第62話

 長い――――本当に長い十年だった。両親を失ったあの日から、私の時は止まったようだった。

 最初は、自分のところに両親が帰ってくるかもしれないと待ち続けた。そのうち、喪失が当たり前となり、死を受け入れるようになると、待つことをやめた。次は魔法の勉強をすることにした。回復・蘇生・召喚……いくら学んでも、両親を取り戻す方法はなかった。


 祈りは両親のことから、自分のことになった。

 今日まで生きられたことに感謝を。明日まで生きられるように懇願を。

 いつか、自分が両親のような末路を迎えることに、いつもおびえていた。

 それも、もう終わり。

 牢から引き立てられ、枷を揺らして歩いた先は、あの処刑場。


 見上げれば、自分を見下ろす群衆。これがかつて、両親が見た光景。はたして、自分も両親が跪いた場所に誘導される。浴びせられる怒りや嘲りの声。それは、あの日と何も変わらなかった。いわれもない罪を着せられて、憎悪や好奇の対象にさせられる、あの日と一緒。


「みなさん。本日はよくぞお越しくださいました」

 ここより少し離れた台に設けられた裁判席には、総教皇の姿がある。

「通常、私共はこういった場には縁がないのですが、どうにも処刑人を下賤と差別する声があると聞きました。しかしそれは偏見であると、この場ではっきり示したいのです」


 その声に合わせて、私のそばにいた袋をかぶった人間は仰々しく頭を垂れた。

「そこでこの度は、私が立会をし、処刑は我らの代表であり象徴である勇者が執行します」

 遅れて処刑場に登った男の子が背中の剣を引き抜いた。


 もっともらしい建前を言っているが、結局これは半年後の前倒しと、その監視だ。

 勇者である彼が私を討つ。

 その儀式が失敗しないように。


 ここで私は、自分の命運があと半年であったと知った。

 よかった。

 間に合ったのだ。


 私はこんな時なのに、穏やかに笑みを浮かべた。

 半年後、何も知らないまま、ただ討たれるなんてことにならなくて、本当に幸運だった。同年代の子とお話して、城の外に出て、いろいろなものを見て、触れて……友達も、冒険も、私の人生を彩る宝物だ。

 もう、何も思い残すことはない。


 なのに。

 観客から別種のどよめきが上がる。誰もが天空を見上げていた。

 そばの勇者が息を吞む。

 裁判所の中心、処刑場の前に位置する空に、竜が一匹飛んできた。


「落としなさい」

 総教皇の声に合わせて、いくつかの魔法が上がる。はたして、竜はもだえ苦しんだあと墜落した。地面と激突する寸前、背に乗った影が離れる。乗り手は一緒に地面へ激突することはなかった。


 巻きあがる土埃が晴れ、現れた者は一人。――この群衆の真っ只中で、ただ一人。

「どうして……」

 ここから真正面に位置する、走ればすぐに届きそうなところにいる人は、初めての――最初で最後の私の友達。


「おやおや」

 総教皇が彼に気づいた。

「見届けに来ましたか」

「まさか」

「では、入信ですかな」

「いいや」

 マントをはためかせて、

「腹をくくりに来たんだ」

 彼は言った。


「どうして来たの!」

 思わず叫んでいた。

「こうなるのが嫌で、私はここに来たのに」

 彼はじっと私を見ていた。そこには群衆が私に浴びせる負の感情は一切なかった。

「もういいの。これで皆が幸せになれるなら、あなたたちが傷つくくらいなら!」


 ただ殺されるのを待っていた日々だった。ずっと世界に問いたかった。自分がなんのために生きているのかを。ずっと自分も感じたかった。本や話でしか知らなかった世界の広さを素晴らしさを。


「短い間だったけど、一緒に冒険できて楽しかった。ありがとう。短い間だったけど、今まで生きてきた中で、一番楽しかった!」

 だからそんな目で私を見ないで。そんな顔をしないで。そんなことをされたら。

 ――嫌だ。

 ――死にたくない。

 ――もっと。

 ――もっと……

 心があふれてくる。ずっと抑えてきたものが、口の端から飛び出してしまいそうで……


 私の選択は、何も間違っていない。

 なのに。

「本当は、もっとずっと…………ずっとずっと続けたかった!」

 もうだめ。

「でもしかたないじゃない! こうするしかないんだから! それで全部うまくいくんだから! 世界がこうなってるんだから!」

 我慢できない。


「私は、世界中の憎悪を引き受けて、消えていく――――」

 私は大きく息を吸い、そして、

「まお――――」

「俺は魔王を倒して世界を救う勇者だぞ!」

 声は呑まれた。

「お前ひとり助けるなんてどうってことないんだよ!」


「う……あ……」

 ああ……

「だいたいお前抜きで魔王討伐なんてできるわけないだろ!」

 もう……


 ――『きちんと祈りなさい。そうすればいつか困った時、神様は御使いを送ってくださるわ』

 ――『神様はいつもお前を見守っているよ。それを忘れずに、祈りを欠かさずに続けなさい』


 もういない両親の言葉が、胸の奥で響く。ずっと耐えてきた――あの日以来枯れたはずの涙で視界が滲む。私だって、ずっと昔は憧れていたんだ。でもいつしか諦め忘れていた。誰かの物語のように、自分のところにも救いの手が――――


 ――『いい子にしていれば、神様は救いの手を差し伸べてくださる』

 ――『神様は祈りに必ず応えてくれる。その時は何も迷うことはない。その手を取りなさい』


 もう、やめよう。

「けてよ……」

 震える唇を奮い立たせて、舌を動かす。

「助けてよ!」

 もう、与えられた役割を演じるのは、やめよう。

「――――勇者様!」

 私は、私だ。

「おう、任せとけ」

 私の友達は、それを受け入れてくれる。

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