番外編1.夢であってと願います (書籍化決定記念SS)
この度、第3回アース・スターノベル大賞にて入選受賞し、本作の書籍化が決定しました。
変態たちが本になります。受賞&書籍化を記念した番外編を書きましたので、お楽しみいただけたら幸いです。
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王都から、セムの町へと戻ってきた翌日のこと。
私とセオドア様は向かい合って朝食を取っていた。
給仕の使用人たちも下がっているので、他に人の姿はない。
キラは朝早くからジャクソン様と森に行ってしまったし、カリンちゃんは学校だ。
伯爵夫人は見かけたけれど、「若い二人で楽しんでねオホホ」なんて言ってどこかに行ってしまった。
(そんな、変に気を使ってほしくないのに)
昨日、私はセオドア様の
言うなれば、婚約者、という関係になったんだと思う。
でも、急激に何かが変わったわけじゃない。いろんな準備が整っていないため、私が寝泊まりする部屋だって、まだ居候時代と変わっていないし。
でも今後、私はセオドア様の奥さんになるわけで。
セオドア様はお父上であるジャクソン様から、既に伯爵位を継いだ状況でもあるわけで。
つまり私はいずれ、伯爵夫人としてセオドア様を支えていく立場になるわけで――。
(か、考えだすと落ち着かないわ……!)
私がひとりで百面相していると、セオドア様が不思議そうにこちらを見遣る。
沈黙に耐えられず、私は声を上擦らせながら話しかけていた。
「お、美味しいですね」
「……はい。とても」
にっこりと、嬉しそうに微笑むセオドア様。
その瞳に、私への慈しみが溢れているようで……見つめ合うだけでドキドキしてしまう。
そんな、緊張するけど穏やかな時間が流れる中。
――ドガアアアアアアン!
突如として、部屋の右側の壁が一面吹っ飛んだ。
朝食の席に、散乱する埃と塵が舞う。
「なんだ! 魔物か!?」
さすがに反応が早く、セオドア様が素早く立ち上がる。
片手をつき、テーブルの上を滑るように移動してきたセオドア様が、私を背に庇った。
「イヴリン様、危ない! 俺の後ろに隠れてください」
「は、はいっ!」
広い背にしがみつくようにしつつ、私は恐る恐る吹っ飛ばされた壁の方角を見遣る。
セオドア様の言う通り、魔物が侵入してきたのだろうか。
(でも、エウロパ様の力は私よりも優れているはずなのに……!)
魔物が家屋にまで這入ってくるなんて、滅多にないことだ。
そう思いつつも、目の前を慎重に見ていると。
「きゃああああああっ!!!」
もうもうと立つ煙の中から、叫びながら現れたのは――当代の聖女であるエウロパ様その人だった。
「エ、エウロパ様!?」
紫色の美しい髪の毛を振り乱して、エウロパ様は暴れている。
半狂乱の様子で叫んでいるが、この方が狂っているのはいつも通りなのでそれはおかしくはない。
でも、
(どうしてエウロパ様がここに?)
