第38話.私の最後のお仕事です
「――準備はいいですかな、イヴリン様」
神官長の問いかけに、私は頷きを返す。
イヴリンサマーフェスティバル。
このお祭りの最後を飾るのは、聖女によるイベント――つまり、私が行う祈りの儀だ。
私は国民たちの見守る中、最後の務めとして儀式を行い、エウロパ様に聖女としての役割を継ぐことになっている。
数時間前に大神殿の一部区画も一般開放されて。
星見広場――そう呼ばれる大神殿の巨大広場を取り囲むように配置された四方の観覧席は、すでにいっぱいの人々で埋まっていた。
もともと、祭事のときには私がここで祈りの儀をやることが多いので、この光景は決して珍しくはないのだが。
でも今日は私の引退の場ということもあってか、いつも以上に席が埋め尽くされている状態だ。
あと数分で自分が歩み出す広場の真ん中を見据えながら、私は考える。
(カッタールに、ドミニム、リンマ、オーラクナ、タリニャン……)
つい数時間前、オズ殿下に手を引かれながら向かった先。
そこで待っていたのは、他国からの使者だという人たちで――私は彼らから、数々の
というのも、彼らが口を揃えて言うには。
(私の力は、弱まってなんかいなかった……)
大神殿を追放される少し前から。
私は祈りの儀を行うと、ふらついたり、目眩を起こしたりすることが多くなっていた。
その原因は私の魔力が弱まったせいだと……アレックス殿下が指摘したように、私自身もてっきりそうなのだと思い込んでいたのに。
どうやらそれは勘違いだったらしい。
というのも、私の体調が崩れやすくなった頃と同じ頃合いから、他国での瘴気の発生が大幅に減っていたそうなのだ。
(オズ殿下によればつまり、『イヴリン様はスナジル聖国ではなく、他国の瘴気もおひとりでまとめて払ってしまっていたんですよ』――ってことらしいけど)
他国にも聖女に準ずる存在が居る。
だから私は、生まれ育った国のことだけを守らなければならないと心に刻んでいた。
それがいつのまに国を飛び出し、周辺諸国のみならず、遠く離れた異国までも浄化していたということらしい。
魔力が弱まっていたというより、強まりながらも消費し続けていて。
……つまりそれにより、ぐったりと疲れ切っていたというわけで。
(……我ながら、自覚なくそんな真似をしてたのはどうなのかしら……?)
でも詰まるところ。
私は、人々の暮らす場所をちゃんと守護することができていた。
それが分かっただけで、私は嬉しかった。
他国からの使者の人々からは、高価な献上品を用意しているとまで言ってもらったが、それは孤児院や救貧院に寄与をしてもらうことに替えてもらって、そして私自身は彼らにひとつのお願いをすることにした。
最後の祈りの儀――もっと言うなら、新しい聖女のことを知ってから国に戻って欲しいです、と。
こちらを見守っている神官長や神官たちに、私はゆっくりと頭を下げた。
「……神官長、それに神官の皆さん。本当に今まで、お世話になりました」
「イヴリン様……」
彼らの瞳に涙が浮かぶ。
この後はヴェールで顔は隠す予定だが、私も泣いてしまうわけにはいかない。そう思っても思わず涙腺が熱くなる。
「今まで、皆さんからは距離を置かれていると思ってたんです」
「イヴリン様っ。決して、そんなことは……!」
「はい、『聖女不可侵条約』でしたっけ……ああいう決まり事があったからだったんですね」
オズ殿下の記憶からこっそり覗き見た、その単語を口にすると。
――なぜか、潤んでいたはずの全員の瞳が急にギラついた。
「おい……どういうことだ……?!」
「誰だ!? あの密約のことをイヴリン様の耳に入れた輩は」
「今すぐここで名乗れ。さすれば命までは取る」
「むしろ命だけで済ませてやることを感謝して息絶えろ!」
(えっ? 何か空気が荒んでる……?)
