第57話

 ――――もう十年近く前になる。

 その日は父に連れられて、とある式典に出席していた。出席といっても、子供の役割など親世代の話のタネになるくらいのもので、一通り挨拶を済ませると、大人たちは自分たちの会話に終始する。自然、子供は退屈しのぎに会場を散策することになる。


 彼女との出会いは、そういう経緯であった。

 式典の会場となった屋敷の中庭、見事な花園に彼女はいた。蝶と花と戯れる姿は、それ自体が高名な絵画を彷彿とさせた。


 自分と同じ年頃の少女と目が合い、どちらともなく挨拶をした。

 細かく何を話したかは覚えていない。ほとんどは他愛のない内容だっただろう。それでも、それがとても楽しい思い出であったと、頭には残っている。


 たしかな記憶としてある内容は――――

 彼女はお姫様になりたいと言っていた。憧れていたのだろう。

 自分は父のような立派な勇者になりたいと言った。憧れだ。


 自分の夢を彼女は応援してくれた。そんな彼女を――――お姫様になった彼女を助けられるような勇者になりたい。そう願い、誓ったことは今でも心に刻まれている。

 それが自分の原体験、勇者としての出発点なのだろう。

 最近よくそう思う。


「バロンー」

 呼ばれ、俺は手入れをしていた剣から顔を上げる。

「どうした」

「今日使ってないのに手入れしてんの?」


 部屋に入ってきた魔法使いの少女に俺は不思議がる。

「そうだったか?」

「そうだよ」


 キュラスの言葉に今日を追想する。そういえば教団からの招集でトルカに到着して以来、これといった戦闘も訓練もしていない。

「そうだったな」

「でしょ?」


 俺は緑に輝く剣を鞘に納める。

「大切なものだからな。毎日の手入れくらい大目に見てくれ」

「別にいいけどさー」


 父から託された剣だ。肌身離さず、使えばすぐにメンテナンスは当たり前。自分を勇者たらしめる、自分が勇者であることの証明。

 父のような立派な勇者に。

 この剣に恥じぬような勇者として。

 そう思ってずっと、歩んできた。


「ズガンヅは」

「風呂」

「そうか」


 あてがわれた部屋の窓から外を見る。この個室もそうだが、教団直属ゆえに、ここの大浴場も使い放題だ。旅では湯浴みすら困難な方が多い。存分に羽を伸ばすといいだろう。


「アタシと一緒に入らない?」

「遠慮しておく」

「えー」


 不満そうなキュラスの声を背に、月明かりが差す夜を眺める。教団本部は敷地内に森や湖もあって自然豊かだ。

 ヘヴィファイターのズガンヅ、アークビショップのキュラス。

 二人と共に旅をして久しい。


 教会からの派遣ではなく、教団への忠誠でもなく、あくまで自主的に自分の供となってくれた。数々の困難も、この二人の支援なしでは克服できなかっただろう。かけがえのない仲間。ありきたりだが、そういう二人だ。


「そろそろ世継ぎ欲しくない?」

「生憎と、まだいい」

「あっそ」

 ……たまに距離感をはかりかねるが。


「しっかし今日のバロンはカッコよかったよ。みんなにキャーキャー言われてさ」

「『勇者』らしかったか?」

「もうザ・勇者だよ」


 世辞でも嬉しい言葉だ。形だけでもなりたい自分になれたのだから。

 あの少女は、今なにをしているのだろうか。

 彼女の思い描くお姫様になれただろうか。


「あれは」

「え?」

 窓の下、庭で誰かが走っている。教団本部から誰かが飛び出したのだ。


「あ、ほんとだ」

 キュラスも窓をのぞき込む。

「あの子泣いてない?」

 長い髪を振り乱し、月の光に照らされた女。歳は俺と同じ―――――


「って、ちょっと!」

 後ろから飛んでくるキュラスの驚きはそのままに、俺もまた教団本部を飛び出すために走り出した。

 その女性は、たしかにあのときの少女だった。

 あのとき――彼女を守る勇者になると誓ったときの姿から、より大きく美しく成長していた。


 教団本部から出る際、一度見失ったが、すぐに見つけた。月を水面に映す湖のそばで、うずくまっている。

 その場に行こうとした足を頭が止めた。

 なんと声をかけようか。


 自分が正真正銘の勇者となったことは報告したい。誇りたい。しかし、いきなりそんなことを話して、はたして彼女は受け入れるだろうか。自分のことがわかる保証はない。それに、彼女が本人である保証もまだない。他人の空似であったらとんだ赤恥だ。喜び勇んで話しかけて空回るのは避けたい。


 最初に自己紹介をして、彼女の確認をとって、それから……

「なんなのよもう」

 懊悩していると、キュラスの声と姿が追いついた。


「あの子知り合い?」

「十年前に一度会ったきりだ」

「それ知り合いですらないでしょ」

「やはりか」

 と、俺が振り返っているうちに状況が変わった。


 一人の男が彼女に駆け寄っていた。

 男は肩で息をして、彼女に何やら語り掛けている。すると彼女は立ち上がり、男の肩に頭をあずけた。そのまま細い腕で男の胸を繰り返し叩く。


 男はどうしていいのかしばらく悩んだようだが、やがて彼女の頭に手を置いて、その長い髪を撫でた。

「あらら。お熱いことで」

 キュラスの言葉が左耳から右耳へ流れていく。


「ねぇ、戻りましょ」

 意識と肉体が嚙み合わない感覚だった。目の前の光景に理解と行動が追いつかない。今何が起きている? 俺は何をすればいい?

「ここで割り込むのも、見ているのも野暮よ」

「……ああ」

 ほとんど意識せず彼女へ伸ばしていた手を引っ込めて、もと来た道を歩き出す。


「初恋だったの?」

 エントランスホールまで来て、キュラスが尋ねた。

「恋であるかはわからない」

 本心だ。

「どちらかというと、夢だな」


 厳密に言うならば、勇者になるという夢――それを支える柱のようなものだった。明確な目標とでも換言できるだろうか。彼女を守れる強さが身に付けば、それは勇者として及第点と言える。


『待てやゴラァ!』

『グワハハハハ!』

 廊下にて、頭のおかしい――おかしい頭をした女にズガンヅが追われていたが、構う気にはなれなかったので捨て置く。


『なにしれっと女湯入ってきてんだエロオヤジ!』

『女湯だぁ? 風呂に男も女もあるかい。裸の付き合いだぁ』

『ブッ潰す!』

 女の持つ鉄の棒のようなものは廊下に飾られている壺や絵を容赦なく粉砕しているが、ズガンヅはうまく避けている。頑丈が取り柄の男だ。頭部に会心の一撃でももらわない限りは大丈夫だろう。


「今日はもう休め」

 俺にあてがわれた部屋の扉を開けると、キュラスは唇を尖らせた。

「一緒にどう?」

「生憎と、一人にしてくれ」

 そう言い残し、俺は扉を閉じた。

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