第9話
どこかの店の裏口、その付近に、二人の男女がいた。顔を手でかばうように隠した女に、怒り狂った男がまたがって暴力を振るっているのが見えた。すすり泣く女と、鼻息荒く罵る男。どう見ても婦女暴行であったし、そいつはそうだと信じて疑わなかった。
もちろん、見て見ぬ振りをすることもできた。もう少し様子を見て、状況を把握することに努めてもよかった。ただ、そいつはそうはしなかった。なんでだろうな。
良心の呵責……に近いかな。どうやって助けるとか、助けたらどうなるとか、そういうことは一切考えなかったらしい。いじめられてる姿が自分と重なっただとか、そういう気分も作用したのだろうか。
ともかく、そいつは走り出していた。
とりあえず男に抱きつくようにタックルして、女から引き剥がした。奇襲だったのもあってか、意外とうまくいった。
『逃げて』
ずいぶんまともに喋っていなくて、ガサガサのかすれた声だった。音量調節もヘタだったな今思えば。
『逃げて』
他に言葉が浮かばなかったらしい。暴れる男を押さえるのに必死で、頭も回っていない。自分が時間稼ぎをしている間に、女が逃げてくれればそれでいい。成功だと思いこんでいた。しかし振り返ると女は起き上がったはいいものの、ぺたんと腰をおろしており、呆然とこちらを見ていた。
どうして。
そいつはそう口にしようとした時、ぐっとなにかに腹を押された。しかしすぐにその感触は失せ、じわりじわりとそこから熱を感じた。
ぼんやりと下に目をやる。すると、否応なく汗がどっと吹き出た。それもそのはず。
自分の下腹部に、ナイフの柄が生えていたのだから。
探検にでも使うような、太いサバイバルナイフであろう。そいつはそう推測した。なぜ推測どまりなのかと言うと、刃の部分は自分の腹の中にすっぽりと入っていたからだ。
男が茫然自失のそいつを蹴り飛ばし、女に駆け寄った。
『なんだよこいつ!』
『知らないわよ!』
『は? お前のオトコじゃないのかよ!』
『知らないわよこんなやつ!』
『と、ともかく逃げるぞ』
『ちょ、ちょっと』
走り去る男の背中を女は立ち上がり、追おうとする。その時、女がそいつを見た。不安・焦燥・憐憫……そんな感じの顔をしていたらしい。
『おい置いていくぞ!』
『ま、待ってよ!』
男の急かしに女は応じた形で、二人はその場を去った。
残されたそいつは、仰向けで路地裏の狭い空を見上げていた。
助からない。
意外とクリアな思考で、そいつは確信したらしい。服の下から血がしみ出して、腰のあたりにぬるくて不快な溜池を作っていた。
そいつは感謝してほしかったのだろうか。
助けたことで、女に感謝してほしかったのだろうか。それとも、女を助けることで、それを誇りとし、自信にしたかったのだろうか。
答えは、そいつ自身にも出せなかったようだ。
ただ薄れゆく意識と、冷たくなっていく肉体の中で、自分は努力の方向性を間違えたのだと、思い知った。
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