イヴリンサマーフェスティバルの夜、私からエウロパ様に聖女の座は無事引き継がれた。
つまり、彼女は神殿に居るべき人なのだが――。
「きゃああああああああ!!!!!!」
「いやあのっ、ど――どうされたんですか!?」
壁をぶち破られて叫びたいのはこっちなのに、なぜか登場してからずっとエウロパ様は叫び続けている。
このままではその小さな喉から血が迸るのでは、と困惑しながら見守っていると、エウロパ様は、はっと正気づいたようだった。
ばっちり、目と目が合う。
こほんと咳払いをすると、エウロパ様は見惚れてしまうほど優雅な所作で長い法衣の裾を持ち上げ、頭を下げた。
「イヴリン様。本日もご機嫌うるわしゅうございます」
「……あの! 唐突に冷静にならないでもらえます!?」
落差が激しすぎてついていけない。
「それが……私事ではありますがご報告がありまして、ここまで走ってまいりました」
「報告、ですか?」
「ご本人様を前にして、恥ずかしいのですが……」
エウロパ様はやたらもじもじしている。
今さらエウロパ様が羞恥心を覚えることもあるのかと、私は驚かされた。
私とセオドア様が息を呑んで見守る中、顔を真っ赤にしたエウロパ様が言い放つ。
「じ、じ、実は――っっわたくしの書いた物語が、本になりますの!!」
「えっ……!」
「今まで細々と、身内の者にだけ回覧していたのですが……噂が出回ったようで、それを読んだ出版社の方に声をかけていただきまして」
「きゃっ。言っちゃったっ」と赤い顔を隠すエウロパ様。
私はといえば――それを聞いて、感動していた。
「すごい! エウロパ様は作家さんだったんですね」
「うふふ。作家なんて、大したものではありませんけれど」
そう微笑みながらも、エウロパ様はちょっと嬉しそうにしている。
「どんなお話なんですか?」
わくわくしながら話の内容を訊いてみる。
しかし、なぜかセオドア様は険しい顔で首を横に振っていた。
「イヴリン様。エウロパのことですから、当然イヴリン様を題材にした物語でしょうが……たぶんろくな話じゃありません」
いつも温厚な彼の厳しい言葉に、私は目を見張る。
言い聞かせるように、セオドア様は続けた。
「その出版社も正気の沙汰じゃありませんよ。エウロパの書いた話を出版するなんて、もしかしてエウロパに洗脳でもされてるんじゃ」
私はその言葉にむっと唇を尖らせた。
「ひどいです、セオドア様。読んでもいないのに、そんな風に仰るなんて」
「え!」
私の反応がショックだったのか、セオドア様が目を見開いている。
しかしこれだけは、彼に伝えておきたい。
「私は物語を書いたことはありませんから、その苦労は分かりませんけど……きっとエウロパ様はたくさんの時間を使って、精いっぱいの思いを込めてお話を書いたんです。誰かに伝えたいと思って、ペンひとつで新たな世界を生みだす――私はとっても、素晴らしい才能だと思います」
「イヴリン様……! 慕わしい!」
感極まったようにエウロパ様が涙ぐんでいる。
そんなエウロパ様に、優しく促してみる。
「エウロパ様、それで、どんなお話なんですか?」
「は、はいっ。わたくしが挑戦したジャンルはノンフィクションです」
「つまり、事実を基にして書いたお話ということですね?」
「その通りですわ。まず主人公の少女の名はイヴリン様です」
それはそうだろうなと思っていたので、私は動揺しなかった。
「第一話では、イヴリン様の運命の恋人である少女が現れるんですの」
「へぇ。運命の恋人の………………少女」
「名はエウロパ。母の胎内に居た頃からイヴリン様に恋い焦がれていた一途な少女ですわ。二人は出逢った瞬間から惹かれ合い、もう二度と離れないという誓いの証としてお互いの髪の毛を絡めた情熱的なアクセサリーを作りますのよ。そのアクセサリーというのはエウロパの生まれた町に古来より伝わる慣習でして、まず満月の晩に湖のほとりにて、光る唾液の糸と胃液の」
「ちょ、ちょっとあのっ、ちょっといいですか?」
私が必死に遮ると、「はい?」とエウロパ様が小首を傾げる。
「ノンフィクションなんですよね?」
「紛うことなくノンフィクションですわ」
「でも、主人公たちのモデルは私とエウロパ様なんじゃ……」
「モデルとかではなく、ノンフィクションですわ」
エウロパ様の目を見る。嘘偽りのない目をしている。
全身に戦慄が走った。
(本当にろくな話じゃないわ!)
セオドア様の言うとおりだった。物語というよりこれでは怪文書の類いだ。
微笑んだエウロパ様が、私に近づいて耳元でこう囁いた。
「タイトルは――『イヴリン様』、ですわ」
(ひっ……!!)
