#7 男が性犯罪に巻き込まれる事も珍しくない世界。


「ひ、被害者…?」


 思わず呟いた僕の言葉に浦安刑事は頷いた。


「君は痴漢という言葉を知っているかい?」


「は、はい。電車とかで男が女の人を触ったりする事です」


 僕の返答に浦安さんは頷いた。


「そうだね、君は2005年生まれだからその言葉を知っていても何の不思議もない。本来ならもうすぐ三十一歳、その年頃なら特にね」


「アタシも痴漢被害者の調書とかはよく取ったわよー。若い頃だけどね。だけど、ある時からプッツリとそれが無くなったの。どうしてか分かる?」


 浦安さんが話題を起こし、崎田さんがそれを受けて質問してくる。


「お、男が…いなくなったから…ですか?」


「そう、正解よ。日本だけじゃない、世界中から男がいなくなっちゃった。だから男が加害者、女が被害者になるタイプの犯罪がググッと無くなったわね。でも反対に…」


「は、反対に?」


「男が…、とりわけ『天然』の男が性犯罪被害者になる事案が増えたのさ」


 向かい側に座る多賀山さんがコーヒーを飲みながら低く甘い声で言う。


「そうそう。今年になってからだと中学校の用務員をしていた五十代の男性が被害に遭ったってあったな。女子生徒十数人で無理矢理って新聞誌上を賑わせて」


 大信田さんがとんでもない事を言う。


 女子中学生が?集団で?男性一人を?えっ、男性数人が女の子一人を…とかじゃなくて?戸惑っている僕の肩にポンと浦安さんの手が乗った。

 

「信じられないかも知れないが、これが2036年の常識なんだ。君にはこの事を知ってもらいたかったんだ。そうでないとちょっとした弾みで君が被害者になるような事があるかも知れない。だが、知っていれば防げる可能性もね。だから伝えておきたかったんだよ」


 そうか、僕の為に…。


「ありがとうございます、浦安さん」


 僕は浦安さんに頭を下げた。


「うーん。さすが浦安やっさん、良い場面だ。あれ?でも、それってセクハラじゃね?」


「えっ?」


 僕の肩に置かれた手を見ながら大信田さんがそんな事を言った。



「被害を主張しなければセーフですから」


 そう言って僕は浦安さんの肩に手を置いたのは大丈夫と言っておいた。その後、定食をなんとか食べ終える。お腹が苦しい、パンパンだ。


 お腹が苦しいのでふうふう言いながら立ち上がる。浦安さん達に続いて食器返却口に食器を返しに行く。浦安さん達が次々と返却棚に食器類を置いていく。


「ご馳走様でしたー」


「あー、お兄ちゃん食べ切ったねえ。さすが男の子だ!胃袋も元気さね!」


 食券受け取り口にいたおばちゃんが今は洗い物をしながら声をかけてくる。


「いやー、さすがに一人では完食するのは無理でした」

「あっ、そうなのかい?じゃあ次からは少し加減しようかね。また食べに来ておくれよ」

「ありがとうございます、またよろしくお願いします」


 そう受け答えをしながら僕は受け取り口に使った食器類を箸なら箸、器なら器と所定の位置に置こうとする。


「あっ、こちらで受け取りますッ!」


たたたたっと若い女性食堂スタッフの方が二人ほどやってきて食器を受け取ってくれるようだ。


「ありがとうございます、じゃあコレをお願いします」


 そう言って僕は使用し終わった食器をトレイごとスタッフの方に渡した。


「はい!ご使用ありがとうございましたー!!」


 ん!?『ご使用』?『ご利用』じゃなくて?。ま、まあ良いか。凄く素敵な笑顔で食器を受け取ってくれたし。言い間違えただけなのかも知れない。


「さあ、まずは部屋に戻ろうか。二時からは午後の検査もあるからね」


 浦安さんの言葉に従い、僕達は僕の病室に戻った。



 その頃、食堂の食器返却口内にて


「「こ、これが『天然の男』が使用した食器なのね」」


 つい先程、修が利用した食器類を受け取った食堂スタッフの女子従業員の二人が呟く。言っている事は酷いものだが、修の使用済み食器類を眺めながら見つめる目は真剣そのもの。いや、獲物を狙うような目をしている。


「はあああぁ〜〜、ありがたやありがたや!」

「ちょっ、ちょっと私にも!」


 修の使用済み食器を女性従業員二人が奪い合うようにしている。水平から傾いたトレイの上で箸がコロコロと転がる。


「あっ、あれはッ!」

「しっ、使用済みの箸ッ!」

「…………(ゴクリ)」

「…………(ゴクリ)」

「舐めるわっ!」

「わ、私にも一口!」


 女二人、醜い真剣勝負。ジャンケンでその所有者を決めようとする。しかし、白熱のあいこが数回続いた後、片方が言い出した『箸は二本ある』という言葉により一本ずつを取り思う存分楽しむ…そんな淑女協定が結ばれた。


「じゃ、じゃあ…(ぐへへ)」

「う、うん(ぐふふ)」


 そう言って二人の女子は置いていた修の使用済み食器に目を向けた。


「「あ、あれっ!?」」


 先程まで置いていた『天然の男』が使用した食器がなくなっているのだ。


「ちょっとアンタ達!いつまでふざけてるんだい!手が空いてる時に少しでも洗い物済ましとくんだよ!」


 そんな声を上げながら修に大盛りを勧めた中年の女性従業員が次々に返却口に置かれた食器類をベルトコンベア式の食器洗い機に放り込んでいく。


 そこには見覚えのある日替わりランチ用の食器が載ったトレーがあった。『天然の男』が使っていたあの食器類一式。間違いない、本来は箸を返却する際は箸入れに入れてもらうのだが、それをさせないように修が返却口に向かったのを見て駆け付けトレイごと回収したのである。だからそのトレイには箸が載っていた!二人がとても人には見せられないような楽しみ方をする予定だった修の使用済みの箸。


「い、いやああああっ!」

「ら、らめえぇぇっ!!」


 ガコンッ!!他の客が使用した食器類と同じように修の使用済み食器も食器洗い機に放り込まれた。


「ほら、さっさと洗い終わった奴を順に処理していくんだよおっ!」


 そんな声が響く厨房スペースでは、自らの欲望を叶えられず涙目で仕事をする二人の女性従業員の姿が見られたという。時は春の半ばを過ぎた頃、河越の地では桜が盛大に散っていた。

 

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