第32話
意図せず、深い息を吐いていた。
息苦しい。
窒息しそうだ。
結果を知っていて、他人の親でこうなのだ。
目の前の少女が受ける傷はいかほどか。
考えるだけで気がどうにかなりそうだ。
「その日は、これより一月後」
杖が床を叩く。
場所は移り変わった。ここは法都ルカト、その中心部に位置する裁判所らしい。
裁判所とは言うものの、元いた世界とはまるで違う。すり鉢状の形をした建造物があり、その円周を塔が囲っている。
まるで闘技場だ。
すり鉢状の中心は、野ざらしの法廷になっていた。ここで検察が罪人の罪状を列挙し、罪人は弁明して双方の言い分を聞いた裁判長が判決を下す……らしい。
俺は今、塔の一つに神様といた。塔の構造は螺旋階段になっていて、頂上が展望席のようになっていた。スポーツ観戦で言うところのVIP席だ。塔と塔の間は離れていて――そういう目的もあるのだろうが――別の塔にいる人の姿ははっきりとしない。仮に目が良くても、仮面をしているか、目深帽子のせいで顔までは見えない。ただ、その高そうな身なりから、貴族とかそういう身分なのだろうと判断できた。
眼下の、すり鉢状の坂に当たる部分は傍聴席だ。そこに、指定席か自由席かはわからないが、いかにも庶民といった群衆がひしめいている。
そこにあるのは狂喜・好奇――
殺気。
「古来、処刑は庶民の娯楽として発展し普及した。人は人の死に楽しみを見たのだ」
「あなたもそうなのか?」
「生と死は流れの一つに過ぎない。そこに喜怒哀楽といった衝動はない。ただの現象の一部だ」
塔の下で蠢く民に、神は無表情を貫いた。失望や嫌悪のひとつもない、まったくの無関心にしか見えない。
足音。
誰かが登ってくる。
この老人が俺をこの場所に置いた理由を考えると、登場人物は――
少女が一人。やはりマオ。
そしてもう一人。
「
その男を、神はそう呼んだ。
真っ白な衣。仰々しい修道服だった。
『ここでお父さんとお母さんに会えるの?』
『ああ、会えるとも』
心配そうに見上げるマオに、総教皇は微笑む。男からは、一切の邪心は感じられなかった。神仏そのもののような、悟りを開いたかのような。
聖人。
まさしくその人であった。
「その者こそ、この世界の歯車を狂わせた男」
背後で――処刑場で歓声が上がる。
振り返ると、すり鉢の底に数人の姿があった。
目の部分にだけ穴の空いた黒い袋。それを頭にかぶった巨漢が、両手に一人ずつの人間を鎖で引っ張っている。その振り回される格好となった人間二人は、粗末な服を着せられ、麻袋で顔を隠されている。こちらは前が見えず、両手にはめられた手錠から伸びている鎖を巨漢に引っ張られて進んでいる形だ。その後ろを中肉中背の男が巨漢と同じような黒い布で首まで隠している。
手錠の二人が乱雑に放り投げられ、観衆の目の前に倒れる。
『なに……?』
眼下で繰り広げられる――これから繰り広げられるであろうことがわからないマオが不思議そうにする。
黒頭巾の二人――おそらく処刑人なのだろう。どちらも無骨な大斧を担いでいる――が麻袋に手をかけ、躊躇なく剥ぎ取った。
下から雑多な声の群れが。
横から、息を呑む音が。
そこには、変わり果てた男女がいた。
数分前に見た、温和な夫婦の成れの果て。
傷つきやつれ、衰弱したマオの両親。
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