第32話.やっぱりあなたは怪物です
「オズ殿下、ご立派でございましたぞ……!」
目覚めた直後に。
涙ながらに覗き込んでくる侍医の姿に――オズは当惑した。
「ああ……僕が峠を越えた話、か……?」
「いえ! それもありますが、イヴリン様との謁見のことです!」
思わずオズは跳ね起きた。
実際は弱った身体が追いつかず、起き上がることはできなかったが……激しく動揺しながらもベッドの中から問う。
(イヴリン様と謁見? あの方は王都に戻ってきてくださったのか!?)
「く、詳しく教えてくれ……!」
オズが覚えていないと気づいたのか、侍医は目を瞠りつつも簡潔に答えてくれた。
「オズ殿下の容態が悪かったので、私の立ち会いの下、殿下は神官長やイヴリン様たちとお話し合いをされたのです」
(何も覚えていない……!!)
「そ、それで話し合いの結果どうなったんだ!?」
「それは――」
侍医の言葉を、オズは目を見開いて聞いた。
「――イヴリン様は、聖女の座から退かれ……あの方が、その任を引き継がれることになったのですよ」
◇◇◇
「――イヴリン様。こちらにいらっしゃったのですね」
振り返ると、可憐極まりない微笑みを浮かべたエウロパ様がそこに立っていた。
大神殿には、ほぼこの場所だけで数年間を過ごさねばならない聖女のために、癒しのスペースがいくつか用意されている。
私はその中の、奥に小さな滝を望むバルコニーで休んでいたところだった。
「神官長たちと一緒に居ると、ずっと泣きべそをかかれてしまうので……しばらくひとりで居ようと思って」
「あら。好きなだけ泣かせてあげれば良いと思いますわ」
エウロパ様が肩を竦める。
今日、私とエウロパ様は、
その結果――エウロパ様は私の後を継ぎ、スナジル聖国の第十八代聖女としての任に就くことが決定したのだ。
(エウロパ様の才能には、最初から気がついていた……)
私の場合、怪我をした人物の記憶さえ読み取る特殊な『アナリシス』によって、キラの正体に気がつくことができたが。
エウロパ様は、一目見ただけでキラが魔物だと見抜いたのだ。
それだけ、彼女は魔物――瘴気の気配に対して非常に鋭い感覚を持っているのだと思う。
(私より、よっぽど優秀な聖女になるんじゃないかしら……)
神官長も表向きは反対していたが、エウロパ様の才には気づいていたのだろう。最終的には折れていた。
というのもエウロパ様自身が、言葉を尽くして神官長やオズ殿下を説得してくれたのだ。
「エウロパ様は、どうして聖女を継ぐと仰ったんですか?」
滝の音を遠くに聞きながら、私がそう問うと。
バルコニーの手すりに両手を預けていた彼女が、私の方を振り返る。
そう――私が聖女を辞めると言うのと同時、ならば自分が聖女になると言い出したのもエウロパ様自身だった。
私にはそれが不思議で仕方が無かった。
(聖女は、楽しいだけのものじゃないから)
毎日の多くの時間を祈りの儀に捧げなければならず、生活にはほとんど自由がない。
公爵令嬢として大切に育てられてきたエウロパ様にとっては、苦痛の方が多いかもしれない。
その立場をエウロパ様に押しつけてしまうようで、それが心配で仕方が無かったが……エウロパ様は顎に人差し指を当て、小さく小首を傾げた。
「そうですわね……理由は大きくふたつありますわ」
それから彼女は、白い指を一本立ててみせる。
「ひとつ。イヴリン様から聖女の座を引き継ぐことができる人間は、この世にひとりしか居ません」
「それは……ええ、そうですね」
「
「なるほど……」
(ぜんぜん分からない……)
「そして二つ目は、こっちはついでなのですが、聖女になればイグナ殿下との結婚を先延ばしにできますわ。これぞ棚からぼた餅というやつです。その間に失血死でもしてもらえば儲けものですわ」
(イグナ殿下……!)
