第60話

「わざわざこんな朝早くにすまなかったね」

 伝令の言う通りに総教皇猊下の部屋に向かうと、はたして部屋の主は窓の外を眺めて待っていた。


「いえ」

 結局一睡もできなかった。俺はモヤのかかった頭を覚まそうと、一度深く息を吸った。


「珍しく昨晩はたいそう騒いだようじゃないか」

「…………」

 否定しようと思ったが、その言葉は飲み込み胃に押し込んだ。まさか馬鹿正直に『何者かに無銭飲食のツケを払わされた』と言うわけにもいくまい。とんだ面汚しだ。


「お騒がせしたことについては謝ります」

「いやなに。今のは枕詞というか世間話だよ」

 その件の説教というわけでなければ、なんであろうか。次の任地の指定にしては早すぎる。わざわざこんな夜明け直後でなくてもよいだろう。


「私が嫌悪しているものが、何かわかるかね」

 依然として窓の外に目を向けて猊下は問うた。

「異教徒でしょうか」

「そうだね。だがもっと本質的なものだ」

「総教皇猊下のご意志に背くもの、かと」


 小さなため息が聞こえた。

「正解ということにしておこう」

 ため息をこちらもつきたいところだ。こういった謎かけは嫌いだ。

「私はね、愚者というものが大嫌いなんだ。憎悪といってもいい」

 その声にはわずかな怒りが滲んでいた。


「無能というものは、ただ能力がないものを言うのではない。能がないくせに悔いることも省みることもなく、同じ過ちをいつまでも繰り返す。こちらがどれだけ教えを説いても、どの面下げてか拒否をする。それで自滅するならいざ知らず、厚顔無恥に他人の足を引っ張る。自分は悪くないと居直って、学びもしない。真っ先に切り捨てるべき悪だ」

「おっしゃる通りかと」

「民とは、黙する羊であればいい。衆愚の考えなどあっても百害あって一利なしなのだから。黙って上に立つものに従えばいい。それで皆が幸せになれる。ただ与えられた餌を食べて肥えていれば、何の問題もない。何かを勘違いした無能が権利や個性を主張する。これはいけない」

「私にその無能を始末せよ、と」

「それは最終手段だ。ここに連れてくればいい」


 捕縛・拉致・暗殺・討伐……言い方はどうでもいい。つまりはそういうことなのだろう。それが魔物か無法者かの違いだ。今までずっと――勇者と認められてからずっとこなしてきたことだ。


「私は教団の剣として、使命を全うするのみです」

「素晴らしき心がけだ」

 そこでようやく猊下はこちらを見た。


「善行を積み上げていけば、君も御父上のような立派な勇者となれる」

 その笑みに疑いはなく、俺はただ膝を折り跪いた。

 正しさとは、教義が定めるもの。そして教義を定める人物の言葉こそが真理である。


 ◆◆◆


「足いたーい」

「うるさい我慢しろ」

 そんな厚底ブーツ履いてる方が悪いのだ。


「次の街までいけば宿屋も馬車も使えますよ」

「ほんとー?」

「……きっと」


 マオの慰めにギャルはわかりやすいくらい肩を落とした。教団本部から抜け出してトルカの外まで出たはいいが、次の街につかないと今後の予定が決まらない。この道中でさえ、何事もない保証はないのだ。モンスターは出てこないらしいが……野盗とか出てこないだろうな。


「つーか直接会う必要ないじゃん。王様にメール出しなよ」

 後ろでぶつぶつ言ってる。

「めえる」

「手紙」

「なるほど」


 俺の隣を歩くマオは自身の顎に人差し指を置く。

「どう思いますか」

「望み薄だな。出し方と内容によるけど、そっくりそのまま届くとは思えない。途中で妨害くらうんじゃないか」


 検閲されて都合の悪い部分は黒塗りか、はたまた手紙そのものが闇に葬られるか。トモノヒ教の根幹すら揺るがす密告だ。不都合だと受け止められる側面というかリスクの方が強いだろう。


「王様と面識は?」

「ないと思います。少なくとも会った覚えはありません」

「そうか。ははは」


 ここまでくると笑えてくる。つまり初対面の得体の知れない少年少女が一大勢力の宗教の闇を暴いたと告発するのだ。こんなの誰が信じるというのだ。よしんば信じたとしても、立場上味方につけないではないか、こんなの。