シンプルなのが逆に怖い。全身がわけがわからないほど震えてしまう。
「出版された暁には、いの一番に献本をお届けに参りますから、ぜひ読んでくださいませイヴリン様。ああでもっ、この物語はわたくしの、イヴリン様への情愛の全てが籠った作品……つまりわたくし自身といっても過言ではありませんわ。生まれたままの姿のわたくしを、頭からつま先までイヴリン様のお目に眺めていただくだなんて……そんなのそんなのっ、興奮してしまいます! 頭がっ、頭がおかしくなってしまいそう!!」
(ひいいいっ!!)
ヘッドバンギングしながら暴れ回るエウロパ様に、私は恐怖のあまり腰を抜かした。
助けを求めて隣を見る。でもそこに、頼りになる彼の姿はなかった。
「セオドア様!?」
いったい私を置いて、どこに行ってしまったのか。
涙目になりながらも助けを呼ぶ。しかし答える声はない。
(もしかして、また川に落とされちゃったの!?)
その間にもエウロパ様は迫ってくる。
彼女の顎をじゅるじゅると粟立った涎が滴っている。
(光る唾液の糸と胃液! 光る唾液の糸と胃液!!)
その瞬間、思わず遮ったエウロパ様の言葉が脳裏に浮かび上がった。
言葉の意味はよく分からないのに、絶望感でいっぱいになる。
もはや声も出ない恐ろしさの中、私はその名を必死に呼んだ。
(た、助けて! 助けてキラ! 助けてキラアァ!)
「――――キラァッ!」
自分の叫ぶ声と同時に、目を開けた。
額を、頬を、どっと汗が流れていく感触がする。
「イヴリン様! 大丈夫ですか?」
息を弾ませながら、声のしたほうを見れば――心配そうな顔をしたセオドア様とキラが、こちらを覗き込んでいて。
私は呆然と、彼らの顔を見返した。
「勝手に部屋に入って、すみません。ひどく魘されていたものですから……キラくんが呼びに来てくれたんです」
「イヴリン、もがきながら苦しんでて、ずっと悲鳴を上げてたから」
(キラ……! 好き!)
抱きつこうと腕を伸ばしたら、さっと避けられた。……悲しい。
それにしても、まだベッドの中に居るということは、どうやら私は夢を見ていたらしい。
それだけのことで騒ぎ立ててしまったのが恥ずかしい。居たたまれない気持ちで頭を下げる。
「悪夢を見たみたいで……すみません。お騒がせしちゃいました」
しょんぼりしていると、セオドア様がぽつりと呟く。
「それにしても、夢の中でイヴリン様が助けを求める相手は、俺ではなくキラくんなんですね」
「えっ」
「ちょっと、妬けました」
その言葉に、はっとする。
正しくは、夢の中では最初にセオドア様に助けを求めていたと思ったけど――そんなのは言い訳にならないだろう。
キラはといえば、口元がなんとなく緩んでいる気がしたけど、私と目が合うとそっぽを向いてしまう。
結果的にキラのことまで巻き込んでしまったのだ。なんだかいろいろと申し訳なさすぎて、穴があったら入りたい気持ちになってくる。
おろおろして狼狽えるばかりの私を見ていたセオドア様が、くすりと笑った。
「俺が頼りないのがいけないんですけどね」
私の頭を優しく撫でて、セオドア様が微笑む。
どうやら怒ってはいないらしい。ほっとすると、耳元に唇を寄せられた。
「弁解の言葉は、朝食の席で聞きましょう」
「っは、はい……」
(急に、色っぽい声で囁かないでほしいんだけど!)
私が顔を赤くしていると、セオドア様が「では、またあとで」と部屋を出て行く。
私も早く身支度を整えて、朝食に向かわなければ!
メイドさんを呼ぼうとしていると、部屋を出る直前にキラが振り返った。
「そういえば枕元に、なんか変なタイトルの本が置いてあるけど。それ何?」
「………………、え?」
それを聞いたとたん、背筋にぞっと悪寒が走った。
――見たくない。
絶対にそれを見ないほうがいい、という予感がする。
それなのに私の首は勝手に動いて。
視界の真ん中に、革表紙の本を捉えてしまった。
脇台の上に置かれた、分厚い本のタイトルは――『イヴリン様』。
私は気絶した。
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