第37話.未来の幸せを祈って

 


 闘技場から逃走した後。

 時間を見てそろそろ戻ろうということになり、私とセオドア様は再び大神殿へと帰ってきていた。


 祈りの儀まではまだ時間があるけど、一時間は早めに帰ってきてほしいと言われていたのだ。

 そして控え室で再び聖女の法衣を着て、準備を整えれば……。


 それからしばらくの後。

 私を訪ねてきたのは、一緒に帰ってきたセオドア様ではなくオズ殿下だった。


 にこやかに微笑んだオズ殿下は、それはもうペラペラと私への賛辞の言葉を述べてくれたのだが、そこは省略しようと思う。……だってあまりに照れくさかったので。


(気を遣ってお世辞をいっぱい言ってもらうのって、何だかとっても申し訳なくなるわ!)


 私がぎこちない笑みを浮かべながら悶々としていると。

 オズ殿下は人払いをしてから、私に向かって深く頭を下げた。


「イヴリン様、遅くなりましたが……兄に代わってお詫び申し上げます。謝って済むことではないと重々承知していますが――申し訳ございませんでした」

「そんなの、オズ殿下が謝ることじゃありませんから」

「しかし僕は、兄の愚行を止めることもできず……! あんな、あんな兄の……クソッカス野郎の……!」

「オズ殿下!?」


 わなわなと震えているオズ殿下の拳から血が滴っているのに気がつき、私は顔を青ざめさせた。

 私の視線に気がつくと、オズ殿下は拳を後ろ手に隠してニコリと作り笑いを浮かべた。


「……いえ、すみません。何でもありません」

「何でもなくはないですよね!?」


 私は慌てて彼の背後に回り、オズ殿下の隠した拳をそっと捕まえる。

 不敬かも? と思ったけど、緊急事態ということで許してもらおう。……処刑されたりはしないと信じたい。


「イヴリン様っ?」


 素っ頓狂な声を上げる彼に、『ヒール』を掛けようとして――。

 私は思い直し、おずおずとその魔法名を唱えてみた。


「『アナリシス』」


 分析魔法の『アナリシス』。

 それを唱えれば、爪が食い込んだ傷口からは赤黒い球のようなものがいくつも飛び出してきて、私に吸収されていく。


 また気持ち悪いとか言われるかなとそわそわしたが、オズ殿下は目を見開き、黙ったままその様子を見つめている。

 それを良いことに……私は、これまでの彼の記憶の映像を少しずつ辿っていった。



(ええとなになに、アレックス……アレックソ……アホクッソ……何これ!?)



 兄の名前の変遷で、オズ殿下の最近の記憶全体がひどく混濁している。

 彼の脳を破壊する勢いで、走馬灯のようにあらゆる場面をアレックス殿下のアホみたいな笑顔やら泣き顔やらが駆け抜けているのだ。


(オズ殿下、こんな状態で生活していたの……)


 常人なら頭がおかしくなるほどの苦痛なのに、今まで彼はこの辛さにひとりで耐えていたというのだろうか。

 再会したばかりの頃、車椅子に深く座り込んでブツブツ呟いていた痛々しい姿を私は思い返した。


(それに『聖女不可侵条約』、パチモン聖女、偶像崇拝、メアリの処刑騒ぎ……)


 飛び回るアレックス殿下の顔に他の面々が加わる。

 イグナ殿下、神官長、神官たち、メアリ……好き勝手に、虫のように這い回るそれらの顔が、オズ殿下の脳みそを食い潰すように何事か叫び続けている。


 私は集中し、それらの声によく耳を澄ませた。



『死ねぇーッッッッッ!!』

『もう今年で二十八の嫁き遅れババ――アギュンッ』

『アホックソ、だと……? 神官長は天才か?』

『王子の名に糞をつけるなどと! 不敬罪だぞ!』

『殺す……鍋で煮てとびきり苦しめて殺す……』

『あ、分かった。あなた、さてはあたしのことが好きなのね!?』

『天使のように愛らしい美貌の女の子を見ませんでしたか?』

『イヴリン様はワシの初孫じゃ!』

『ふたりの王子に奪い合われるなんて、あたしって罪な女ね!』



(何これひどい!)


 今まで見たことがないくらいに。

 ノイズだらけでグチャグチャの、とんでもなくやかましいカオス状態の記憶だ。


(この人。――かわいそう!!)


 私の両目から、思わずどばっと涙が溢れ出した。

 オズ殿下はすぐに気がつくと、皺ひとつないきれいなハンカチを取り出し私へと差し出してくれた。


「あ、ありがとう、ございます……ぐすっ」

「イヴリン様……どうしてあなたが泣いていらっしゃるのです?」

「だってオズ殿下が、あまりにも苦労されていて……こんなにお若くて格好良い方なのに……っ」


 ぐすぐすと鼻を啜りながら、どうにか『ヒール』を唱えれば、オズ殿下の拳の傷はすぐきれいに治った。

 お礼を言ってくれる彼に向けて、私はどうしても黙ってはいられず震える声で言い放った。


「オズ殿下、どうか胸を張って。三人の王子の中で、あなただけがまともで立派です」

「僕だけがまともで、立派……?」

「スナジル聖国の国民にとって、あなたのようにまともな王子が居たことは幸運です!」

「僕はまとも……まとも……」


 オズ殿下の瞳に聡明な光が戻っていく。


「……ありがとう、イヴリン様。あなたのおかげで、ようやく悪い夢から覚めたような気がします」

「オズ殿下……」

「我が国にあなたという、魔を照らす光が――美しく優しい聖女様が居てくださって、本当に良かった」


 私はその理知的な眼差しと言動に、しばし言葉を失った。


(この感じ……そうだわ。これは――類い希なる、常識人の気配!)


 今までキラくらいにしか感じなかった波動を、彼からも感じるのだ。


「そして今まで、聖女として我が国のために尽力してくださりありがとうございます。どうかこれからのあなたの道に、幸いがありますように」


 私が感動しているのも知らず、胸に手を当てて微笑むオズ殿下。

 王族である彼に、どんな返事をするのが正しいことなのか私には分からなかったけど……私は心からの言葉を彼に送ることにした。


「私も、オズ殿下の幸せを祈ります」

「イヴリン様が?」


 オズ殿下は驚いたように目を瞠ってから、「稀代の聖女様が祈ってくださるなら、僕はそれだけで幸せ者ですね」と眉を下げた。


(本当に、あなたにはちゃんと幸せになってほしい……!)


 私は強く強く祈った。母女神に熱心に祈った。


(可愛くてまともな方との出会いが、ありますように……!)


 そうして私が天に向かってせっせと祈りを捧げていると、オズ殿下が「そうだ」と相好を崩す。


「イヴリン様。あなたに会いたいと言っている人たちがいるんです」

「え?……ヤバい人たちですか?」

「ヤバい人たちではありません。……イヴリン様も苦労されてきたのですね」


 同情したようにオズ殿下が呟く。いいえあなたほどでは、と私は首を横に振った。


「僕はあなたに非道な仕打ちをした男の、弟ですが……イヴリン様。今だけはどうかあなたをエスコートするのを、許していただけないでしょうか?」


 どうやら殿下自ら、私をその人たちの元に案内してくれるらしい。

 迷う理由はなかったので、私は頷いた。


「ええ、喜んで」


 薄布の白いヴェールを顔に下げてから、私はオズ殿下の手をそっと取ったのだった。



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