第35話.ささくれは地味に痛いですから

 


 メアリが指のささくれを治しているというどうでもいい情報をアレックス殿下に聞いた私は、当然その情報をスルーしようと思った。


「……あれ」


 しかしそこでセオドア様が立ち止まる。

 彼の見つめる方向を見てみると――少し離れた屋台のブースでメアリと向き合う、見知った少女の姿があって。


 私は目を見開いた。


(カリンちゃん!)


 今日もしっかり男装している彼女の周囲は、お友達らしき同年代の子どもたちの姿があったが……なぜか彼ら彼女らは、そんなカリンちゃんからは少し距離を置いている。

 というのも、


「信じられません! 何で、何でこんな……!」


 カリンちゃんはその華奢な肩をわなわなと震わせ、顔を真っ赤にしていたからだ。


 静かで気弱なところのあるカリンちゃんがそんな顔をしているのを見るのは初めてで。

 私は思わず彼女に駆け寄ろうとしたが、セオドア様に「大丈夫です」と肩に優しく手を置かれた。


「でも、セオドア様。メアリが何かカリンちゃんにひどいことをしたのかも……!」

「……いえ。むしろあれは逆だと思います」


(逆?)


 どういう意味だろうと眉を寄せた直後だった。


「――嘘つきのおねえさん。あなたは指のささくれへの向き合い方がぜんぜん足りてません!」


 そんな怒鳴り声が聞こえてきた。

 驚いて見遣ると、カリンちゃんが鬼のような形相をしてメアリを睨みつけている。


「びえー!」

「びえーじゃありません。もっとこの地味な痛みのことを真剣に考えたらどうですか!?」

「びえー!!」

「聖女のおねえさんは、それはもう丁寧に指のささくれを治してくれましたよ!」

「び……びえ……うぅ……ひ、『ヒール』……!」

「雑に治しゃいいってもんじゃないんですよ! 指のささくれを舐めてるんですか!?」

「ウギャーッッ!!!」


 幼児退行したかのようにギャンギャン泣きわめくメアリを、カリンちゃんは冷めた目で眺めている。

 カリンちゃんの剣幕とメアリのやかましさに、一緒に遊びに来ている子たちもかなりびびっている様子だ。


(私もびびってるけど……)


 前からそんな気はあったが、あそこまでカリンちゃんが指のささくれに並々ならぬ思いを抱いていたとは……。

 もし私が出会った当初に少しでも失敗していたら、それこそ怒髪天を衝く勢いで怒られていたかもしれない。怖い。


 するとメアリのブースの脇を固めていた神官のひとりが、私に気がついて笑顔で寄ってきた。


「イヴリン様、ごきげんよう。イヴリンサマーフェスティバルは楽しんでいらっしゃいますか?」

「え……ええ、とても楽しいです」


 何とか首肯すると、神官はメアリのことについて説明してくれた。


「メアリ・サフカは聖女を騙った大罪人です。彼女には、今後数年をかけて治癒魔法を使った奉仕活動に取り組んでもらう予定です」

「なるほど、それで……」


 私はメアリの方に視線を戻す。

 カリンちゃんに散々叱られて涙と鼻水を垂れ流しにしながらも、メアリは懸命に治癒魔法の練習をしているようだ。

 今は指のささくれしか治せないとしても――修練次第では、治癒魔法で治せる範囲も広がっていくかもしれない。


(頑張れ、とか前向きな言葉を送れるほど、私たちは仲の良い姉妹ではなかったけど……)


 私とメアリは母親が違って、歳もかなり離れている。

 私が実家を離れる頃はまだメアリは生まれてもいなかったのだ。


 だからある日、まだ年端のいかない少女が「妹」だと名乗って大神殿にやって来たとき――あのとき、私は本当に嬉しかった。

 それがたとえ、家族からも忘れられ、お金儲けの道具として扱われる姉を嘲笑うためだったとしても……それでも、妹が会いに来てくれて嬉しかった。


(両親は、一度たりとも会いに来てはくれなかったから)


「そういえば、私の両親はどうしているんですか?」


 何となく気になって、そう問いかけてみると。

 神官が口端を小さく上げて微笑んだ。


「……おふたりは、遠い国にいらっしゃいますよ」

「遠い国、ですか?」

「ええ。本当に……遠い国に」


 要領を得ない曖昧な表現に、首を傾げる。


「ええと。遠い国っていうのは、どちらの……?」


 にこり――と念押しするように神官が微笑んだ。





「…………………………イヴリン様は、名前も知らない、遠い国です」





 私の、決して鋭くはない勘が告げていた。


(これ以上は聞かない方がいい気がする……!)


「せ、セオドア様。次の催し物を見に行きましょう!」

「えっ! は――はい!」


 焦りつつ横の腕を掴むと、なぜか慌てたような返事が返ってきたが。

 それを気にしている余裕もなく、そのまま歩き出す。


「あっ、あっちの方はかなり人が集まっていますね!」

「そ、そうですね。行ってみましょうか」

「キラやジャクソン様たちも、どのあたりに居るのか……この人混みじゃ会うのは難しそうですけど」


 落ち着いたキラはともかく、ジャクソン様は年甲斐もなくはしゃいでいそうなので目立ちそうだと思ったのだが。

 そんなことを思いつつ、人混みに向かっていると。


「い、イヴリン様。その……」

「はい?」

「腕が……」


 その言葉に私は立ち止まり。

 自分の手元を確認してから、勢いよく飛び上がった。


(ぎゃっ!)


 何というかそう――今の私は、セオドア様の腕に胸を押しつけているかのような格好になっていて。

 あの場を離れるのに必死だったとは言え、伯爵相手に何と破廉恥なことをしてしまったのか。


 私はブンブンと首と両手を横に振って、あらぬ疑いを否定した。


「ちちち違うんですっ! 私は痴女ではありませんっ!」

「痴女……!」

「ふしだらな行為に及ぼうと思ったわけではないんですっ! 本当にっ!」

「ふしだら……!」


 セオドア様が呻くたびに、周囲の人々にざわつきが走る。


「痴女!」

「ふしだらだとッ?」

「まぁ! 痴女ですって!」

「ふしだらな痴女が居るってぇ!?」

「痴女ってふしだらな痴女のことかい?!」


(あらゆるところで連呼されている……!)


 ますます私は縮こまってしまう。

 それなのに真っ赤になって俯く私の手を、なぜかセオドア様がそっと取って。


 両手の指を絡めるように目線の高さまで持ち上げられてしまったので。

 私は意図が分からず、恐る恐ると彼のことを見上げた。


「ああ、いえその――すみません。あなたが僕の腕を自然に取ってくれたのが、嬉しくて……」

「は……」

「できればその、もうしばらく……そうしていただけたら、もっと嬉しいなと思ってしまったんです」


(な――何ですかそれ!)


 言葉通りに、頬をほのかに赤くして、蕩けるほどの笑みを浮かべた彼にそんなことを言われて。

 断れる女の人が果たしてこの世に居るのだろうか。


(いいえ。……そもそも、そんなことを言われるのは私だけでいい、というか……)


 何か余計なことまで考えそうになったところで、慌ててその思考を打ち消す。


「も、もうダメです。ここからは、ええっと……手を繋ぐだけにしましょう」


 セオドア様は一瞬、残念そうな顔を作ってみてから、それはもう楽しそうに笑ってみせた。



「手を繋ぐだけでも、僕はとんでもなく幸せですよ」



 うまく騙された、と気がつくまでには少し時間がかかったけど。

 ……彼になら、そうされても良いかなぁと思ってしまった。ちょっとだけ。



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