第15話 「警告1」
21時頃、遅番帯の仕事を終えた在過は、携帯を取り出して神鳴に帰宅する旨を伝える。秒速で「神鳴も」と言う返信が来るだけで嬉しくなっていた。
職場の裏口から出ると、街灯がなく薄暗い。早く帰りたい気持ちから、在過は早足で自宅に向かおうとしていた時に、後ろから女性の声で呼び止められる。
「はい?」
薄暗いが、身長は156cmほどの小柄で、茶髪のボブヘアで外ハネカールの印象的な女性が立っていた。職場では見たことがなく、職員でないことはすぐにわかった。
稀ではあるが、入居者のご家族様が間違って職員用駐車場に駐車してしまい、入り口が分からないと言う事がある。もしかしたら、この女性もそうなのかもしれないと在過は思った。
「どなたかのご家族さまですか? 向こう側に正面玄関があるので、ご案内しますよ」
「
自分の名前を言われた在過は、一瞬ほど言葉に詰まり、女性の顔をじっくり見た。一度もあった記憶はないが、自分を知っていると言う事は、担当している入居者のご家族の可能性は高い。
しかし、夜中に訪問する家族の大半はクレームの率が高い。まだ個人的なクレームはないが、もしかしたら担当している入居者のクレームを言いに来たかもしれないと、在過の緊張感が高まる。
「えぇっと。私が近藤です。私の担当している、入居者様のご家族様でしょうか?」
「あぁ~お前か」
先ほどまでの優しい雰囲気がなく、在過の正面に立つと睨み上げてくる。同年代か年下と思われる彼女の存在が、怖いと言うよりゾッとする感覚に近い。在過自身は、気が弱い性格ではない。喧嘩腰の喋り方する人や、見下したり友人を馬鹿にするような相手に対しては、同じように対応してしまう。
「知らない人に、お前呼ばわりする謂れはない」
「あぁ~うざ。聞いてた話しの意味が理解出来ちゃった。うちの想像してた男と一緒だ」
「それは良かったですね」
少し小ばかにするような敬語口調でひとこと伝えると、在過は帰路に向かう。これ以上相手をしていてもロクなことにならないし、それ以前に家でまっている神鳴と早く会いたかった。
「神鳴の話なんだけど、逃げんな」
「……」
歩き始めてた足を止め、彼女の口から神鳴の名前を聞いたことに驚いていた。後ろを振り向き、ゆっくりと近づいてくる彼女は、首を一瞬傾け、こちらに来いと言わんばかりの合図をする。
在過の視線の先には、シルバーのワンボックスが駐車している。助手席の正面ガラスに、いくつものぬいぐるみが飾ってあり、どうやら車の中で話をしたいと言う事なのだろう……そう感じ取った。
「失礼」
後部座席に乗り込んだ在過は、バックを横に置き座席にもたれかかる。運転席に座る彼女を見て、考えた。神鳴のことを知っている人で、尚且つ自分を知っている人は誰なのかと。
神鳴は一人っ子と聞いているし、職場の人とは年齢層が高く話をしないと言っていた。では、学生時代の友人が濃厚ではないだろうか? 数分の沈黙の中、在過の中で神鳴の友達だろうと言う結論に至る。
「で。俺に何のよう? そもそも誰?」
「あれ? 神鳴と話をするとき僕って言ってなかった?」
「……人による」
また、また違和感が襲う。彼女も、僕たち二人の会話を知っている。在過は、確証はまだなかったが、直感的にそう感じ取る。
「なるほど、お前の中でのうちは底辺なのかな? あははは」
先ほどから要領を得ない話し方に、苛立ちを感じながらもバックミラーに映る、彼女の姿を見つめる。同じく、彼女もバックミラーで在過を確認し、その不敵な笑みは、より在過を苛立たせていた。
「時間の無駄なんだが。世間話でもしたいなら、また後日にしてくれないか? 神鳴が家で待ってんだ」
「お前が言うな!」
急に叫びだした彼女は、ぐるっと首をまわし後部座席に座る在過を睨む。
「うちの親友を何度も泣かせやがって。前の彼氏と同じで、すぐに別れると思ってたのによぉ。なに半同棲みたいに暮らしてんだよ。監禁してんじゃねーぞ!おい」
「はぁ、そうですか」
「その態度イライラさせるなぁ! もうっ」
「それは失礼。監禁してると思うなら、どうぞ警察にでも通報してください。別に構いませんよ」
「お前、マジでうぜぇな」
「ははは、ありがとうございます」
「うちは、神鳴を悲しませることはしない。何度も泣かせたお前を赦さないし、もしまた泣かせたら、覚悟しろよ?」
「それは脅迫ですか?」
「だったらなんだ?」
「いえ、別に。貴方が神鳴の友人で、大切に思っていることは理解しました。それ以上とは言いませんが、俺も彼女が好きですし、助けたいと思っていますよ? 幸せになってほしいと思ってます」
「はっ。我慢させて、泣かせておいて幸せに? お前がいない方が、余程幸せになれるんじゃないですかぁ~」
「……喧嘩売りに来たんですか? さっきから、何のために会いに来たのか、まったくわかりません」
「お前、ゲーム捨てたくないとか我が儘言って、神鳴を泣かせたよな?」
異常と言う言葉が、在過の心情を埋め尽くす。神鳴の周りは、良くも悪くも神鳴を愛している人が多い。家族や目の前の彼女もそうだが、神鳴に対しての執着心は異常、そんな感覚に囚われる。
