第29話.まだ分からない気持ちです

 


 イグナ殿下と共に王都に向かったエウロパ様――。

 彼女からの手紙が届いたのは、その翌日のことだった。



「『イヴリン様、本日も健やかにお過ごしでいらっしゃいますか? わたくしはイヴリン様のことばかり考えて元気にしておりますが、服にこびりついた神聖な泥が無ければ、この辛く苦しい孤独にとても耐えることはできなかったと思います。ああイヴリン様! あなた様こそがわたくしにとって、そして世界にとっての光たるべき方。今でも一秒前のことのように思い返します、初めて出会った頃からあなた様はとてもお可愛らしく、眩しい美貌を惜しげもなく』」

「セオドア様、要約していただいてもいいですか?」

「そうですね……十六枚目から十七枚目の便箋に書いてありますが、オズ殿下にイヴリン様とセムの町で会ったことが知られてしまったようです」


(やっぱり……)


 薄々そうなるかなぁとは思っていたので、私もキラも、そしてセオドア様もあまり驚かなかった。


 現在、私たちはマニラス家の居間にて会議中だ。

 ただ飯食らいの居候歴が長くなってきたからか、ジャクソン様や夫人、それに使用人たちからはマニラス家の一員のように扱われている。みんな優しすぎてものすごく居心地の良いお屋敷だ。


「オズ殿下は何と?」

「イヴリン様の追放はアレックス殿下とメアリ嬢の独断であり、神官たちはまったく関知していなかったことと――そして、早急にイヴリン様にお戻りいただきたいと切実に仰っているようですね」


 夫人が差し入れてくれたジュースを飲みつつキラが訊く。


「あの変な女の人はどういう見解なの?」

「エウロパは、イヴリン様を王都にお招きしても問題は無い状況だと考えているようです」


(変な女の人で通じてる……)


「ふぅん、そっか」

「……それだけですか?」


 セオドア様はどこか不服げだったが、キラは同時に私の方を見た。


「だって、イヴリンはもう決めてるんだろ?」

「……うん。だから、キラも一緒に来てくれる?」


 じっと見つめてみると。――仕方なさそうにキラは肩を竦めてみせた。


「いいよ。アンタ、放っておくとまた酷い目に遭ってそうだから」

「ありがとう! 好きよキラ!」


 抱きつこうとするとキラは猫のように俊敏な動きでソファからぴょんとジャンプした。

 そのまま居間を出て行こうとするキラ。そこにジャクソン様が通りかかった。


「おお、キラ君! いま暇か?」

「うん。ヒマだけど」

「それなら森に虫取りに行こう! 今朝、樹木に蜂蜜塗っといたからいっぱいカブトムシ取れるぞぉーっ!」

「はいはい。あ、そこ段差あるから気をつけて」


 少年のようなジャクソン様に、介護士のような気遣いを見せつつ去って行くキラ。

 その後ろ姿を、私は両手で空中を掴んだまま目を細めて見送った。


(キラ……もう私だけのキラじゃないのね……)


 涙ながらに振り返ると、なぜかセオドア様が目の前に立っていた。


「わっ! びっくりした、どうしたんですか?」

「いえ、その……うまくいけばイヴリン様に抱きしめてもらえるかと思って……」


(素直!)


 顔を赤くしているセオドア様は、成人男性とは思えないほど可愛らしく――勢い余ってちょっと抱きしめたくなってしまったが、私はどうにか自制した。何だか変な雰囲気になりそうなので。


 ふたりで赤くなりつつ、隣の席に座り直す。

 セオドア様が俯いたまま沈黙しているので、私から切り出してみることにした。


「……セオドア様。私、やはり大神殿に戻ろうかと思うのですが」

「…………それは、聖女に戻るという意味ですか?」

「いいえ」


 セオドア様が顔を上げる。私は穏やかに微笑んだ。


「聖女の任期は、平均でも五年から十年……二十三年間は、少し長すぎたんだと思います」

「……そうですね。それほどイヴリン様は優秀な聖女でした」

「聖女である間は、婚姻ができませんからね。おかげで婚期は思いきり逃しましたが」


 私は笑った。

 聖女の多くは、幼い間に王族と婚約を結ぶ。

 聖なる魔力の形質は子に引き継がれることが多いためだ。だからほぼ例外なく、聖女は王族やそれに連なる者との婚姻を決定されるのである。


「力も弱まった以上、他の才能ある方に役目を譲るのが正しいことだと思うんです」


(そして――その役目に相応しい人に、心当たりはあるんだけど……)