私は医務室に担架で運ばれていったイグナ殿下の姿を涙ながらに脳裏に思い描いた。
しばらく恍惚とした表情を浮かべていたエウロパ様だったが――ふと、その顔に影が差した。
「でも……イヴリン様。わたくし、本当は不安なんですの」
「え?」
「だってイヴリン様や先代の聖女様たちは、それはそれは立派な方々でしたわ。わたくしなんかじゃ、皆様のようにお役目を果たすことは出来ないんじゃないかって……」
両手で細い肩を擦るようにしながら、エウロパ様がスンと小さく鼻を啜る。
私はその姿を見て、今さらなことを思い出していた。
(そうよね……言動はイカれているけど、エウロパ様はまだたった十七歳の女の子なんだもの)
私とは十一も歳が離れている。しかも急に聖女になるだなんて、いつも通りのように振る舞っていても不安な気持ちもあったのだろう。
私は彼女の肩にそっと手を置いた。
「大丈夫ですエウロパ様」
「イヴリン様……?」
「私、月に一回くらいは大神殿に来られるように神官長にお願いしてみますから!」
正直なところエウロパ様のことはちょっと怖いが、彼女は私のことを好いてくれているようなので、これなら少しは安心してくれるかもしれない。
しかしエウロパ様の表情はまったく晴れなかった。
「そんな……偉大なる聖女であったイヴリン様に、月に一度しかご指導いただけないなんて……わたくし、あまりに孤独で押しつぶされてしまいそうですわ……」
(エウロパ様……!)
うるうると瞳を潤ませる彼女の可愛らしさに、キュンとしてしまう。
(私ったら、今までエウロパ様のことを誤解していたのかもしれないわ!)
怖いとか気持ち悪いとか狂ってるとか、女の子に対してなんてひどい感想を抱いていたのだろう。
そしてそんな彼女のことがますます放っておけなくなった。
「そう――そうですよね、当たり前です! それなら月に何度か――」
「もう一声!」
「つ、月に……四回くらい?」
「もう一丁!」
「……週に一回……」
「そんなんじゃ満たされませんわ!」
私は恐る恐ると呟いた。
「…………毎日…………?」
「ヒャッッホオオオオウッッ!!!!!」
エウロパ様が激しくヘッドバンギングしながら、淑女と思えぬ雄叫びを上げた。
「やりました……やりましたわ!! この時を待ち続けていましたわわわわわ!!」
(ひいー!!)
いよいよ正体を現した怪物を前にして、私は腰を抜かした。
夜闇の中でも、エウロパ様の充血した目は爛々と光り、獲物を眺めるかのように私を見つめている。
「はぁっ、はあっ……これで名実ともに、わたくしだけのイヴリン様ぁ……しゅき……うひゅっひゅひゅ」
(怖いいいいいいい!!!)
そこに、ガタガタ震え続ける私を庇うようにして。
颯爽と現れたのはセオドア様だった。
「やめろエウロパ! さっきから聞き耳を立てていれば、イヴリン様を騙して言質を取るような真似ばかり――」
エウロパ様は力任せにセオドア様を突き飛ばした。
「うわー!」
バルコニーを突き破ってセオドア様が真っ逆さまに落ちていく。
下から派手な水しぶきが散ったが、そちらには目もくれず、エウロパ様は尻餅をついた私の前に這うようにして近づいてきた。
乱れきった長い髪の毛の中から、恐ろしく整った少女の顔が現れ――私の顔を舐めるように、にたりと笑う。
「イヴリン様」
「ひ、あ……」
「これからも……ずっとずうっと、一緒ですわ。……ね?」
(キラ! 助けてキラァーッ!)
頼りになる少年の名前を心の中で叫びながらも。
私の意識は、恐怖のあまりそこでぷっつりと途切れた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます