第1話(第1章)

 奇妙な感覚だった。

 白一色の中で、体が宙に浮いてる感覚。宇宙空間ってこんな感じなんだろうか。右下あたりにミツルが流れてる。関わりたくない。が、経験値という点ではこの子の方が物は知ってるだろう。現状を聞くしかないか。


「あのー。このあとどうなるんでしょう」

「ショーカン待ち」

「あー、召喚待ち?」

 自分のサイケ模様のネイルを見ながらも興味なさげに教えてくれた。

「このあと適当な世界の座標に出されるよ。アータ異世界志望っしょ? 現世と違って選定に時間かかるんよ。ローディング? サーチング?とかで」

「そういえば、どんな世界に行くかってのは」

「しーらない。出たとこ勝負でしょ」

 この時点でも、どんな世界に行くかは不明か。もっと言えば、その世界のどこに召喚されるかも――


「そこいらのキモオタヒキニートじゃ、そこまで指定できないっつーの」

「キモオタかはともかく、一応高校生やってたんだけどな」

「その見てくれで?」

 指差され、ああ、と自分のパーマのかかった長い襟足を摘む。

「オシャレで始めたんだけど、中々ね」

「コーコーデビュー?」

「そう、それ。うまくいかなかったなぁ」

「見かけチャラ男のくせして中身陰キャとかウケる。そりゃ死ぬわ」

 返す言葉もねえ。


 外見だけいじっても何にもならなかったな。それどころか、どんどん悪い方向へ行った気がする。結果論で言えば、努力の方向性というやつを間違えたのだ。

 今度は間違えないようにしたいな。


「ガチ勢? エンジョイ勢?」

「今までのこと?」

「こっから先のことに決まってるっしょ。アータの自分語りなんかキョーミないし」

「そりゃまあ、何はともあれ頑張るけど」

 そう言ったらミツルは少し嬉しそうだった。意外だな、と俺は思った。非協力的だと思ったのに。

「だってさ、とっとと死んでくれないと、アーシ戻れないじゃん。あっちでヌルい生活されてたら、いつ終わるかわかんないし」

 まあミツルからすれば、条件通り真人間になるか押し付けられた俺がくたばりでもしないと向こうへ戻れないから、当然か。


「戻りたいわけか」

「当たり前でしょ。トモと遊びたいし、着たい服も試したいコーデも、タピオカ買ってインスタ載せて……」


 あとで聞いた話だが、この神の孫娘はずっとあの場所で過ごすわけではないらしい。下界に降りて、学生として生きているそうな。それは下積みや留学という意味もあるが、単純に神界というところは退屈らしい。


「羨ましいな」

「ハァ?」

「ミツルにはまだ未練があるわけだ」

「当たり前でしょ。つーか名前呼ぶなキモい」


 俺はあの世界に未練はなかった。

 俺はあの世界に限界を感じていた。


 閉塞感があった。


 どれだけ努力しても――努力の方向性を修正しても――できることなどたかが知れているというある種の諦め。

 色々やった、それでもだめだった。

 だめになった原因は自分にあるかもしれない。

 けれど、世界にも問題があったかもしれない。


 俺と現世の相性の問題。


 そうだとすれば、現世に戻っても仕方ないと思った。

 異世界ならば、あるいはと。


「どーでもいいけど。アータみたいなタイプ珍しいよ」

「そうか?」

「普通ならチート使えないなら諦めるから。それなら全部リセットした方がスッキリするし。まあジジイがめんどくさがってカタにはめるってのもあるけど。ワケわかんない世界に丸腰で飛び込みたいなんて、キツい目に遭うのは目に見えてるっしょ」

「うまく言えないけど……俺は、努力そのものを諦めたわけじゃないから」

 多分、そういうことなのだろう。


「まあ、現世で努力が報われれば天寿を全うするし、異世界に逃げることもないか。そういうタイプもいる。少し学んだよ」

 ミツルはその時はじめて俺をまっすぐ見て、肩をすくめた。

 ふむ。

 見た目はともかく、根は真面目らしい。

 もっとも、そうでもないと神様も修行させないか。しっかりとした土壌はあるわけだ。


「逃げじゃ……いや、逃げなのかもしれないけど。それは悪いことなのかな。時代が、その時々の需要が適合しないこともある。そういうことまで自己責任で片付けられるのかな」

 戦国武将が現代で通用するか? 

 アスリートが戦国時代で通用するか?

 答えはノーだ。

 偉人やメダリストは、当時の評価基準と自身の能力が偶然合致した結果だろう。

 そこからあぶれたものはすべて失敗か? 

 悪なのか?


「そーいうテツガク? ギロンにはキョーミないんだわ、アーシ」

 ミツルの塩対応に、今度は俺が肩をすくめた。

「ごめん。つい熱くなった」

「まあ、なんでもいいけどさ。やるだけやってみなよ。なんかキョーミわいてきた。アータがヘタこいてくたばるまで、見といてやるから。他にやることもなさそうだし」

「そうかい」

 欲を言えば、こっちもお前には可及的速やかに真人間になってもらって、目標を達成したいところだ。


「あ」とミツルが気づき、その視線を俺が目で追う。白一色の中で、ぽっかりと円形の黒い穴がある。まるで掃除機のように、そこから吸引力が発生し、俺とミツルは引っ張られていく。

