……そこに、個人の意思は関係ないのですか」
「ない」
断言は続く。
「願えば叶うというのは、人が見る幻。そこには意思など介在しない。あるのは不確定要素がもたらす偶発。奇跡という信仰とでも言おうか」
話はそれまでと言わんばかりに、彼は俺に背を向けた。
「あなたにとって、命とは何なのですか」
最後にひとつ、俺は疑問をぶつけた。
「命とは」
総教皇猊下は数秒だけ黙って、
それから、
「命とは、数。多いか少ないか、早いか遅いかのズレをもつ」
背後を向けた彼は天井を見上げる。
「処刑は今日の夕方。執行者は」
俺は耳をふさぎたくなった。この先の言葉の内容――わざわざこの話をすることの意味を理解してしまったから。
「バロン・ルメド・スーフィ・ラフォン。我らが選んだ真なる勇者。君だ」
「…………」
「自らの役割を果たしたまえ。御父上のような勇者になりたいのだろう?」
「…………」
「そのために君は、生まれてきたのだから」
部下をともなった足音が遠のく。
俺は、ゆっくりと彼女を見た。まるで己の動揺を映し出すように、背負った剣が揺れる。
うつろな瞳が、諦めきった少女がいた。
そんな目で見られるために、そんな顔を見るために、
俺は……
◆◆◆
「やっと起きたか」
目を覚ますと、そばでスマホをいじっていたミツルが見下ろしていた。どうやらあのまま木の根を枕に落ちていたらしい。
「今は昼過ぎ。マオはさらわれた。アーシらに用はないから、そこの飛竜でも使ってどこへとでも行けってさ」
「簡潔な状況報告ありがとよ」
それはそれとして。
「なんでお前戦わなかったんだよ」
「なんでアーシがそんなことしなきゃいけないんだよ。別にアーシ自身がどうなるわけでもないし」
ま、こいつにそんなこと期待する方が馬鹿か。少しは仲間意識があると思ったんだけどな、お互いに。
「それで、次はどうすんのよ」
「次って」
「あの子は連れていかれたし、このまま監禁か処刑でしょ。それをどうこうできる力はアータにはないんだし。切り替えて、次は何をするのかなって。また困ってそうな女の子でも探すの?」
「なんだよそれ」
ふらつく体を無理やり起こしてミツルに向かい合う。
「マオは見殺しにしろってことか」
「違うの?」
スマホから目を上げたこいつはまったく悪びれも悲しそうでもなかった。ただ事実を事実のまま述べているというだけの顔。
「お前なんとも思わないのかよ」
「人間ってのは生き死にをずいぶん重く考えるけどな、生きてりゃ誰だって死ぬんだよ。遅いか早いかだけの違いだ」
「だから無慈悲に殺されてもしかたないってか。ふざけんな」
「あのな、なんか根本的なところから勘違いしてねえか?」
そこで――――俺はここで初めて、認識のずれを感じた。目の前のこいつは、そこいらにいる素行の悪い女子だとずっと思っていたが、実際はこいつは神の孫娘だ。価値観が、人間のそれである保証なんてどこにもないのだ。
「一六〇〇〇〇人」
「なんの人数だよ」
「アータが前にいた世界の一日に死ぬ人間の数。それを聞いて涙の一粒でも出るか? 出ないだろ? アーシの感覚じゃ目の前の人間がどれだけ死のうがそんなもんなんだよ」
超然とした、非人間的な感覚。こいつにとって、親しい人間の死は足元の虫けらの死とイコールなのだろう。
「人間ってのはどいつもこいつも土壇場の神頼みが大好きみたいだが、この際はっきり言ってやる」
その目は人の情などまったく宿していない。
「神は人を救わねえ」
実際、そうなのだろう。困ったら救いの手を差し伸べるような神は幻だ。当人の証言もある。だから、それが神として正しい行いなのだろう。
でも俺は違う。
「俺は助けに行くぞ」
「で、まーた同じこと繰り返すってわけ?」
相変わらず冷めた口調。
「言っとくけど、次なんてないからな。次死ねば、アータの魂なんてものは自我も記憶もそぎ落とされて輪廻に還される」
事実上の――本来はそうあるはずだった死。
「ジジイがどんな細工してるか知らないけど、たまたま出会っただけの子にそこまでする理由なんてあるの? 安い恋愛ドラマじゃあるまいし」
冷徹に、機械的に考えれば反論の余地などない。たしかにこんな別れは悲しい。しかし、命を懸けるほどであろうか。自分の力量で、できる範囲のことはやった。手は尽くした。それでだめだった。それでいいではないか。失敗は恥じゃない、次に活かせばいい……
「友達だから」
だけどな、俺はそこまで神様でも機械でもない。しょうもなくてみっともない人間なんだ。
「初めてできた、友達だから……」
こいつを説き伏せる言葉なんて持ち合わせちゃいない。ただ、俺は俺の心に従いたかった。
「あほらし」
心底あきれたような口調で、ミツルは歩き出す。
「馬鹿は死ななきゃ治らないって言うけど、死んでもだめだな」
「おかげで意外と早く元の世界に戻れるだろ?」
俺の皮肉はそのままに、
「アーシは降りる。無駄死にしたきゃ勝手にやってな」
飛竜にまたがったミツルは、こちらを振り返ることなく飛び去って行った。
そのとき風が巻き起こり、一枚のビラが飛んできた。掴んだそれを広げてみる。それから俺は残った一匹に目を向けた。
どうやら、時間は残されていないらしい。
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