最終話.何とか言葉にしてみます

 


 イヴリンサマーフェスティバルが、大盛況のままに無事に閉幕して。


 それから三日が経った今日――私は出立の準備を進めていた。

 といっても最初に大神殿を追放されたときと同じく、荷物はほとんど無い。


 私は今日、セオドア様と共にセムの町に戻る予定だった。


 キラはといえば、ジャクソン様が旧い友人から鷹狩りに誘われたとかで、その付き添いで出かけている。

 ちなみに、伯爵夫人とカリンちゃんはとっくに領地に戻っている。カリンちゃんは学校もあるし。


 そして今、少ない荷物をまとめ終えた私には大きな悩みがあった。


(私……このまま、セオドア様と一緒にセムに戻っていいの?)


 だって彼は、私に……プロポーズをしてくれた男の人なのだ。


 セオドア様の気持ちに、まだ私は答えていない。

 だからこそ、彼の気持ちは知らんぷりして、これからもマニラス家に居候として甘え続ける――それは、とても失礼なことのように思う。


(キラに相談したときは、『じゃあ、イヴリンはどうしたいの?』って訊かれちゃったけど……)


 どうしたいのかと問われても、私はうまく答えが出せなかった。

 考えようとするとセオドア様の笑顔が浮かんできて。

 言語化できない感情がぐるぐると渦巻いて、心臓が騒ぎ立てて……この三日間はそんな調子で、まともに目の前のセオドア様の顔を見ることもできなかった。


(……ん? 目の前?)


「きゃっ!」


 私はびっくりして後退った。

 目の前に、驚いた顔のセオドア様が立っていたから。


「すみません。何度もノックしたのですが、返事がなくて」

「い、いえっ! 私こそすみません、考え事をしていて」


 私がいつまでも部屋から出てこないので様子を見に来てくれたらしい。

 苦笑いしていると、セオドア様が「少しバルコニーに出ませんか?」と誘ってくれたので私はコクコクと頷いた。


 オズ殿下の厚意でこの数日間は王宮の客室にそのまま泊めてもらっていた。

 バルコニーからは王宮の立派な庭園が見える。私は手すりに持たれながら、そんな景色をセオドア様と並んで眺める。


 ――などと平常心を装っていても花を愛でる余裕などなく、私の頭はぐるぐる回転し続けていた。


(セオドア様に……ちゃんと私の言葉で伝えないと!)


 まだうまく言葉に出来ないかもしれないけど、それでも自分の思っていることは伝えたい。

 そんな思いで口を開く。


「ええと、あの、セオドア様……」

「――しかし昨夜のアレックス殿下には、驚かされましたね」


 その件を切り出したいと思ったのに、セオドア様は他の話題に移ってしまった。

 困りながらも遮ることはできなくて、「そうですね」と頷く。


 昨夜は、オズ殿下主催で、私の慰労会とエウロパ様の聖女就任の祝いを兼ね、ちょっとした宴を開いてもらったのだ。

 メンバーは私とエウロパ様とキラ、セオドア様にジャクソン様、王子ふたりに大神殿の神官たちと、本当に気心の知れた相手ばかり……と言っていいのかは微妙だが、顔なじみの人たちが集まってくれた。


 王族主催なだけあり、王宮の中ホールを貸し切って行われた宴では豪華な料理が振る舞われ、楽団が優雅に演奏を奏でていた。

 私はお酒があまり得意じゃないので、キラの隣でちびちびと果実のジュースを飲んでいた。


 イグナ殿下がたまに飛ばしてくる大量の鼻血を避けたり、腹踊りの宴会芸をやろうとするジャクソン様を止めたり、呪いの儀式を始めようとする神官長たちを制したり、隙あらば私から怪しげな言質を取ろうとするエウロパ様から逃げたりするのは大変だったが、それらを除けばとても楽しい宴だった。


 そしてセオドア様が名前を出したアレックス殿下は、宴にはまったく招待されていなかったのだが。


「まさか『誰かオレと一緒に写真を撮ってくれないかー!?』とか叫びながら乱入してくるとは思いませんでしたよね……」


 何とアレックス殿下、フェスティバルの後も連日撮影ブースを開き続けていたらしいのだ。

 しかし閑古鳥が鳴き続け、王子としての高すぎるプライドがへし折られてしまった彼は、それでも相手を求めて王宮内を彷徨い歩いた。


 その結果、私たちがわいわい騒いでいた宴の会場に到着してしまったのだが――そちらを見ようともしないオズ殿下が配下の兵士に命じ、引き摺られていった。


 ちなみにメアリは『指のささくれを治す旅』に神官をふたり連れて出立したらしい。


(いずれアレックス殿下も、『2ショしてくれる人を探す旅』とかに出ちゃうのかしら……)


 だとしても弟のオズ殿下がとにかく優秀なので、まぁどうにかなるのだろうか。


「いつかアレックス殿下に、セオドア様以外にも写真を撮ってくれる相手が現れるといいんですけどね」

「……イヴリン様」


 私が苦笑していると、セオドア様が声を潜めた。

 何かと思って隣を見上げると、セオドア様は緊張した面持ちをしている。


「……ひとつだけ、訊きたいことがあります」

「は、はい。何でしょう」


 慌てて居住まいを正す。

 私は気がついた。おそらくセオドア様は、プロポーズの返事を求めようとしているのだ。


(当たり前よね……というか、本来は私から切り出すべきだったわよね)


 密かに反省している私には気づかない様子で。

 私のことをじっと見つめながら、彼は数秒の沈黙の後に――言い放った。




「イヴリン様は――アレックス殿下のことを、今も想ってらっしゃるのではありませんか?」




(…………………………え? どういうこと?)


