第33話.イヴリンサマーフェスティバル
目を覚ますと、見慣れない天井が目に入った。
私は――うろうろと目線を彷徨わせてから、むくりと起き上がる。
寝かされていたのは、やはり見覚えの無いふかふかのベッドだ。
マニラス家のお屋敷のベッドもそれはもう寝心地が良くて素敵だったが、ここはまた格別に上等な気がする。天蓋付きのベッドだし。
(何だろう。なんだか、とてつもなく恐ろしい夢を見たような……)
奇っ怪な笑い声や、落ちていく誰かの悲鳴、それに自分自身の歯の根がガチガチと鳴る音……。
ぼんやりとそんなことを思い出す。せっかくこんなお姫様のようなベッドで寝ていたというのに、私はとんでもない悪夢を見ていたようだ。
「気がついたのですね、イヴリン様」
そこで横合いから鈴の鳴るような声を掛けられ、私はびくっと身体を震わせた。
「え、エウロパ様っ……」
なぜだろう。なぜか彼女の顔を見るだけで震えが止まらなくなる。
そんな失礼な態度を取る私だったが、エウロパ様はにこやかに言った。
「ここは王宮ですわ。イヴリン様が気絶――もといお眠りされてしまったので、ずっとお側におりましたの」
「えっ……」
目の前が急速に暗くなった気がする。
(つまり私はもうお嫁に行けない身体に……?)
するとエウロパ様は慌てたように両手を振った。
「ご安心くださいませ! 決して――決してその、ええ、なな何も……しておりませんから!」
(すごく嘘くさいー!)
でも、これ以上は藪を突かない方が賢明な気がする。自分のためにも。
(だけど、なんで王宮に?)
昨晩はいつも通りに大神殿に居たはずだ。
そこで滝を眺めていたら、誰かがやって来て……うっ駄目だ。思い出そうとすると頭が痛くなる。
唸りながら頭を押さえていると、エウロパ様が軽やかに手を打った。
「それではさっそく、お支度ですわ!」
するとそれを合図に、外に待機していたらしい侍女たちが整然と部屋の中に入ってきた。
ポカンとする私に向かって、エウロパ様が言い放つ。
「それではイヴリン様、彼女たちがお手伝いしますので法衣にお着替えくださいませ」
「ど、どういうことですかっ?」
「どういうことかというと――今日は『イヴリンサマーフェスティバル』が開かれるのですわ、イヴリン様」
「……へっ?」
(何その祭り!?)
初耳だった。そしてすごく嫌な予感がする。
「つかぬことをお伺いしますが、イヴリンサマーフェスティバルとはいったい……」
侍女たちに包囲網を狭まれつつ私が恐る恐ると問うと、「それはもちろん」とエウロパ様が瞳を輝かせた。
「イヴリン様の、イヴリン様による、イヴリン様のための祭典ですわー!!」
――イヴリンサマーフェスティバル。
そのアホっぽい名前の祭りの発案者は、何とオズ殿下なのだという。
私が聖女の座を降りると聞いた彼は、ぐったり疲れ切りながらも昨日のうちに侍従たちに語って聞かせたのだそうだ。
「イヴリン様は、二十三年間もスナジル聖国のために務めてくださった方だ……彼女の新たな門出を、僕たちこそ祝福しなければ……」
「オズ殿下、具体的にはどういった施策を?」
「そうだな、まずは偽の聖女騒ぎもあり不安を抱いているだろう国民を安心させたい。神殿の一部区画を一般開放し、イヴリン様に最後の祈りの儀を行っていただき、そこで新たな聖女であるエウロパ様のお披露目も行う。その祈りの儀を夜のメインイベントに据え、昼間は王都の往来中に屋台を出してイヴリン様にまつわるお菓子や絵画、工芸品を販売するというのはどうだろう。それにパレードも行いたいな、イヴリン様は人気のある方だし……あとはそう、闘技場を使ってイヴリン様にまつわるタイトルマッチを開くのもいい……他国からの使者の方々もこれには、きっと喜んでくださるはずだ……」
「さすがオズ殿下! どんなに弱っていても頭や口はしっかり回ってらっしゃる!」
ということで、オズ殿下の号令の下、彼の臣下たちは素早くあらゆる方面に根回しをし、何と本当にその翌日――つまり今朝から、王都中を舞台にして『イヴリン祭り』なるものが開催されているらしい。
人もお金も、よほど的確に、そして迅速に動かなければそんなことは不可能だろう。それを指揮するオズ殿下の優秀さは凄まじいようだ。
(兄ふたりはしっちゃかめっちゃかなのに、オズ殿下はしっかりした方だわ……)
上の兄弟が駄目すぎて、自分だけはちゃんとしなくてはと頑張ったのだろうか。なんて立派な方だろう。
「祭りの発案者はオズ殿下ですが、名称はわたくしが考えましたの。イヴリン様と、季節の夏をかけて」
「今は春ですけど……」
「祭りの名前を連呼するだけでイヴリン様を崇拝できるだなんて、最高のイベントですわ」
エウロパ様はうっとりとした面持ちだ。
周囲の侍女たちも口々に「イヴリンサマーフェスティバル楽しみです」と言い出している。
(王都中がこんな調子だとすると、私としては軽く拷問のような気もするけど……でもオズ殿下が私のために考えてくれたお祭りなのね)
私というよりどちらかというと国民の不安意識の払拭とか、経済の活性化とか、そっちにより重点が置かれているような気はしなくもないけど、それももちろん大事なことだ。
そう思うと、自然と気も引き締まってくる。夜に祈りの儀をやってエウロパ様に聖女の立場を引き継ぐのが、私の聖女としての最後の仕事になりそうだ。
そんなことを、聖女用の純白の法衣に着替えさせられ、顔に白粉を塗りたくられて髪をいじられつつ私は考えていた。
「きゃー! イヴリン様、世界一に美しすぎて世の中の理を歪めかねませんわ!」
「エウロパ様の仰る通りです。とても素敵です、イヴリン様!」
「敬愛する聖女様が、こんなにも愛らしい方だったなんて……!」
(ええ、分かっています。エウロパ様はともかく――他は間違いなくお世辞だわ!)
きゃいきゃいと若々しい女の子たちが騒ぐのを、私は苦笑しつつ眺める。
そこに着替えが終わったと聞いてか、セオドア様とキラがやって来た。
「どうキラ? きれい?」
さっそく私が絡みに行くと、キラはうざったそうに顔をしかめた。
「……まぁ……」
「まぁって!」
「……服はきれいなんじゃないの」
相変わらずキラの素っ気ない物言いは、出会った頃から変わらない。
でもそれがキラらしくて、私はとても好きだ。
私はもうひとり、おなじみの人に視線を移して――彼が、口元を手で覆ったまま震えているのに気がついた。
「セオドア様?」
「……す、すみませんイヴリン様」
なぜか慌てた様子で謝罪して。
セオドア様は、ほんの小さな声で呟いた。
「……あの、普段以上にあなたがあまりにお美しかったものですから……うまく言葉も出なくて」
ほんの僅かに覗く頬は、明らかに真っ赤に染まっていた。
(あ――相変わらずこの人は!)
これを計算でなく天然でやってのけるのだから、セオドア様は恐ろしい人である。
……おまけに私の顔もちょっと熱くなってきた気がする。
頬をはたいて赤みを誤魔化そうとしたら、慌てて侍女たちに止められたのだった。
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