 果たして彼女がどう思うのか。

 それをまだ確認していないので、迂闊に口には出せないが。


 何故かセオドア様が何も言わないので、私は少し茶化すように言った。


「でも、嫁き遅れの聖女でもそれなりの価値はあるでしょう。貴族の中にも、私と結婚したいって人は意外と多いんじゃないかと思って――」

「――イヴリン様。意地悪で仰っているんですか?」


 え? と私は首を傾げようとした。

 隣を見れば、何故かセオドア様は怒ったような表情をしていて。


「すぐ目の前に、あなたに結婚を申し込んだ男が居ると思うんですが」

「……っ!」



(そっ――――そうだった!!)



 私の脳に雷が落ちた。

 最近、個性の強すぎる人たちと遭遇したり、底なし沼に落下したり、森の中で遭難しかけたりしたことでちょっぴり忘れかけていたけど……。


(私、セオドア様にプロポーズされたんだった……!)


 思い出すと、急に顔に熱が上ってくる。

 クラクラするのを誤魔化すように私は必死に口を動かした。


「で、でもあれは……だって、セオドア様は――怪我を治した私の姿が、神々しく見えていただけで……夢うつつだっただけで……」

「イヴリン様。さすがに僕だって、もう夢の中には居ません」


 急に右手を握られて、口から心臓が飛び出しそうになる。

 その手は尋常じゃなく熱かった。もう、どちらの体温なのかもよく分からないけど。



「……あなたのことが好きですよ、とても」



 ぎゅう、と強く手を握られて心拍数がますます跳ね上がる。

 切なそうに見つめてくる瞳の中に、真っ赤っかの自分が映っていて……恥ずかしいのに、なぜか目を逸らせなかった。


「イヴリン様は――僕のことがお嫌いですか?」

「い、いえっ。そういうわけでは――」


(そういうわけではない、けど……!)


 ……分からない。本当に、そういうのはよく分からないのだ。

 二十八歳にもなって、本当に情けない話だと思うけど。


 だって私は、五歳の頃から大神殿で暮らしてきた。

 その頃からよく知らない婚約者が居て、でも別に仲が良いわけでもなくて――役目を一所懸命に務めている間に、気がついたら彼は、妹と結ばれていて。


 恋愛なんて、自分とは最も縁遠いものだと思って生きてきた。

 おとぎ話の中だけで繰り広げられる、華やかな世界に……憧れるだけで終わるのだと。


(でも……セオドア様のことを、嫌いなんかじゃない……)


 それだけはよく分かる。

 彼はポンコツだけど優しい人だ。一緒にいると楽しいし、ドキドキするし、ちょっと幸せな気持ちになる。

 だからこそ、もっと真剣に考えて――ちゃんと、答えを出したいと思った。


「い、いまはまだ……もう少しだけお返事は、待ってください……」

「……もう少しは、いつまでですか?」

「ええと、ええとっ……だ、大神殿に戻って、いろんなことに決着をつけるまで!」


 私がそう言い放つと。

 セオドア様はしばらく目を丸くしていたが……やがて思いきり破顔した。


「承知しました。待ちます」


(……やっぱり、優しい人だわ)


 セオドア様の笑う表情は、いつだって優しい。

 蕩けるように見つめてくる瞳も、柔和に緩んだ口元も。


(そのせいで私、この人から目が離せないんだわ……)


「イヴリン様。失礼を承知で、ひとつだけ言わせてください」

「何ですか?」

「あなたが嫁き遅れてくれて良かったです」

「……なっ――」


 ふわふわとした思考を力任せに破るような、信じられない発言に私は絶句した。


「なんてこと言うんですかっ! セオドア様ったら、他人事だと思って!」


 私がぷりぷりすると、セオドア様は苦笑して。



「……だって、そのおかげでこうして会えたんだから」



 間近でその笑顔を見て。

 私はしばらく――言葉が出なくなった。


(……その言い方は、卑怯です……!)


 抗議の意味を込めて、彼の胸板をぽすんとひとつ叩いてみると。

 ……何故か、ますます嬉しそうにセオドア様は笑ったのだった。



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