「お。ヨユーじゃん」

「あたぼうよ」

 ミツルにへらへらして俺は自分の胸をどん、と叩く。


 つまり、なんとか王都に到着して、幸運にも王様に直接報告できて、奇跡で王制の庇護を確保してなんやかんやで教団を弾圧できればミッションコンプリートだ。

 あー笑えるの通りこして泣きてぇ。


「あ、UFO」

 そんなわけあるかと上を見上げれば、円盤かはともかく何かが二つ飛んでいるのは確かだ。

「あれは、飛竜」

「知っているのかマオ」

「竜の中でもおとなしく、乗り物として用いられる種と聞いたことがあります。乗り手の技術は必要なく、こちらの言葉や意図を理解して飛んでくれると」


 移動用のモンスターか。いいなぁ、欲しいなぁ。

 俺が羨ましく指をくわえていると、こっちに降りてきた。

「マオなんかしたか?」


 召喚魔法とかそういう系の。

「いえ、なにも」

「…………」

 エンカウントかこれ。やだなーもう。


「お、ヒッチハイクか? 乗せてってくれるんだな」

 後ろの馬鹿のポジティブシンキングはもはや芸術的である。

 こんな早朝の通行路にいるのは俺たちしかいなく、はたして二匹の飛竜は俺たちの前に着地した。近くで見ると軽トラくらいのサイズだな。


 一匹には男が一人。もう一匹には男が手綱を握り、その腰に女ががっちり手を回している。

 その竜から降りてきた三人は、見覚えがある。

 あのパレードで見た勇者御一行である。


 まずい。

「逃げるぞ」

「なんで」

「いや取り立てが」

「あ?」


 まったく状況が理解できていないミツルを置いていこうとしたら、この馬鹿が連中の前に出た。

「ちょうどよかった。次の街まで連れて行ってよ」

「あなたたちをトルカまで連行する」


 飛竜を背に、真ん中の勇者が言った。

「何言ってんのアータ。つーか、そこのオッサン昨日の」

 やべえよ、やべえよ。


「これは任意ではない。あなたたちに拒否権はない」

 もっとも、と勇者はやかましいギャルを無視して続ける。

「そちらの魔導士を引き渡すなら、残りはどうなってもいい」

 ん? 狙いはマオか? ひょっとして俺のことはバレてない? 


「あのー」

 俺は恐る恐る手を挙げる。

「変な話ー、この子だけ出頭すれば問題ないというか、この子にだけ用があるみたいな話ですかね」

「そう言っている」

 しゃあっ! 俺は心の中でガッツポーズを決める。なんだ、俺がこいつにメシ代なすりつけた件で追ってきたわけじゃないのか。


「じゃあとりあえず、顔出して挨拶だけ済ましに行くんで」

「まどろっこしいなぁ」

 勇者隣の魔法使いっぽい女の子が細長いペンのような杖で自分の肩をたたいた。

「だまって牢にぶちこまれてくれる? こっちは眠いんだからさっさと終わらせたいのよね」

「牢……?」

「要するにあんたらお尋ね者なわけ。まあしばらくは出られないんじゃないの。最悪獄中死」

「なら断る」

 マオが何か言おうと口を開いたのを尻目に、俺は言い放った。


「お前らはこのまま帰って飼い主に『見つかりませんでした』とでも報告しとけ」

「ふー」と鎧を着こんだおっさんが頭に手をやる。

「だから俺は言ったんだ。こんな通告なんてしないで上空から奇襲しろって」

「バロンー。もう戦闘不能にしちゃってから連行でいいよね」


 両サイドの二人に言われ、勇者は静かにうなずいた。

 行く道はこいつらにふさがれてる。戻れば向こうの思う壺。

 こりゃ逃げられない。

 ここで倒して進むしかない。


 手のひらを勇者に向け、空いてる手は腕にそえた。左手はそえるだけ……

 悪いが先手必勝だ。不意打ちに近いが知ったことではない。俺が片付ける。その力が俺にはある。

 そう、俺には魔法がある。


 鎧のおっさんが勇者を遮るように前へ立とうとし、勇者が片手を上げて制した。

「――――〈ファイエル〉」

 拳大の火球が放たれる。あ、ぶっつけ本番でもうまくいった。俺ってやっぱすげえじゃん。


「届くかなーダメかなーああ、これはー」

 横風にあおられたシャボン玉みたいにフワフワ進んだそれは、魔法使いの子の実況を背に勇者の胸にたどり着こうとし――――


「残念でしたー」

 残り十数センチのところで、ふっと消えた。おしかったなー。

 だがまだ俺にはこいつがある。俺は颯爽と抜刀し突撃した。ふっ。今宵もとい今朝はこの名刀は血に飢えておる。刀のサビにしてくれよう。


「いらん」

 勇者に釘を刺され、また庇おうとしたおっさんはやれやれと肩をすくめる。

 俺はジャンプし、思い切り振りかぶる。

 ヴィクトリーざん

 ガッ。


 ふっ、またつまらぬものを斬ってしまった……。さすがに斬る瞬間なんてグロシーンは見たくなかったので目をつぶったが、手ごたえあり。

「生憎と」

 俺はちらっと眼を開く。


「遊びに付き合ってやるいわれはない」

 俺の刃は勇者に片手で掴まれていた。ミシシッと軋む音がする。

 やがて砕けるようにボキリと折れた刀から手を離した男は、そのまま俺の顔面に裏拳をぶちこんだ。


 硬球の弾丸ライナーでも直撃したような激痛と衝撃があった。そのまま紙切れのように吹き飛んだ俺は近くの大樹に背中を打ち付けることでようやく止まった。息が苦しい。前が涙で滲む。


 勇者はとっくに俺など眼中になく、ミツルの方を見ていた。さすがの鈍感馬鹿頭でも次は自分の番と察したのか、ダルそうに両腕を上げた。何かの魔法を使う気か。勇者たちはわずかに身構える。


「こうさーん」

 それだけ言って我関せずと傍観者になっていた。俺が覚えているのは、その場面と、心配そうにこちらを見るマオだった。

 負けちまった。完膚なきまでに……

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