 いったい何をどうしたら、そんな質問が出てくるのだろう。

 しかしポカンとする私を見て、セオドア様は「やはり……!」と苦々しげに呟く。何が?


「先日のイヴリンサマーフェスティバルのときのことです。イヴリン様、あなたはアレックス殿下と写真を撮りたがっていましたよね」

「まぁ……そうですね」


 写真を撮って、それを火種に焼き芋パーティーでもやったら楽しいかなと思ったのは事実だ。

 だから別に、アレックス殿下との写真を手に入れたかったわけではないんだけど。


「それにアレックス殿下のことをずっと見つめていらっしゃった。その姿を見て気がついたんです。まだイヴリン様の心は――あの男にあるのだと」


(何言ってるのこの人……)


 訳の分からない推理を聞いている間に、次第に鼻白んでくる。

 しかし私は重大なことに気がついた。


(……あっ。あのとき『イヴリン様はまだ……』とか呟いてたのって、このこと!?)


 つまりセオドア様はあのときに、『私がまだアレックス殿下のことを好きなのか』と思ったということなのか。

 私は呆れ返りつつもセオドア様に低い声で訊いた。


「……その推理って、誰か他の方にも披露されたんですか?」

「え? ああ……キラ君とエウロパには話しましたが。あと神官長にも立ち聞きされました」

「三人は、なんて言ってました?」


 セオドア様は視線を上向け、記憶を辿った。


「ええと、キラ君は確か『呆れた……』と呟いて父のところに去ってしまいましたね。エウロパは『殺されたいのですか?』と殴りかかってきましたが、神官長に何か耳打ちされた後に『その推理は正しいですわ! つまりセオドア様には万に一つのチャンスも無いってことですわ! うひょん哀れですわねー!』となぜか笑顔で言ってきて……」

「…………」


 私は万感の思いを込めて伝えた。


「……セオドア様って本当に――ポンコツ探偵さんですね」

「えっ。ポンコツ……!?」


 思いがけないことを言われたかのように愕然としているセオドア様に。

 私は憤慨しながら言ってやった。


「今も想ってる……って、そもそも私、一度もアレックス殿下に恋したことなんてありませんから」

「そう……だったんですか?」

「ええ。だってあの人、私の妹との浮気現場に私を呼びつけるような男なんですよ?」


 セオドア様が途端に沈痛な面持ちをする。

 思いがけず空気が暗くなってしまったので、私は慌てて両手を振った。


「今さらそんな一年も前のこと、気にしてないですけどねっ?」

「……嘘ですね?」


 その指摘に、私は固まった。


「婚約者に、そんなひどいことをされて……忘れられるわけがありません。あなたは優しい方だから、誰かを責めたりはしなかったかもしれませんが……それでも、傷ついたはずです」

「…………」

「僕だったら、絶対にそんなことはしないのに」

「っ……」


 セオドア様の青みがかった灰色の瞳は真剣な光を宿していて。

 そこに切なげな感情を見てしまって、私の心臓がどきりと高鳴った。


「ずっとあなただけを見て――あなただけのことを、大切にするのに」

「せ、セオドア様……」


 彼の大きな右手が、私の頬ごと髪の毛を撫でる。

 言葉通りの慈しむような触れ方に、どぎまぎして……顔が赤くなるのを隠したいのに、彼の手の感触が心地よくて、とてもじゃないけど顔を背けられない。


 私は小さく震えながら、どうにか唇を動かした。


「あ、あの。あのときのプロポーズの、お返事……」

「…………え」


 セオドア様が何かを期待するように目を見開いた。


 すると突然。

 横合いから伸びてきた手が、どんっとセオドア様を突き飛ばした。


「うわー!」


 押されたセオドア様が手すりを乗り越えて落下していった。


「セオドア様っ!?」


 慌てて階下を覗き込もうとする前に。


「ふぅ……良かった! 間に合いましたわ!」


 声の主が、私の視線を遮るように前に出てきて。

 たったいま目の前で人を突き落としたエウロパ様が、汗ばんだ額をハンカチで拭って笑顔を浮かべていた。


 そしてそんなエウロパ様の足元に、精悍な顔つきの男が倒れていた。


「エウロパ、放置プレイもいいがそろそろ罵倒を……!」

「イグナ殿下? えっ……何で居るんですの?」

「ぐっ……! シンプルイズザベスト!」


 鼻血を噴いたイグナ殿下が、手すりごと突き破って真っ逆さまに落ちていった。

 間髪入れず、下から聞き慣れた声がいくつも聞こえてくる。


「不純異性交遊は断固反対ですぞイヴリン様っ!」

「そうです! まだあなたは幼い方なのだからっ!」

「我々が一生お守りいたしますからね! ご安心なさってください!」


(いや、私……もう二十八歳……)


