番外編2.夢じゃなかったみたいです  (書籍発売記念SS)

 


 その日、私はセオドア様と応接間で向かい合っていた。

 二人の間――テーブルの上に置かれたのは、マニラス家に届いたある招待状である。


 これが何かしらの茶会や夜会の誘いであったなら、私とセオドア様はここまで緊張しなかったと思う。

 でも今の私たちは、膝の上で拳をきつく握り合い、沈黙している。



 というのも。

 それは――エウロパ様の処女作『イヴリン様』の発売記念に開かれるサイン会への招待状だったのだ!



(うっ……頭が)


 以前、エウロパ様から本の内容について話を聞いた気もするけど、なぜだか私の頭はそのときのことを思い出そうとするとひどく痛む。

 というか近頃、エウロパ様に呼ばれて写真館に行ったりするたびに、私は記憶の大半を失っている。だから招待状を見るときの緊張感も半端なものじゃなかった。


 セオドア様も、厳しい目で招待状を睨んでいる。

 招待状の日付は来週末。その日は本の発売日で、サイン会は事前の抽選会で当選した人だけが特別に参加できるらしい。もちろん私も誰も抽選会に応募してないので、エウロパ様が自ら贈ってきてくれたのだ。


「例の怪文書は、星の名を持つ出版社の、月の名を冠するレーベルから発売が決まったようですが……本当にどうかしています。エウロパの書いた本を刷るなんて、やはり出版社の人間は軒並み脅されているのかもしれませんね」


 セオドア様が吐き捨てる。考えすぎだと思うが、エウロパ様なら脅迫もやりかねない。


 彼が怪文書と呼ぶ『イヴリン様』は、エウロパ様がおいていった見本の一冊がマニラス家にもおいてある。が、その行き先は書斎ではない。

『イヴリン様』を見ると頭痛を覚える私のため、セオドア様は呪い師を呼び、『イヴリン様』に指定封印というものを施し、地下室へと封じたのだ。


 包帯のような布にぐるぐる巻きにされた『イヴリン様』は、ちょっぴり哀れだったが……。


「どうしましょう、イヴリン様。この招待状は燃やしておきましょうか」

「い、いえ。……大丈夫です、行きましょう!」


 内容はよく知らないけど、私とエウロパ様が登場するという本なのだ。

 どうしても気になった私は、発売日に王都に行くことに決めたのだった。



 ◇◇◇



 サイン会当日の朝。

 私とセオドア様は、軽く変装して王都に向かったわけだが……。



(すっ……すっごく盛況だわ――!!!)



 王都に入るための門扉の前もものすごい行列だったので、まさかとは思っていたけど……ここまでの盛り上がりを見せているとは。

 王都はどの往来も人混みで賑わっていた。春に開催されたイヴリンサマーフェスティバルほどではないが、祭りか宴かという規模の人々が通りを埋めている。


 しかもそこら中から「イヴリン様買った?」というような話し声まで聞こえてくる。やはりこの人の多さは、今日発売の『イヴリン様』ゆえなのだ。

 エウロパ様が一生懸命に書いたとしても、あんな変なタイトルの本は売れないだろうと思っていたのに。


(それにしても……)


 会話が耳に入ってくるたび、私は恥ずかしい思いをせずにいられない。

 だって、


「お前、イヴリン様何人買った?」

「表紙を舐めるように見て、いっとう煽情的なイヴリン様を二人、家に連れ込んだぜ」

「ばっかお前、どのイヴリン様も魅力的なんだよ。オレは三人。全員、オレだけのイヴリン様だ」

「はっ。俺んちのイヴリン様には勝てないぜ。……もうひとり連れ込もう」

「それがいいな。もう一回、本屋に行こう。早くしないと全員連れ去られちまうぞ!」


(な、なんでみんな本の単位を『人』にして話すの!?)


 一冊、二冊、と数えてくれればいいのに、と私は次第に真っ赤っかになってしまう。


(じ、自分のことじゃないって分かってるけど……!)


