#8 強襲!!シャワールーム!!


 逃げるように飛び出した柔道場から向かったシャワー室で僕は女性と鉢合わせ。


「うわっ!ご、ごめんなさいっ!」


 そう言って僕はシャワー室を出ようと回れ右をする。


「待って!」


 女性から鋭い声が飛ぶ。僕はその声に金縛りに遭ったように出入り口のドアに手をかけたまま立ち止まる。


「今服を着るから、そのまま動かないで」


 僕はその声に従い、壁に向かい背を向けたまま動きを止めた。そうした事で女性は安心したのか行動を再開したようだ。服を着るような…衣擦れの音がする。


 その間、僕は今あった出来事を整理する。


 シャワー室に入った時、女性は素っ裸でシャワーを浴びていた訳ではなかった。下着はつけていたからおそらくシャワーを浴びた後なのだろう。室内にはシャンプーかボディソープか分からないがその香りと湯気による独特の湿気が漂っていた。


 また、この人が誰かというのは分からない。残念ながら顔をあまりよく見ていないのだ。しかし、女性の声に聞き覚えはなかった。仮に柔道場で一緒にご飯を食べたりしていれば、何かと婦警さん達は話しかけてきてくれるから声の記憶は残る。また、直接挨拶とかのやりとりをした事があればそれもなんとなくは記憶に残る。しかし、そのどちらにもあてはまらない。声の感じは若そうな感じだけど…。


「こっちを向いて…、良いですよ」


「…はい」


 僕は声に従い、相手の方を向く。そこには髪を後ろで束ねただけで眼鏡をかけた化粧っ気も無く、女の子然とした服装でもない地味な私服の女性が立っていた。その両の目がこちらを見つめている。


 どこかで見かけたような…、そんな印象。でも、それがいつか思い出せない。もっとも思い出せていれば相手が誰なのかは分かるんだろうけど…。


「それで…、見たんですか?」


「えっ!?」


「私の体を…」


 何と言って回答こたえるか、それが問題だ。



 正直に言えば見た。凝視した訳ではない。一瞬チラッと見た程度だ。しかし、それを言うのは果たしてどうだろう?


 体を見られる、きっと恥ずかしい事だろう。もしかしたら一生の記憶に残るショックな出来事になるかも知れない。


「あ、あの悲鳴が聞こえて顔を見ました。そ、その…、最近お見かけした方かなって思って…」


 と、とりあえず体を見たかどうかの事を棚上げし、体を見た後の顔を見た件について回答こたえた。


「み、見られてなかった…」


 僕のズルい言い回しに彼女はホッとしたような表情を浮かべた。


「良かった…。もし…夫でもない殿方にこの肌を見られたとあっては…」


 そうですよね。下着姿とは言え、やはり見られるのは恥ずかしいですよね。よし、コレは僕の心のポケットにしまっておこう。そう、それが良い。


「射殺もむ無しでした」


 えっ!?しゃ、射殺…?


「嫁入り前のこの体を視線とは言えはずかしめられたとあっては…、将来にちぎる殿方が現れた時に申し訳が立ちません。その際は私の肌を見た者を…、そして私も果てる事で始末としようかと…」


 わ、私も果てるって…、僕を射殺して自分も死ぬ…って事だよね…。


 や、やばい!これは心のポケットなんて気軽にしまうものじゃない。墓場まで持って行くような、どうやらそんな生涯の秘密になってしまったようだ。


「そうでなければ…」


「………」


「私を嫁に貰っていただくしか…」


 結婚は人生の墓場って言葉があったっけ。


 それが本当かどうかはともかくとして、僕は人生か秘密かそのどちらかを墓場まで共にしなくてはいけなくなったんだと感じた。


 それにしてもこの人…、かなり古風な恋愛感をお持ちなのかも知れない。



「ところで佐久間さんはどうしてここに…?…いえ、愚問でした。入浴の為ですよね」


 僕はあまりの衝撃にしばらく言葉を失っていたのだけれど、目の前の女性の声をきっかけに我に返った。


「あ。は、はい。その通り。え、えーと…」


「これは失礼をいたしました。私、久能操くのうみさおと申します」


 久能…、久能…。あっ、もしかして。


「あなたは…。昨日、ドラッグストアで警備を…」


 僕がそう言った瞬間、久能さんはパアアアアッと花が満開になったような嬉しそうな表情になる。


「覚えていて下さったのですね!!私っ、嬉しい!!」


 大変申し訳ございません。浦安さん達に名前を聞いてなかったら正直分からなかったと思います。今は眼鏡をかけてらっしゃるし、印象がガラリと違っています。何て言うか…、制服というか仕事中とそのあとではなんだか雰囲気が違うと申しますか…。


