#9 恋心と一途さ。


「えっと…、そんな訳で僕はまだ『男性の為の新しい日常復帰プラン』というのを今日から受講け始めたばかりでして…。自分の行動がどんな意味を持つのか、また相手の女性をどんな気持ちにさせるかも知らずに…その…。何も考えずに手を振り返してしまって」


「そ、そんな…。わ、私…、佐久間さんが私だけを見て手を振り返してくれたと思って…」


 入浴後に僕と美晴さんと尚子さん、そして久能さんを連れて柔道場に戻ってきていた。そして膝を突き合わせての話し合いをしていた。


「手を振り返したのはあくまで軽い気持ちで…。お世話になっている河越八幡署の婦警さんにあくまで挨拶の延長線くらいのつもりでして…」


「………」


 僕が口を開くたびに久能さんはシュンとしていく。考えてみればそうか…。さっきまで相思相愛とか運命の出逢いとか感じてたみたいだし。


 それに久能さんはなんだかとても古風な恋愛感を持っているようだし…。そして何よりもとても一途な方に思える。心に決めたら一直線とでも言おうか、生涯の伴侶になる事を固く誓うようなイメージ。結婚相手としたらこんな誠実な人はいないのではないだろうか…そんな風にも思える。


「わ、私…。もし昔みたいに普通に男性がいる社会だったとしても、きっと重い女だとか思われて敬遠されてたんじゃないかって思ってぇ…。だ、だから男性のいない社会になってちょっとホッとしてる自分もいてぇ…。だけど佐久間さんが現れて優しく手を振り返してくれたから…。わ、私みたいな女でも受け止めてくれると思って!!」


 そこまで久能さんは嗚咽混じりにこれまで溜め込んできたのだろう、その思いを激流のように吐き出した。


 そして後は激しく泣いていた。まさに慟哭どうこく、久能さんは正座した状態のまま柔道場の畳に顔と手を投げ出して体を震わせていた。ずっと、ずっと…。


 美晴さんが久能さんを心配になったのかその肩に手を置いて慰めるような動作をしようとした。尚子さんもまた心配そうな表情をしている。


 泣かせたのは僕のせいだ、だから僕は動いた。


 久能さんの肩に置こうとした美晴さんの手を僕は制した。美晴さんがちらりと僕を見た、頷いて見せる。美晴さんは僕にゆだねてくれるのか手を引いてくれた。


 僕より大人の人、そんな大人の人を僕は泣かせてしまった。久能さんから見れば僕なんてお子ちゃまだ。将来ちゃんと暮らしていけるかも分からない、そんな僕に形や動機ははどうあれまっすぐに向かってきてくれた。


 今は涙を流す事になったけど、それは強い気持ちの裏返し。恋なんて誰だってするものだ。王侯貴族から庶民まで、大人だろうが年齢ひとケタの小さな子供だろうが。誰もが抱く当たり前の感情じゃないか。


「久能さん」


 僕はそう一声かけて力無く項垂うなだれ泣いている久能さんの手を取り、両手で包み込むようにした。しかし、顔を上げた久能さんは泣き顔のまま、手をお互い振り合った時のような笑顔になって欲しい。まっすぐに向き合ってくれた久能さんに僕もまっすぐに向き合うんだ。


「あ、あ、あ。は、はな…して」


 僕が手を取った事に同様しているのか久能さんはしどろもどろになりながら弱々しく呟く。


「離しません」


 僕は互いの膝と膝が触れ合いそうになるくらいにまで近づいた。先程は久能さんがものすごくグイグイ来ていたけれど、その勢いはどこへやら。今は弱々しく抗うのみ。


「さっき言ってましたよね、久能さん?私を……って」


 なんだか分からないけど自分の声ながら妙に甘くて低い声が出ている。ちょっと調子に乗っているのが自分でも分かる。もしかして僕にはSッがあるのだろうか…。


「はうっ!!」


 分かりやすいくらいに久能さんがピクピクと反応する。もしかすると受け身に回ると弱いのかも知れない。だったらこのままこちらから仕掛けてみようか。


「ねえ、久能さん…」


 僕はさらに言葉を続けた。


「私みたいな女なんて言っちゃダメですよ。人付き合いなんてそれこそ人それぞれ。得意な人もいれば苦手な人もいる筈です。重くたって良いじゃないですか、うわついた遊びのような付き合いをする人なんかよりずっとずっと素敵じゃないですか。何よりも誠実だと思いますよ」


 僕はまっすぐに久能さんを見ながら言った。


 中学の時にやたら高校生とかのグループに混じって行こうとしていたクラスの女子がいたな。別に呼ばれてる訳でもないのに自分から強引に入り込んでいくみたいな感じだったと噂話で聞いていた。

 そのくせ『私はモテるから中学生の枠にはおさまらない付き合いをしている』とか、『高校生ってやっぱオトナ、だから付き合う時間がどーしても夜になる』とか聞いてもいない話を自分から口にしてマウントを取ろうとしていた。


 もっとも同じ世代の僕らがまともに相手にしようとは思わないようなヤツだったから、高校生達も同じようなものだったんじゃないかなと思う。


 比較するのもバカバカしいような相手だが、久能さんは良い人なんだと思う。ドラッグストアの前でミラーリングしてしまったり、バスルームで鉢合わせするみたいな事が無ければおかしな事にはなっていなかったと思う。…多分。


「だからね、始めから…。久能さんは河越八幡署の婦警さんとして、僕はそこでお世話になり始めた研修を受け始めた者として接していってもらえればありがたいです」


「は、はい。で、でも、そうしたら佐久間さんは私の事なんてやっぱり何とも…」


 まっすぐ僕を見つめていた久能さんだが、その顔が再び悲しみに染まり始める。


「一目惚れをしてないだけですよ。僕は相手の人の良い所を知ってだんだん好きになっていく…、そんなタイプなんです」


「じゃ、じゃあ…」


 久能さんの表情に明るさのようなものが生まれた。希望を見つけたとでもいうように。悲しい顔じゃなくなった…、今はそれで良いかなと僕は思った。



 シャワー室騒動が一件落着したその後…。


「なあ、尚子。何メモってんだ?」


「修さんの事ですわっ!一目惚れはしない、相手の良い所を知ってだんだん好きになっていく…と」


「ああ、その事か。それよりよぉ…」


「何ですの?今、他に大事な事なんてありますの?」


「そのシュウがさぁ…、久能を慰めるのに手を取ってたよな…。それも両手で、包み込むように…」


「アッーーーーー!!!!」


「オレ(わたくし)、まだされてない…」

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