第30話.段差には気をつけてください
セオドア様が馬車の手配をしてくれたので、私たちはその日の昼には王都に向かうことになった。
相変わらず柔らかいふかふかの座席に座る。私の向かいにはセオドア様、隣にはキラが座った。
「……どうしたの?」
馬車が進み出して数分経つと。
虫かごに入れたカブトムシを観察しつつも、キラが不審げに訊いてきた。
「えっ。な、何が?」
「明らかに様子が変だから」
あっさりと指摘されてしまい、私は唇を噛む。
自分でも分かっている。こんなにも会話が無ければ怪しまれるのも当然だ。
うろうろと視線を投げてみると、正面のセオドア様は何も言わず、こちらをジッと見つめていたので……また私は慌てて目を逸らしてしまった。
(ううっ、言えない……! 恥ずかしくてセオドア様の顔が見られないなんて……!!)
彼の顔を見るとすぐに思い出してしまうのだ。数時間前の出来事を。
好きとか、待つとか、嫁き遅れてくれて良かっただとかなんとか――あの甘くてフワフワした雰囲気と彼の言葉を思い出すと、どくどくと心臓が鼓動を打って落ち着かなくなってしまう。
「何かあった?」
「べ、別に何も無いわ!」
「ふうん……」
キラはそれ以上、追及する気をなくした様子だったので私はほっとしたのだった。
◇◇◇
大神殿まで馬車で乗りつけることはできないので、王都の往来にて降り、私たちは徒歩で大神殿へと向かうことにした。
さっそく歩き出したところで、向かいから歩いてくる男性と肩がぶつかりかけ――さっとセオドア様に肩を抱き寄せられる。
「人が多いですからね。お気をつけて」
「あ、ありありありありがとうございまじゅ」
(焦りすぎて噛んじゃったわ!)
恥ずかしくて俯く私を笑いもせず、セオドア様は自然と手を繋いでくれた。
非常にスマートな態度なのに、繋いだ手は意外にも熱く――それだけで顔が火照ってきてしまう。
「……キラ……」
沈黙に耐えられず、私はキラに空いたままの左手を差し出してみた。
「はっ? 何?」
「……はぐれたら危ないから……」
「…………」
縋るような目に気づいたのだろうか。キラは致し方無さそうに、仏頂面のまま手を繋いでくれた。
そうして私たちは三人で仲良く手を繋いで、大神殿へとテクテク歩いて行く。
「ママー! 見てあれ、イケメンと美少女と美少年が手を繋いでるよ!」
「シッ! 大声を出さずに静かに見守りなさい!」
「フォッフォ、仲の良いご夫婦とお子さんじゃなぁ……いや違う、ありゃあ……三角関係……!?」
(なんか、注目を浴びているような気がする……)
余計に居たたまれない気分になりつつも、特に何事もなく大神殿の前へと辿り着いた。
見上げれば、首が痛くなるほど長い階段の奥――神殿入り口の見張りを務める神官たちの姿が遠く見える。
そしてその手前には、陽光にきらきらと照らされるような美貌の少女が立っているのが見えた。
私が大神殿に戻ることについては、マニラス家が早馬で伝えてくれている。
もしかすると、外でわざわざ到着を待ってくれていたのだろうか。
「セオドア様、あそこにエウロパ様が」
そう伝えようとしたときだった。
エウロパ様がこちらに目をやるのと同時、
「――い、イヴリン様あああっ!!」
彼女の向かいに立っていたらしい人物――神官長が、ガッと目を見開いて叫んだのだ。
そのまま彼はこちらに向かって一歩を踏み出した。
「ぎゃあっ!」
「!?」
私たちは愕然と目を見開いた。
神官長は階段の存在を失念していたのか、思いっきり足を踏み外してしまったのだ。
「神官長!」
「神官長ー!!」
「神官長をお助けせねば!」
「行くぞお前たち!」
それに気がついた神官たちが、次から次へと大神殿から出てきては慌ててその後を追い――
『うわあああああー!!!』
――見事に全員が、ものすごい勢いで階段を転げ落ちまくっていた。
「イヴリン様、ここは危険です。こちらへ!」
唐突に発生した、人で出来た雪崩を前にして動けずに居た私を、セオドア様がひょいと抱え上げる。
確かにその通りなのだが驚くほど冷静な判断だ。そして階段横に避難した私たちの目の前に、次々にボロボロになった神官たちが到着した。
(何人か骨折してるー!)