「行き先決まったっぽーい」

「どちらへ」

「出たとこ勝負」


 期待はしていなかったけどな。つまり穴の先は転生先の未知の異世界か。

「いざ行くとなると、単純な方がいいな。勇者となって冒険し、魔王を倒す。うん、王道だな」

「知らねって」

「まずははじまりの街で装備を整え仲間を集める。うん、王道だな」

「だから知らねえって」

 まったくロマンのわからない女だ。これだからギャルは嫌なんだ。


「おら先に行けよチャラ男」

 チャラ男言うな。行くけど。

 さすがに巻き込まれた形のミツルに先陣を切らせるわけにもいかない。俺は平泳ぎの要領で穴に突っ込んでいった。


 すると打って変わって、今度は黒一色の世界になった。なんというか、夜のトンネル内を歩いている気分だ。とりあえずどんどん進んでいく。


 長いトンネルを抜けると、そこは知らない天井だった。


 いや、天井ではなかった。すぐに訂正したのは、俺が落下してることに気づいたからだ。天井じゃないわこれ、


 地面―――――


 俺は石畳に顔面から勢いよく落ちた。


 ゴキッ。


 首から嫌な音がし、おかしな倒れ方をした。


 あれ、これ死んだんじゃね。


 転生早々即死って、もっとマシなオチがあるだろ。物語が始まる前にオチがついたんだけど?


 やばい。視界が真っ暗だ。すごく眠い。一回経験したからわかる。これマジで死ぬ5秒前だ。


「だ、大丈夫ですか?」


 遠のく意識の中、女の子の声がする。心底心配をした、慈愛の心に満ち満ちた声。あのスカしたギャルではないと断言できる。

 パァァっと光が広がっていく。眼の前が明るくなる。いつの間にか口の中に溜まっていた血を石畳へゴホゴホ吐き出し、俺はようやく一息つけた。


「よかった」


 開けてきた視界に映ったのは、少女の安堵した顔だった。歳は俺やミツルと同じくらいか。長い髪を隠すように被っているフードは、仰々しいくらい装飾が施されており、その頭を覆う部分の両脇には牛か羊の角のようなものが生えている。


「あなたが……助け……?」


 うまく回らない舌をどうにか働かせ、それだけ言えた。彼女は意図を汲んだようで困ったように笑って、

「突然私の部屋に落ちてきて、怪我をしていたようなので回復魔法を」

 そばに置いてあった身の丈ほどもある橙色の杖を見せてくれた。先程老人が持っていた仙人然としたものと違って、どこか禍々しい気がするが、まあいいか。


 ようやく状況がつかめてきた。俺は異世界デビュー早々転落事故に遭い、彼女に救われて九死に一生を得たわけだ。ついでに言うと、今の俺は彼女に膝枕で介抱されており、これが中々居心地がいい。無愛想なだけで接客サービスのなっていない神どもと違って、この子こそ女神ではなかろうかと、割と本気でそう思う。


「言い忘れてたけどさー」


 遅れて、無愛想なのがやってきた。脚から入ってきて、落下もなんのその。あっさりと着地してみせた。厚底なのに。

「トーケーテキに、異世界転生者の死因の三割くらいが転生直後のアクシデントなんだよねー」

 それを先に言えよ。とお決まりのツッコミを入れるかどうか考えて、そんなこともうどうでもいいと膝枕の柔らかさに屈する。


「あの……」

「あ、アーシはミツル。こいつの……まあ、お目付け役みたいなポジ。シクヨロ」


 ああ、そうか。


 これは自己紹介の流れだな。


 俺は後頭部を揺らして枕を堪能しつつ考える。別に、本名――向こうの名前をここで使う理由もないだろう。心機一転するなら、むしろ過去の遺物だ不要だ産廃だ。

 とすると、ここでの名前というものを考えねばならない。いいね、キャラメイクっぽい。らしくなってきたじゃないか。


 はてさて……


「俺は……」


 あんまり長ったらしいと中二病マシマシみたいで恥ずかしいし、かといって安直なのもな。うーん。状況的にそんな長々と待たせられないし……


「……ヨハン・フランツ。ヨハンとでも呼んでくれ」


 うん。長すぎ短すぎず。カッコつけすぎず気取ってもいない。中々バランスがいい。


「その顔でヨハンって……」

 うるせえぞヤマンバギャル。山に帰れ。

「ミツルさんにヨハンさんですね……私は」

 身に纏うオレンジをメインにしたローブと高そうな首飾りを揺らし、少女は、

「マオン・ヴェルギリウス・ヒース・テーゲルと申します」

 と臆面もなく名乗った。

 

 長えなおい!


 今日日中学生だってもう少し遠慮するよ? どんだけてんこ盛りなの? 親からの過度な期待が詰まってるの? テストじゃいちいち全部書くの?

「なげーわ」

 ミツルも思うところは一緒らしい。お前なんて三文字だもんな。向こうは何倍だ? ……五倍?

「マオでいい?」

「はい。お好きにお呼びください」

 俺もそうしよう。もうなんて名乗ったか思い出せん。名前覚えるの苦手なんだよ。マオン・ベルギー・キース・テーブル……?

 とりあえず自己紹介も終わったし、今更ながらマオに敵意はないようだ(むしろこんな雑に転生させてくれちゃった神様にだんだん悪意を感じてきた)。これはあれだ、チュートリアルキャラとかそういう感じだろう。この世界のことについて解説してくれたり、戦闘の手ほどきをしてくれたり。そういう便利キャラ。なんか魔法使いっぽいし。

「とりあえず見てのとおり、俺達は訳ありだ。簡単にこの世界の説明をしてほしい」

「転移魔法に失敗でもしたのでしょうか」

「だいたいそんな感じ」

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