第36話.ベーコンレタストマトではなく?

 


(……何これ……)


 私は目の前の光景を前にして、開いた口が塞がらないでいた。


 というのも、セオドア様と共に人混みの方に向かってみると。

 そこは国内でも二つしかない闘技場で――客席はほとんど埋まっていたが、最後尾の席に運良く並んで座ることができた。


 私にまつわるタイトルマッチを開きたい、というようなことをオズ殿下が仰っていたそうなので、どんな大会が開かれるのか楽しみにしていたけど……眼下の広い闘技場で行われていたのは、私の予想だにしない試合だったのだ。



「俺の方がイヴリン様のことを愛しているッ!」

「いや、ボクだ! ボクの愛はお前の拳を上回る!!」

「イヴリン様好きだー! 結婚してくれー!」

「すぐ結婚とか言い出す男は頭イカれてんだよ! まずはお友達からだろうがよ!」



(何なのこれ……)


 そこでは十や二十の数ではない男たちが、何やら大声で叫びながら乱闘していた。

 武器はそれぞれで、メリケンサックやら鎖鎌やら杖やら剣やら斧やら、それぞれの得物を手に戦っているが……いったいこれは何をしているのか。


 しかも、その足元には累々と倒れ伏せる人の山まで積み上がっていて。

 それを見て観客席の人々は歓声を上げ、盛り上がっているようだ。でも私には何が何やらだった。


「いやー、今年のISBLTも白熱してるなぁ」

「……ベーコンレタストマト?」


 隣の席のおじさんが楽しそうに言っているので、反射的に聞き返す。

 するとおじさんはかなり驚いた様子だった。


「違う違う。イヴリン・サマー・ビッグ・ラブ・トーナメントの略称に決まってるじゃないか。世界の常識だよ」


(そうなの!?)


 セオドア様の方を見るとおじさんの言葉に深く頷いていた。


(常識なんだわ!)


「その――ISBLTっていうのはどういう競技なんですか? 何だかあの人たち、殴り合いをしているようにしか見えないっていうか……」

「あの崇高な試合を殴り合いだなんて……可愛らしいお嬢さん、意外と野蛮なことを言うね」

「す、すみません」


 私は思わず謝った。おじさんは気にしない様子で説明を続けてくれる。


「ISBLTは、剣や拳や魔法にイヴリン様への溢れ出んばかりの愛を込め、目の前の恋敵を力任せに叩きのめして屈服させる大会だよ」


(それを殴り合いっていうんじゃ……)


「今年は参加者が多すぎて、4ブロックずつ予選を行って、それぞれのブロックで勝ち残ったひとりずつが準決勝に進むんだ」

「参加者って何人くらいなんですか?」

「総勢四百人。これでも抽選にしてだいぶ絞ったそうだが」


 目の前が真っ白になったような気がする。


(よ、よんひゃく……)


 こんなおバカな催しに四百人も参加しているだなんて。

 信じられない思いでいると、VIP席に座った国外からのお客らしき人々と、その隣に居るオズ殿下の姿が目に入った。

 私はかなり目が良い方なので、オズ殿下の口の動きが何となく読み取れた。


(『何でこんなことに』……お気持ちよく分かります、オズ殿下……!)


 私とオズ殿下が離れた位置でクラクラしている間に、どうやら最初のブロックの戦いは決着がついたらしい。


 司会者席に座った男性がマイクを握り、興奮に上擦る声で紹介する。


『Bブロック再注目のカードはやはりこの方! 何と母の胎内からイヴリン様への想いを叫んでいた!? 狂った愛の道をひたすら爆走する美貌の令嬢、今年の優勝候補の一角――エウロパ・カテ選手、イヴリン様お手製の泥をまとった戦装束で登場です!』


 わああ! ととびきり大きな歓声が上がる。


 声援を受けながら、颯爽と闘技場に姿を現したのは――



「全員この場でブッ殺しますわ! 覚悟あそばせー!」



 などと、とても貴族令嬢とは思えない発言をブチかますエウロパ様(泥)だった。


『エウロパ嬢、大会ルール上では殺人は禁止です!』

「大丈夫ですわ、わたくしの治癒魔法で治しますし! 死んでたら無理ですけれど!」


 とんでもないことを言い放つエウロパ様だが、勇ましい彼女の言葉に観客は大盛り上がりだ。


「エウロパ様、人気なんですね……」

「ええ。エウロパは狂信的なイヴリン教の信者として国内では知られた存在ですからね」


(イヴリン教って何?)


 しかし私はもう訊かなかった。脳がすでに処理限界を迎えているから。

 だけどそこで、エウロパ様以外にもよく見知った顔がBブロックに居るのに気がついて思わず立ち上がった。


「キラ!」


(何でキラまで参加してるの!?)