壮絶なスピードで全員が転倒したのでそりゃそうだろうと思うけど、あまりに無惨な光景だった。
中には軽傷の人も居るようだが……臓器に折れた骨が刺さったのだろうか。ゴバゴバ噎せながら血を吐く人も何人か居る。
その中でも最もひどいのは、数十人の神官たちにバウンドし、ボールみたいに吹っ飛ばされながら地面に辿り着いた神官長だった。
「い、イヴリン、様……最期に一目、あなた様……に……会え……こっ、ひゅっ……」
(虫の息だわ!)
考えるより素早く私は両手をかざして唱えた。
「り――『リザレクション』ッ!」
ヒール以上に高位な治癒魔法を唱えると。
両手から生じた黄金色の光の粒がキラキラと空中を舞い……彼らの傷へと吸い込まれていく。
それこそ屍のように階段下や途中で折り重なって倒れていた神官たちは、傷の痛みがなくなってひとりずつ身体を起こしていた。
最も重傷だった神官長も、他の神官に支えてもらいながらふらふらと立ち上がっていて。
私と目が合うなり、彼の落ち窪んだ目に涙の膜が盛り上がった。
「イヴリン様。も、もう二度と会えないかと思っ……う、ウオオオオンッ!」
「イヴリン様ぁっ! 幻覚じゃない、本物のイヴリン様だああっ!」
「ご無事で良かった! お怪我は? お腹は空いていませんかっ!?」
「神官長たち……!」
私は思わず目を潤ませる。
未だかつて、彼らがこんな風に親しげに私に話しかけてくれたことなんてあっただろうか。いや無い。
そして私は、涙を流す神官長に駆け寄ると。
……そのしわしわの額を、ペチンっと指で弾いた。
「……え?」
「い、イヴリン様……?」
訳の分からない様子で戸惑っている神官長や神官たちに向かって。
私は声の限りに叫んだ。
「――あのですねぇっ! 階段は危ないんですから、考えなしに走ったりしちゃ駄目でしょう!?」
それがあまりに大声だったからか。
雷に打たれたように全員が硬直したのを良いことに、私は彼らをひとりずつデコピンしまくった。
額をペチンっと打つたび、彼らは力なく階段に座り込んでいく。
年上の男性たちに対して、褒められるべき行為ではないだろうけど……それでも全員が反省するまで回ってやるつもりだった。
「特に神官長は、もう本当にご高齢なんですからっ! もっともっと気をつけて歩かないと!」
「い、イヴリン様……」
「もう二度と会えないかと思ったって、それはこっちの台詞ですよ! せっかく帰ってきたのに……全員目の前で死んじゃった、かと……」
喋っている間にも、鼻の奥にツンとした感覚を覚えて……泣きたくなんてないのに、目がじんわりと潤んでくる。
「イヴリン様、泣い――」
「うるさーいっ!」
余計なことを言おうとした目の前の神官の額をペチンっする。父親くらい歳の離れた人だが容赦なくだ。
しかし彼は胸を押さえて倒れ込むと、訳の分からないことを口走った。
「うっ。か、可愛い……」
「バカなこと言ってないでちょっとは反省してくださいっ!」
「すっげえ可愛くて好き!!」
「バカー!!」
(こんなに怒ってるのに何なのこの空気はっ!)
私が怒るたびに、周りの神官たちは野を駆ける子犬を見守るような温かな目で見てくる。やりにくいことこの上ない。
「わたくしも『ペチンっ』をお願いいたしますわっ! 百回ほどで我慢しますのでっ!」
「か、可能でしたら僕も『ペチンっ』を……」
(もおおおおおおおっっ!)
しかも何故か隅っこには順番待ちの列が出来ていたが、私はそのふたりは無視して神官たちを泣きながらペチンペチンし続けたのだった。
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