 エウロパ様ったら、なんて紛らわしいタイトルをつけるのだろうか。

 涙目でぷるぷると震える私を、痛ましげにセオドア様が見つめている。


「イヴリン様、どうかおきになさらずに。……イヴリン様は俺のイヴリン様ですから」

「そんな恥ずかしそうに言われても……」


 私に負けないくらい顔が赤くなっているセオドア様が、咳払いをする。


「では、本屋に行ってみましょう。そこでサイン会が催されているようです」

「は、はい」


 人混みに流されないよう腕を組んで、王都で唯一の大きな本屋へと向かう。

 人いきれにやられて汗だくになった私たちが到着したときには、普段は親子連れで賑わう本屋は、入り口前の通りから大行列で溢れていた。

 全員、『イヴリン様』を胸に抱いて誇らしげな顔をしている。どうやらこれがサイン会参加者の列らしい。本屋の店員らしき人が、最後尾でプラカードを持っている。何人も誘導係らしきスタッフも居た。


 本を購入する人たちの列まで店の外に続いているので、何がなにやら分からないくらいの大盛況っぷりだ。


「次の方、どうぞ。ちゃちゃちゃちゃっとサインしますわー」

「この声は……!」


 ふと、やたらリズミカルな声が聞こえてきて、セオドア様が素早く視線を走らせる。

 目を眇めて遠くを見た彼が鋭く叫ぶ。


「居ました! バケモノ――じゃない、エウロパです!」


(ひどい言い間違い!)


 でも間違いとも言い切れない。

 私もエウロパ様の姿を確認しようと、背伸びをする。

 ぴょんぴょんとその場でジャンプをする。しかし……。


(よ、よく見えない!)


 何をやっても、たくさんの人の頭が見えるだけで、店の奥に居るらしいエウロパ様が見えない。


「イヴリン様、非常にお可愛らしいです」

「よく分からないこと言ってないで、助けてくださいセオドア様!」


 セオドア様が顎の下に手をやり、考える仕草をする。


「では、お姫様抱っこはいかがですか?」

「それだとあんまり高さが変わらないような……」


 だからといって脇の下に手を入れて持ち上げられたり、肩車されたり……というのも論外だ。

 なんせ私は二十八歳。年端もいかぬ子どもではないのだから。


「あの、すみません。あなたも本を買いに?」


 困った私は、せめて道行く人の話を聞いてみようと、行列に並ぶ老人に話しかけてみた。

 というのもこの人の量はいくらなんでも異常だ。まさに本を買いに来ている人ならば、何か貴重な情報を持っているかもしれない。


 並び疲れた様子の老人は、笑顔で応じてくれる。


「『あなたは何しに聖国へ?』のインタビューですね。喜んで」

「違います」

「わしは本を買いに来ました。残念ながらサイン会の抽選は外れましたがね。はるばるタリニャンからやってまいりました」

「タリニャンから!?」


 タリニャンといえば、スナジル聖国とは遠く離れた東の離島にある国。

 そんなところから、わざわざ一冊の本を買いに来る人が居るなんて……。


「エウロパ・カテ公爵令嬢といえば、イヴリン様親衛隊長として名高いですからな……彼女の出版した本は世界一、いや宇宙一に注目されておりますよ。わしは保存用と観賞用と布教用と神棚用に百人ほどのイヴリン様を購入したかったのですが、人数制限がありひとり三人までしか買えませぬ。口惜しいったらありゃしない」

「そ、そうなんですね」


 せめて冊数制限と言ってほしい。


「全宇宙同時発売されているのですが、午前の時点で販売人数が……あ、あちらを見てください。店員がプラカードを掲げておりますぞ」

「え?」


 老人の指差すほうを、私もセオドア様も見てみる。

 すると書店からばたばたと駆け出してきた店員が、大きなプラカードを掲げる!