「あの……?」
「い、イヴリン様。何でもないですぞ、ワハハ」
「ほら、国民が待ちかねております。そろそろイヴリン様は広場に」
「我らは裏切り者をゆっくりあぶり出して始末しておりますので!」
何やら不可解な言葉が聞こえたような気がしたが、時間がないのは確かだ。
「行ってきます」と言い置いて、私はヴェールを下げ、儀式用の杖を片手に広場へと歩み出した。
私の姿に気がついた観覧席のざわめきが少しずつ収まり、それらはやがてほとんど無音に近い状態となる。
その広場の名前の元になった通りの、満天の星空の下――。
私は長い法衣を引きずって、広場の中央へと歩き続ける。
顔は、地面に裾がつくほど長い白いヴェールで隠している。私からは問題なく人々の顔が見えるが、この様子を見守る人たちからは、まったく私の顔なんて分からないだろう。
(聖女は、大地に根差す民たちに顔を見せるものではない……)
天におわす母女神の御心に通じ、それを体現する存在であるからこそ、民と近しくあってはならない――聖女として受けた教育の中でも初期に教わることだ。
それを理解しつつ私は。
――ヴェールを、思いきって頭の後ろへと取り払った。
(だってこれ、本当に最後なんだもの)
最後くらいはヴェール越しではなくて、直接彼らひとりひとりの顔を見ていたい。
二十三年間も頑張ってきたのだから、これくらいの我が儘は許されてもいいんじゃないだろうか。
すると私の動作の意味に気がついた国民たちに、大きなどよめきが起こる。
「……あれっ? 天使のねーちゃん!」
「お姉さんだー! お姉さんが聖女様だったの!?」
そんな風に大騒ぎしているのは、王都の小学校の生徒たちだ。
私はそちらに思い切って手を振ってみる。「ワー」とか「キャー」のかしましい声を上げつつ、彼らは頬を紅潮させて手を振り返してくれた。
その中にはカリンちゃんの姿もあった。目が合うと、カリンちゃんは笑みを浮かべて小さく手を振ってくれた。
それに、盛り上がっているのは子供たちだけではない。
お世話になった王都の宿屋の主人や、食堂の料理人や、マニラス家の屋敷の人々、セムの町の明るい町民たち……。
それに前方には、セオドア様やキラ、ジャクソン様たちの姿もあって。
私は、そんな風に見守ってくれる人全員に向けて、思い切りブンブンと手を振って笑顔を見せた。
(たぶんぜんぜん、聖女らしくはないだろうけど!)
そうしてたどり着いた、広場の中央に置かれた祭壇の上で。
私は両手を組み、目を閉じて……深く深く、祈りを捧げる。
瘴気を払う儀。聖女の唯一にして絶対の役目を果たすために。
(世界平和、世界平和、世界平和……)
あまり深いこと考えると何事もうまくいかない――というのも聖女教育で初めに教えられることの一つだ。
だから私は儀式のときは、こうして呪文のように心の中でシンプルに唱えることにしている。
(一家団欒、安産祈願、福利厚生、抱腹絶倒、和気藹々……)
私が祈れば祈るほどに、私の身体は黄金色の光に包まれていく。
どよめきの後に、国民たちには静寂が広がっていった。
というのもその光は私だけではなく、彼らにも宿っていって。
まるで神秘に満ちた妖精郷の一場面のように、それこそひとりずつがお星様のように輝いているからだ。
……目を閉じていても、私には思い描いたその光景がはっきりと認識できた。
数分間の祈りを終えて、ゆっくりと目を開ける。
(ちょっと久しぶりだったけど……うん。上出来だと思う!)