神鳴本人から、元彼などの話は聞かされて知っているが、ほとんどの相手が虐めてくる。そう言う人たちばかりだった、と言う印象。実際のところ、当事者からの話以外は半分ほどしか信じない在過であるが、目の前の友人と母親の一件が真実を語っているように思えていた。
「大切な物や、コレクションを捨てたくないと言う意見がそんなにダメですか?」
「彼女の為なら、そのくらい捨てるのが当たり前だろうよ」
「なるほど。なら、結果的に破棄したんで解決ですね。めでたし、めでたし」
「その馬鹿にしたような言い方、うぜぇんだよ」
「相手に合わせた、対応をしてるだけです」
「ダメだこいつ、謝ってもらわないと。神鳴に頭下げさせて、無理やり謝らせたことも聞いてんだよ。お前も謝罪しろ。友達の神鳴を泣かせて、無理やり謝らせて、すいませんでしたって」
「……僕は、貴方に謝る理由が見つかりません。遅くなるので、もう帰りますよ?」
「おい」
車のドアを開け、片足降りていた在過は頭だけ彼女の方へ向く。
「はい?」
「……
この瞬間だけの表情を見れば、可愛らしい天使のような女の子だろう。声色や仕草も、先ほどまでの印象を覆すほど、無邪気な女の子を演出していた。
在過の中で「洗脳」と言う言葉にも違和感を持ち始めた。日常生活において、洗脳と言う言葉を使う事は、ほぼないだろう。しかし、職場だったり友達付き合いの中で、知らない間に「相手がこう言うのだから、そうするべきだ」と言う洗脳に近い現象は、いつどこでも起きている。
言葉は強く、何気ない発言が人を殺す。それは、在過自身も過去に何度も経験した事象。
「肝に銘じておきます」
車のドアを閉め、在過は自宅へ歩き出す。携帯を取り出して時間を確認すると、すでに15分ほど会話をしていた。通知画面には、神鳴からのメッセージが何件も来ており、アプリを起動させる。
「ねぇ! 返事してよ。なんで、まだ帰ってきてないの? 神鳴より家近いのに、なんでいないの!」
「あぁ、ごめん。お酒買って帰ろうと、コンビニに寄ったら、新刊の
「本当に? 女の子と会ってるんじゃないの?」
「本当だって、なんなら本を写真で送ろうか?」
「送って」
心霊怪談レジェンド、稲川浩二の大ファンである在過は、ちょうど今朝の出勤中のコンビニで飲み物を買う途中に見つけた、新刊の本を購入していた。近くにある防犯灯の真下に行き、本の写真を撮って送信する。
「もぉ、本当に稲川浩二のことになると真剣なんだから。こんなおじさんの、どこがいいのよ」
「何言ってんだよ! 全世界探しても、こんなにカッコよくて最高の人はいない!」
「はいはい。あと、どのくらいで家に帰ってくるの?」
「あと10分くらいかな」
「わかった! お風呂入って待ってる」
「あ、聞きたいことあるんだけど。神鳴の知り合いに、茶髪でボブヘアの知り合いっている?」
「ん~。
「いや。神鳴が持っていた、ウサギのぬいぐるみを持ってた人がいたから、知り合いかなって」
「そうなんだ。でも神鳴が買ったぬいぐるみ人気キャラクターだから、好きな女の子なら持っている人多いと思うよ」
「そうだよな。すぐ帰るよ」
「はーい」
先ほど会った彼女は、亜衣と呼ばれていると知った在過。どうやら、神鳴の友人と言うことは間違いないだろうと認識した。しかし、亜衣が会いに来たと言う事は、だれから職場を聞いたのだろうか?
神鳴と話をしている限りでは、亜衣には話していない様子。また、母親の名前である雷華の名前がでた段階で嫌な予感はしていたが、亜衣は神鳴からではなく、母親の雷華から今までの事を聞いているのだろう。
「はぁ……神鳴さんよぉ、君は崇拝でもされてるのか?」
薄暗い夜道を歩きながら、ボソッと独り言を呟く。たった数ヶ月の間に、壮絶な経験をした感覚と疲労感が襲う。神鳴のことは好きであったし、一緒に居るだけで過去にない安心感が得られた。
また、雷華や亜衣との件に関しては、絶対とは言えなかったが神鳴の周りの人が在過に対して、宣戦布告のような事柄をしていることは知らないだろう。
こっそりと耳打ちする雷華に、仕事終わりに職場にまで喧嘩を売りに来る亜衣。
神鳴の周りにいる人達に対しての不安と恐怖が拭えない。やはり、このままでは神鳴はダメになってしまうのではないか?
おこがましいかもしれないが、大好きな神鳴を幸せにしてあげたい。そのためには彼女自身に変わってもらい、その周りにいる人達の影響を受けないように自立してもらう必要もあるのではないか。
帰宅中、ずっと彼女達のことを考えているうちに、自宅が見えてくる。小窓から明かりが漏れており、たったそれだけのことが、無性に嬉しくなる在過は走って家に向かう。
石階段を駆け上り、家の鍵を開けて中に入る。
「おかえりぃ~」
「ただいま」
ウサギのパジャマ姿で、出迎えてくれる神鳴の存在が在過の心を少しずつ満たしていく。過去の苦しい状況や、一人と言う孤独感の心に空いた大きな穴を神鳴は満たしてくれる。
「あら、おかえりなさい」
そして、また一人、聞き慣れた女性の声が聞こえた。
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