 ――祝! 『イヴリン様』 500000000人 達成!――



(ご……っ500000000人の私!?)


 スナジル聖国の人口よりも多い数字を目にして、私は口を半開きにしてしまう。

 さすがに冗談だろうと思ったのに、本屋に並ぶ人々は一斉に感嘆の溜め息を漏らし拍手をしている。誰もその数字を疑っている様子はないようだ。私はこの空間が怖い。


「20000000人のイヴリン様へのサインが終了しましたので、イヴリン様のサイン会はいったん小休憩をはさみます! ご了承ください!」


 出版社の人らしき人に付き添われながら、エウロパ様が日傘を手に店から出てくる。

 周りが一斉にどよめいた。人々の熱烈な視線に晒されながら、エウロパ様は優雅に微笑んでいる。


 聖女としての法衣姿ではなく、今日のエウロパ様は泥だらけの普段着を着ている。私がいつぞや底なし沼に嵌まったときの泥を、今も大切にしているようだ。本当に怖い。


「見ろ! あれだっ、あれがイヴリン様の1856ページ目でも紹介されているイヴリン様お手製の泥だ!」

「うおおっ、まさかこの目で実物を拝める日が来るなんて……!」

「今まで生きてて良かったー!」


(いろいろ紛らわしい!)


 泣き叫ぶ人々を見守りながら、エウロパ様は頬にそっと手を当てる。


「うふ、こんなものじゃありませんわよ。目標は10000000000000人ですわ」

「10000000000000人のイヴリン様ですね。この勢いなら余裕で達成するでしょう」


(0が多すぎてもはやケタが分からない……!?!)


 両手の指だけでは計算が追いつかなくなったそのとき。


「っ!? う、うふはぁん……!」


 妙に色っぽい声を上げながら、エウロパ様がくねくね身悶えをしはじめた。


「か、感じます……感じますわ! イヴリン様の熱烈な視線を!!」

「!!!」


 なんとこの人混みの中でも、エウロパ様は私の魔力に気がついてしまったらしい。

 その言葉に、一気に周囲がざわざわと騒がしくなる。私の姿を捜して、人々が目を血眼にしているのだ。


「ここは危険です。すぐに離れましょう!」


 暴徒と化しそうになる人々を見やりながら、セオドア様が声を潜めて言う。


「で、でもセオドア様。この人混みで走るのは……!」


 二人で走れば、あちらこちらでいろんな人とぶつかってしまいそうだ。

 するとセオドア様が、ぼそぼそと耳元で囁いてきた。


「なら、その。……俺がイヴリン様をお姫様抱っこする、というのはどうでしょう?」

「えっ」


 さっき否定した案だけど、どうやらセオドア様は実践したかったらしい。

 私が何か言う前に、その意外と逞しい腕に抱きかかえられてしまう。


「セ、セオドア様!」

「やりました! 役得です! やったー!」

「セオドア様!?」


 笑顔のセオドア様が走り出す。

 私は何がなにやらだったが、とにかくそんな彼の首にぎゅっと抱きつくしかなかった。




「ううっ、ぐるじいいいぃ……イヴリン様とイチャつく不届き者の波動がぁっ……!」




 そして。

 エウロパ様が泡を噴いて苦痛を訴えたことにより、伝説のサイン会は中止になったという――。








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これは偶然ですが、本作「追放された聖女ですが、実は国中から愛されすぎてて怖いんですけど!?」が、「イヴリン様」と同じく星の名を持つ出版社の、月の名を冠するレーベル様より本日発売されました!



くろでこ先生の可愛いイラストがたくさん見られます。もはやこれ以上の言葉はいらないですよね。たくさん笑いたい皆さまに、ぜひぜひお手に取っていただけたら幸いです!



イヴリン系統の新連載も始めました⇒「これは惚れ薬による偽りの溺愛ですが、それでも私は幸せです!」https://kakuyomu.jp/works/16817139556248452842




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