第56話

「お……父も母も、お祈りは欠かしたことがありませんでした。毎日、平和と幸福を神に願って」

「模範的な信徒です。素晴らしい」

「それなのにどうして殺したんですか」


 俺はマオから目をそらした。今にも涙がこぼれそうな、悲痛な表情だった。

「特に消えてもらっても困りませんでしたかね」

 にこにこと、まるで思い出話を聞かせる風に総教皇は答えた。


「…………それだけなんですか」

「たとえば優秀な要職者を生贄にするとなると、その関係者からの反発が面倒です。後釜の育成や段取りも大変です。そういう余計な手間をかけることもないでしょう」


 違和感。

 俺はこのあたりから、総教皇にそんな印象があった。言ってることは至極まっとうだ。理にかなっている。だが、どうにも引っかかりがあって、気になって仕方がない。


「最大多数の最大幸福。多数の幸福のための行為は正義です。私は無意味な殺人は肯定しません。そうすることで、万民が救われるなら、私はその行為の実行に躊躇はありません。では問いますが、疫病が蔓延すれば、あなたは満足だったんですか? 失業者や重症者に向かって、『自分の家族が死なずに済んだんだからこれでよかったんだ』と、そう言いたかったんですか?」

「自分の家族が生贄にされても、そんなことが言えるんですか?」

「言えますよ」


 俺の言葉に、即座に断言した。

「妻であろうが子であろうが、その役回りが来たなら、ただ実行するのみです」

 その眼光・声色から、政治家特有の舌先三寸ではない、それは確かな本心だと俺は受け取った。

 この人は本気でそう思ってるのだ。


「単純な引き算ですよ。一人の犠牲で百万の民が救われるなら安いものです。百万の命に勝る個などありません」

「なるほど」

 そして同時に俺は確信した。

「実に単純な引き算だ」

 この人はもう、人ではないのだろう。

「あなたにはもう、そうとしか見えないんですね」


 最初は、理想の国を作るために邁進したのだろう。その過程は、苦労の連続は、大変だったろうが充実していたに違いない。しかし、それを果たした今となっては、もはや前へ進むしるべなどない。完成された国家を維持するだけの歯車になってしまった。


 違和感の正体はこれだ。

 この人はもはや、人間性など捨てている。自らが作り上げ、完成させた理想の国家の奴隷になり果てた。

 人間すべてが一つの駒という数字にしか映らない、完成されたシステムが作り出した化け物。


 ようやく総教皇の実像が見えた。

「あなたは間違っている……という言葉も、もう届かないんでしょうね」

「私は何一つ間違ってなどいません。間違った世界を正した私に、そんなものは存在しません」


「父と母は」

 震えた声に俺は目を伏せた。完全な部外者である俺だから、ここまで冷静に分析できたのだ。それを規範だと信じ込まされて生きてきた彼女の心境は察するだけでも憂鬱だ。

「父と母の命は、間違いだったんですか?」


 ここで目の前の男が涙ながらに否定なり謝罪なりすれば、まだマシだったのだろう。しかし、そうはならない。

「社会的にはそうなるんじゃないですか? 処刑されているわけですし」

 はたして、総教皇は物分かりの悪い生徒でも見るような目で、そう言った。

「あなた自身は……どう思っているんですか」

 そんな答えじゃ納得できない。問いかけを止めない気持ちはわかるが、その先の答えは。

「どうもこうも。人口比から考えれば誤差ですよ。良いも悪いもありません」

 少女の両親の命を無残に奪い、少女に直接咎められても彼はまったく顔色を変えなかった。雑草でもむしり取ったような感覚で、あっさりと突き放した。


 繋いでいた手が離れる。

 マオは飛び出すように部屋を出ていった。

「いやはや。与えられた役割も満足に果たせず、ただ傷つきに来るとは愚かですね」

 ため息まじりの声に俺は憤りより哀れを覚えた。


「『勇者』というのも与えられた役割というやつですかい?」

「わかりやすいでしょう? 諸悪の根源である『魔王』を教団の象徴である『勇者』が討伐する。かくして世界は平和になる。使い古されたがゆえにわかりやすい構図です。ありふれるほどに受け入れられている物語です」


 あのパレードで祭り上げられてた勇者もしょせんは駒か。どこかにいる魔王も不憫なことだ。典型的なマッチポンプの道具にされている。どこまでいってもプロレスだ。

「一定周期でやっているんですよ。これが民衆の支持を集めるのになかなかの効果を発揮しておりまして」

「なるほど」

 さてと、散っていった涙を拾い集めるとしようか。


 俺は立ち上がり、

「俺はあんたの方がよほど魔王に見えますぜ」

 それだけ残してマオを追った。

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