 もしかして誰かに無理やり連れてこられたのだろうか。

 Bブロックの参加者の中には、不本意そうな顔のキラ、血気盛んに杖を振り回す神官長、それに鼻を押さえているイグナ殿下、その他にも神官の人たちと……なぜか見知った人たちばかりが集まっている。


 そのとき、私の疑問を感じ取ったように司会者の男性が説明してくれた。


『Bブロックには、何と直接イヴリン様の姿を見たことのある人物のみが集められています! これは事実上の決勝戦と言えるかーっ!?』


 その言葉に観客たちもざわざわと揺れた。


「イヴリン様と直接会った……!?」

「う、羨ましい……っ!!」

「あの中でいちばん弱そうなヤツの目玉をくり抜けば、俺もイヴリン様に会えたってことになるのか……」


(ひぃー!)


 背筋をゾッと凍らせていると、ふと信じられない呟きが耳に入った。


「……これは……釘を刺すために、僕も参加した方が……」

「!!」


 私は隣のセオドア様の腕をえいやっと抓る。


「痛っ。い、イヴリン様?」

「絶対にやめてください、そんな危険な真似!」

「ですが、イヴリン様に求婚した男として黙って引き下がるわけに――痛っ、くはないですけど……」

「こんなしょうもないことで怪我される方が、私はよっぽどいやです!」


「しょうもないこと……」と何やらセオドア様は呆然としていたが、緊急参戦するのはやめてくれたらしい。

 ホッとしながらも、未だに試合会場のまっただ中に立っているキラが心配でハラハラしてしまう。


 あんな血気盛んな連中の中に放り込まれて、もしキラが大けがでもしてしまったらと思うと……。


(キラ、早く逃げてすぐ逃げてっ! ああもう、ジャクソン様はどこで何してるの!?)


 祈るような気持ちで必死に両手を組んでいると。


「……よく分かんないけど」


 キラは渋い顔つきのまま、呟いた。

 その声は本当に小さかったが、舞台にはマイクが設置されているようで、離れた位置の私にもキラの声がよく聞こえる。


 そしてキラは、何事かという顔をするBブロック一同のことを見回した。


「イヴリンは、アンタたちみたいな暴力的な連中のことは怖がると思う」

『――ウッッ!!』


 心臓のあたりを押さえてBブロックの面々が一斉に後ろに倒れた。

 それから、観客席全体に向かって。


 キラはぽつりと、しかし確信のある口調で言った。


「それにこういう、喧嘩みたいなのもぜんぜん好きじゃないと思う」


 あの人けっこう心配性だし、すぐ泣くし、とキラが付け足すと。



『――ウッッッ!!!』



 観客席の人々までもが、同時にバタリと倒れた。

 その直後、あちこちからすすり泣く声や謝罪する叫び声までも響いてきた。


「わ、わたくしたちったら、目の前の敵を屠ることばかり考えて、何て浅はかだったのでしょう……!」

「あの少年の言うとおりじゃ。イヴリン様は階段から落ちて死にかけたワシを見てあんなに悲しんでいたのに……ううっ、ワシは何てことを!」


 シクシクシク、と舞台上のエウロパ様や神官長たちまで人目を気にせず泣き出している。


(よく分からないけど、反省してくれたってことかしら……)


 キラの言葉のおかげで一時的にでも正気を取り戻してくれたのかもしれない。本当に良かった。

 胸をなで下ろしていると、司会者も鼻をすすりながら何やら喚いている。


『こ、これは……立ち上がっているのはキラ少年とイグナ殿下だけなので、実質このふたりの一騎打ちでしょうか……!? グスッ……ごめんなさいイヴリン様……』


 その声を聞き、キラとイグナ殿下が同時に溜め息を吐いた。


「いや、オレはさっさと帰りたいんだけど……」

「右に同じだ。そもそも俺はイヴリンなんぞに欠片も興味はない」


 しかしイグナ殿下がそう言うと。

 どこか緩みかけていた会場の空気が、一瞬で殺伐としたものに変わった。


「……イグナ殿下。やはりあなたのことだけはわたくし、到底理解できませんわ」


 ゆらりと立ち上がったエウロパ様が、殺気だった会場全体の人々を代表するように囁く。

 イグナ殿下は照れたように鼻の下を擦る。


「俺はいつもお前の暴言のことしか頭に無いからな」

「そんなミジンコ脳みそは潰してネズミの餌にしてさしあげましょう」

「ぐッ……!」


 イグナ殿下が膝をつく。彼を中心に赤い水溜まりが広がっていった。

 容赦なくエウロパ様は続ける。


「――いいえ、ドブネズミにだってイヴリン様を敬慕する心が宿っています。つまりあなたはドブネズミ以下のゴミクズカスゲロ虫ケラ王子ですわ」

「もっとだ! もっと罵ってくれ、エウロパッ……!」


 私には分かった。VIP席のオズ殿下の口元の動きが。


(『僕の兄、マジでこんなんばっかなんですか?』って言ってるわ……)


 心中お察しします、と私はそっと目を伏せた。

 だがそこで、衝撃的な発言が耳に飛び込んでくる。


「あら……? 何だか風に乗って、イヴリン様の匂いがするような?」

「ロパっち、やはりおぬしも気がついたか。ワシも感じるぞ、どこからかイヴリン様の魔力が……」


 どこだどこだとふたりが目を皿にして探し始めたので、私は慌てて立ち上がった。


「セオドア様、逃げましょう!」


 私はセオドア様の腕を引き、一目散に観客席から逃げ出した。



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