「佐久間さんが私を覚えていてくれた…。私を覚えていてくれた…。小学校低学年にして喪女もじょと呼ばれて幾星霜いくせいそう嗚呼ああ…、嗚呼…、私を…私を見てくれている殿方に巡りえるなんて!う、運命なの?これは運命なの?」


「あ、あの…。久能…さん?」


 声をかけてみたが久能さんに僕の声は届かない。それどころか遠くと言うか、この世とか宇宙の果てを見ているかのように目の焦点が合っていない。


「たった一度…。たった一度の視線が合っただけで…、それが勤務中と勤務後が別人ビフォーアフターとさえ言われる私を佐久間さんは気付いてくれていた…。覚えていてくれた…。き、きっと佐久間さんも私の事を…」


 どこか遠くを見ていた久能さんだが、パソコンを再起動させたみたいにその瞳に再び光が宿る。しかしそれは魔に魅入られたとでも言おうか、妖しい輝き。それがまっすぐに、燃やし尽くすのではないかと言う程に熱く見つめてくる。


「湯あみを…なさるのですよね?」


 じりっ。久能さんがゆっくりと一歩、距離を詰めてくるような感じがした。その両手はさながらホラー映画のゾンビのように僕の方へ伸ばされている。あと…、なんなんでしょうか…その舌なめずりは。


 じりっ。また一歩僕に近づいてくる久能さん。何やらまずい。このままここにいたら何かヤられる…、それだけは確実に予想出来る!


「湯あみをなさるのでしたら…」


 じりっ、さらに一歩。


「服を着たままでは出来ませんよねえ…!」


 逃げなきゃっ!僕はシャワー室の出入り口に向かおうとする。しかし、この部屋に入った時に下着姿の久能さんの言葉通り壁際まで下がり後ろを向いた事が災いした。ドアから遠のいてしまっている。


「ですから…、服を脱がなくては…」


 じりっ。久能さんの作戦なのだろうか?僕にじりじりと近付きながら同時に出入り口のドアにも近づいている。あれでは僕がドアを開けて逃げようとしても、例えば久能さんがドアが開く軌道上を体でブロックすればドアは十分には開かない。しまった!久能さんの動きの方向を見誤っていたっ!


「ウフフ…、スウェットの上下とは随分と脱がしやすそう…」


 大きく一歩踏み込んで手をいっぱいに伸ばせば僕の体に届きそうな間合いに入った時、久能さんは顔を紅潮させながら言った。


「さあ…佐久間さん。勇気をお出しになって!湯あみの為にその服を脱ぎ捨てて、ついでにこの私の服を…、そして体を…!!」


 違う!絶対違う!何か奪われようとしてるのは絶対僕だ!僕の着ているスウェットを脱がしやすそうとか言ってたしい!!


 肉食獣が獲物に飛びかかる寸前と同様に、久能さんがその体をグッと低く沈みこませた。来るっ、僕はそれを本能的に察した。だからと言って僕に何か対抗措置がある訳ではない。


 身を沈ませた久能さんが飛びかかった瞬間、ガチャッと出入り口の扉が開いた。内開きのドアはまさに飛びかからんとした久能さんの顔面に直撃!


「シュウ〜!シャワーしてるかぁ〜!?あれ、まだ服着てんじゃん!なんだよ〜、偶然の全裸チラリを期待していきなりドア開けたのによ〜!」

「相変わらずのゲスさは安心の美晴クオリティですわ…。まあ、わたくしも魅惑の入浴シーンを少しは期待してましたけど…」


「た、助かった…」


 この二人は…。でも、そのゲスさで今夜は助かりました。


「なんかガンッてぶつかったみてーだけど…。あれ?なんだ久能じゃん。おーい、何寝てんだよ。起きろー」

「あなたがドアを勢いよくブチ当てて気絶させたとしか思えませんわ」


 とりあえず久能さんを介抱しながら警護するという事で残念がりながらも二人は室外に姿を消した。動機や言動はともかく、二人の警護によって僕の色々なものは守られたのだった。

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