#7 八木対決!その2。明民書房の蘊蓄


「ぬうっ!あれぞまさしく『八木対決はちぼくたいけつ』!!」

「知っているの!?蕾仙らいせんッ!?」


「ほう…、知っていたか…宮下頼仙みやしたらいせん。八木対決の事を…。よかろう、ならば私の代わりに説明してみろ」


「あ、あれは江戸幕府中興の祖と言われた八代将軍徳川吉宗が…」


 一年二組、宮下と呼ばれた女子生徒が説明を始めた。



 八木対決はちぼくたいけつ…。


 江戸時代中期になると日本各地の大名達が商人に借金をし貧窮に喘いでいた。それは武家社会の頂点に君臨する江戸幕府も例外ではなく、諸藩と同じく借金に苦しんでいた。


 そんな中、徳川第八代の征夷大将軍に就任した徳川吉宗は享保の改革を断行。経済活動に大きな意味を持つ貨幣が東の江戸は金を使うのに対し、西の大坂おおざかでは銀を使っていた。その為、金銀の交換比率…相場が常に変化をし安定していなかった。


 そこで吉宗は貨幣以外に経済基軸となっていた米に着目する。農民から毎年年貢として納められる米、これの活用により幕府の経済基盤を強固に…、そして米と貨幣の現物取引だけでなく次の収穫時期にれる米を取引材料として経済活動が出来るように現代で言う先物取引に当てられる米手形を使用をするようになる。


 その吉宗であるが常に質素倹約を心掛けていた。江戸時代には広く庶民も一日に三度の食事を摂る習慣になっていたが、自身は朝夕ちょうせきの二回のみとし一汁一菜をむねとして将軍自ら出費を抑えていた。


 しかし米だけは美味い物を食いたいと考えていた吉宗は、全国各地で生産される米を食べ比べ常食とするものを選んでいたという。


 米自体の味、あるいは具を加えず最低限の味付けのみで将軍御用達の米を選ぶその催しは、いつしか将軍吉宗のあだ名である八木将軍はちぼくしょうぐんの名を取って八木対決はちぼくたいけつと呼ばれる名実共にその年の天下一の米を決めるものとなった。


 なお、余談ではあるが意見や主張を求められる事を『コメントを求められる』と言うが、これは将軍吉宗が様々な米の食べ比べを行う際に常に身辺のそばに置いたという

それぞれの米の産地や味の特色を伝える専門職『米人こめんと』が語源になっているという説があるが真偽は定かではない。


 〜明民書房刊めいみんしょぼうかん『江戸時代のコメンテイター』より〜



八木対決はちぼくたいけつって言ってもさ…」

「米以外の物は最低限じゃあ…。具もほとんど入れられないよ…」

「チャーハンとか混ぜ御飯とかしかないかなあ…」

「いや、それ結構色々な具が入ってるっしょ」


 集会が終わり一年一組の教室ではクラスの女子達が悩んでいる。


 こ、これは僕がおにぎりを思い出して米って言ってしまったからか…。鶏肉と卵も言っておけば…、まだメニューに幅があっただろうか…」


 鶏肉と卵も合わせれば親子丼とか出来るし…。あっ、玉ねぎが必要か…、何かと難しいなあ…。…って言うか、卵と鶏肉がそもそも使っちゃダメなんだよなあ…。


「それにしても…」


 僕は思わず呟いていた。条件が同じなら二組は何を作るんだろう…?


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