 イヴリン様、イヴリン様、と勢いよく叫び続ける神官長たちに呆然としていると。


「神官長たち、その役目はあなた方には譲りません!」


 バルコニーのちょうど真下にあった生け垣に引っ掛かったらしいセオドア様が、イグナ殿下を地面に下ろしてやりつつ宣言している光景が目に入った。

 神官たちに包囲され、セオドア様にはすでに逃げ場が無いようだ。


 それでも彼は果敢に叫んでいる。


「何百人の敵が居ようと、僕は……!」

「あーらら、セオドア様ったら甘く見積もりすぎですわ。スナジル聖国の、いいえ全ての国のイヴリン様を愛する人々があなたの敵ですわ!」


 エウロパ様が扇子を取り出し、オホホと嘲笑うと。

 こちらを見上げながら、セオドア様が言う。


 ただ私のことだけを見て。


「イヴリン様、先ほどの言葉の続きを聞かせてくれますか?」

「!」


 私は目を見開く。

 絶体絶命の状況にもかかわらず、彼が笑っていたからだ。


「俺は、あなたのことが好きだ。あなたは俺のことをどう思ってる?」

「私……」


(こんな人前で言わないといけないの!?)


 そう思いつつも。

 何だかそんなのも私たちらしい気がして。


 思いっきり深呼吸してから。

 口の横に両手を当てて、私は叫んだ。



「わっ、私も、………………しゅき! セオドア様のこと!!」

『!!!』



(大事なところで噛んじゃったー!)


 何やらセオドア様含めその場の全員が硬直している気がする。

 羞恥心のあまり言い直す余裕もなく、慌てて付け足した。


「まだっ、これがどういう気持ちなのかちゃんと、分かってるわけじゃないけど……! でも間違いなく、あなたへの気持ちは……"とくべつなしゅき"でしゅ!」

『!!!』


(も、もう私のバカぁっ! また噛んじゃっ――)



『――――お、おぎゃああああああああっっっ!!!』



 その瞬間。


 赤子のような断末魔のような悲鳴を上げながら、次々とエウロパ様と神官長たちがその場に倒れ出した。

 何事かと駆け寄れば、両手を祈るように組んだ姿勢で器用に倒れたエウロパ様は、静かに涙を流していた。


「え、エウロパ様っ?」

「イヴリン様の尊さに爆散しましたの……さようなら、愛おしいこの世界……」


(また変なこと言ってる……)


 そのままぴくりとも動かなくなったエウロパ様を、危ないので部屋の中に移動させると。

 下から再び、セオドア様の声が聞こえてきた。


「イヴリン様! 降りてきてください!」


 慌ててバルコニーから覗き込めば、セオドア様が手を振っている。

 答えようとして、私は固まった。


 だって明らかに、セオドア様が真下で両手を広げているから。


「……え!? ここから飛び降りろってことですか?」

「はい。だって今すぐにあなたを抱きしめたいから」


 恥ずかしいことを真顔で言うセオドア様に絶句する。


 少なくとも三階から地上まで、五メートル――くらいはあるんじゃないかと思う。

 彼は落とされ慣れているかもしれないが、私は初心者だ。ビビるのは当たり前だった。


「大丈夫ですよ。受け止めますから」


 セオドア様が安心させるように微笑む。

 もちろん、彼を疑っているわけではない。でもちょっと怖い。どうしよう。


「――背中、押してあげようか?」

「キラ……」


 そうして戸惑っていると、いつのまに後ろにキラが立っていた。


 私よりずっと年下の少年は、いつも通りの無表情でじっと私のことを見ている。

 いつもの私だったら、きっとキラに助けを求めていたと思う。


 でも、私は首を振った。


「ううん、大丈夫。ちゃんと自分で落ちていけるわ」

「……そっか。まぁでも、気をつけて」

「う、うん。気をつけるわ」

「変な姿勢で落ちないように。勢い余って頭から行ったりしたら危険だから。あ、そこ破損した手すりが尖ってて危ない。肩とか擦らないように」

「う、うん。ありがとう」


 キラにアドバイスしてもらいつつ。

 私はおっかなびっくりにバルコニーからぴょんっと飛び降りた。


 スカートがぶわりと広がって。

 目を閉じていたので、恐怖を感じる間もなく。

 そして階下で待ち受けるセオドア様は――思った通りに軽々と、落ちてきた私を受け止めた。


 ……恐る恐ると目を開けると。

 すぐ至近距離に、セオドア様の整った顔があって、その瞳の真ん中には私が映っていた。


「やはりあなたは羽のように軽いな」

「……じゃあ、いつまでも受け止めてくださいね?」


 丁寧語が抜けた彼が、それはもう嬉しそうに顔を綻ばせて頷く。



「うん。任せて、イヴリン」



 私は笑い返して、セオドア様の首にぎゅっとしがみついたのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る