そうして少しクラクラしながら、祭壇から下りると。
反対側の通用口からここまで歩いてきたエウロパ様が、私のことをじっと見つめていた。
私とよく似たデザインの法衣をまとった彼女は、息を呑むほどに美しかったが――私と同じくヴェールを脱いだその頬が濡れていて、細い肩まで震えていたので、私は思わず問いかけてしまった。
「エウロパ様、泣いてるんですか?」
「ええ。『さすがに法衣に泥をつけて登壇するのはちょっと……』ってオズ殿下に言われてしまって」
「…………」
「それに――今夜、わたくしの大好きな方が引退してしまうんですもの」
その言葉に私は目を瞠った。
エウロパ様は子どものように鼻を啜っている。
「……こういう日は、ずっと来ないと勝手に信じていたのです。きっとわたくしだけじゃなく、数え切れないほど多くの人たちが。でも……」
私は、嗚咽を漏らすエウロパ様のことをぎゅっと抱き寄せた。
「イヴリン様……っ?」
「……期待を裏切ってごめんなさい。これからあなたに、大変な役目を押しつけることも」
エウロパ様は一瞬固まった後、くすりと柔らかな笑みを漏らした。
「まぁ、イヴリン様ったら……前にもお伝えしたじゃありませんか。推しから直接バトンタッチしてもらえるなんて、この上無い幸せですって」
私を安心させるためか、そんな風にエウロパ様は茶目っ気たっぷりに言ってみせて。
私の知る人の中でも、彼女は本当に、聖女イヴリンのことを心から想ってくれていたのだと思う。
(頭はとびきりおかしい子だけど……)
まだ出会って日は浅いけど、私だってそれだけは十二分に分かっているつもりだ。
……そして次第に心配になってくる。
だってエウロパ様は、私が嵌まった底なし沼の泥を衣服につけて喜んでいるような子なのだ。
このまま抱きしめていて大丈夫だろうか。私の純潔は。
「……すみません。また理性を失って暴れ出したりはしませんよね?」
とりあえず恐る恐ると訊いてみると、エウロパ様は何故か怒ったように言う。
「嫌ですわ、イヴリン様。わたくしはいつだって理性的に、イヴリン様を愛しておりますわ」
(え?……あれで理性的?)
より一層怖い情報を得て私は怯えた。
しかしそんな私に構わずエウロパ様は恍惚と言う。
「王国民たちの前でこうしてイヴリン様に抱かれたという事実を一生胸に抱き、幸せに生きていきますわ」
「抱かれたって言い方やめてもらってもいいですか?」
「こうして衆人環視の元でイヴリン様と合体したという事実を」
私は無言でエウロパ様から距離を取った。
彼女は明らかに「ちぇっ」みたいな顔をした。油断も隙もない。
だがエウロパ様も、役目を思い出したのか真面目に表情を引き締める。
――私はそれを確認してから、聖女の証である杖をエウロパ様へと手渡した。
彼女は笑顔で受け取り、その杖を国民たちへと向けるようにして掲げた。
「がんばりますわー。せいいっぱいやりますわー。えいえいおーですわー」
(すごい棒読み……!)
国民の声援に雑に返すエウロパ様にハラハラしつつも。
正面の席を見ると、そこには笑顔のセオドア様と、ほんのりと口角を上げているキラの姿があって。
笑いかけてみると、セオドア様の口元がぱくぱくと動いているのが見て取れて。
私は迷わずその動きを読み取ってみることにした。
(ええと、なになに?)
私に分かりやすくと思ったのか、セオドア様はやたら大きくゆっくりと口を動かしてくれている。
だから、その意味に気がつくのは簡単だった。
(………………お、つ、か、れ、さ、ま、で…………)
その瞬間。
自分でもびっくりするくらいたくさん――涙が溢れ出してしまって。
私はまたヴェールで顔を隠した。
さすがにもう、晴れ晴れしいこの場に涙は似合わないと思ったから。
――そうして割れんばかりの拍手が、いつまでも響く中。
二十三年間も背負ってきた肩の荷が、ようやく下りたような気がしていた。
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