第28話.剛の者たちの出会い
王宮を追い出されたエウロパは、イグナに手を繋がれてどこかへと歩いていた。
「イグナ殿下? どこに行くんですの?」
「大神殿だ」
意外な言葉に「えっ」とエウロパは目を見開く。
「大神殿は一般人の立入りは許可されていませんわ。行っても門前払いされるのでは?」
「いや。最近はイヴリンを捜索している関係で、俺やオズ、それに一部の近衛も出入りしている」
「……そんなこと、昨日は一言も仰っていませんでしたわよね」
「次第に俺も冷静さを取り戻してきた。血を失ったおかげだな」
普段が血の気が多すぎるということだろうか。よく分からないがエウロパは納得した。
それと何故か勝手に繋がれている手に関しては「気持ち悪い」と振りほどきたいところだったが、そうするとイグナがまた好き放題に鼻血を噴くので、致し方なくエウロパはされるがままになっていた。
(この人が目を覚ますのを待つと、ものすごーく時間を無駄にしますもの……)
やれやれと思いつつ、大神殿に到着すると。
イグナとエウロパを前にした受付の神官たちが、揃って驚き――喜色満面の笑みを浮かべる。
「……イヴリン様! イヴリン様じゃないですか!!」
「戻ってきてくださったんですね! ああっ、どんなにお待ちしていたことか……!」
やったーやったーと叫びながら両手を合わせて踊り狂うふたり。
エウロパは言いにくいと思いつつ、率直に伝えた。
「…………いえ、わたくしはエウロパですわ」
その場の空気が凍りついた。
「……チクショーまた幻覚なのかよ! もうダメだ!」
「もう木も草も人の影も空も鳥もすべてがイヴリン様に見えちまう!!」
「待てよ、それならつまりお前もイヴリン様ってことか?」
「お前がイヴリン様なら俺もイヴリン様だ! それって最高だな、母女神に感謝を!」
ひどい惨状だったが、イグナは泣きわめく神官たちを気にしていない様子でエウロパを振り返ってくる。
「よし、行こう」
「何も「よし」ではありませんが……」
と思いつつ、通してもらえるのは都合が良い。エウロパはイグナと共に大神殿の中に進んでいく。
……しかし、数秒と経たない間にエウロパの息は荒くなってきていた。
(くうっ、これがイヴリン様が二十三年間、歩いていた回廊……! 呼吸をして、お勉強をして、お着替えをして、食事をして、お祈りされていた至高の空間だと言うの!? あああダメですわっ、考えれば考えるほど、興奮してまともに歩けない……!)
ダメだと分かっていても考えずにいられない。
そしてぜえぜえしているエウロパの隣ではイグナもぜえぜえしていた。
(くっ……いつになったら繋いだ手を『気持ち悪い』と一蹴してくれるんだ、焦らし上手なエウロパよ……!)
似たもの同士のふたりはぜえぜえしながら、どうにか大神殿の大広間まで辿り着いた。
するとそこで待っていたのは――高齢の神官と、それと向き合うひとりの男性の姿だった。
「あれは……?」
「……神官長と、アホックソだな」
「どうして神官長は杖を構えてますの?」
「神官長に殺意があるからだろうな」
すべての事情をエウロパは一瞬にして察知した。
アレックスの方は柱を使ってどうにか神官長から距離を取っている。彼には武器の用意がないので、逃げの一手のようだ。
「……あ、イグナ! 戻ってきたのか!」
「今日こそ死ねええええぇっ!」
呼びかける間にも容赦なく神官長が襲いかかってくるので、慌てて避けるアレックス。
「た、助けてくれ! このイカレジジィ、人が出払ってるのをいいことにオレを亡き者にしようとしてるんだ!」
などと叫ぶアレックスだったが、ふと手を繋いだままのイグナとエウロパに気づいたらしく。
羨ましげな、荒んだ目つきになった。
「ハァ……お前は良いな、イグナ。可愛い婚約者に手を繋いでもらってさ……」
「忘れてましたわ。手汗が気持ち悪いのでさっさと離していただけます?」
「ぐっ……! その一言を待っていた……!」
鼻血を噴いてイグナが倒れると、エウロパは空いた手で懐から扇子を取り出した。
「神官長、加勢いたしますわ。そこのアホを八つ裂きにするんですわよね?」
「これは何と素晴らしいご令嬢じゃ。ありがたい、恩に着よう」
「ちょっと待て! 本気で言ってるのかエウロパ嬢!?」
アレックスが信じられないという顔で叫ぶが、エウロパはそれを鼻で笑って一蹴する。
「二十三年前から殺害予定だった男ですもの。その機会が巡っていた以上、逃せませんわ」
「君が生まれる前から恨まれていたのか!……いや、何でだ!?」
「ご自分の胸を手で貫いてからお考えあそばせ」
「それだともう死んでる! 無理だ!」
鋭く扇子を構えると、冗談でないと分かったらしくアレックスの顔が白くなる。
だがそこで――神官長が、杖を取りこぼした。
「い、イヴリン、様……!」
「……えっ!?」
まさか先ほどの神官たちと同じように、彼にも幻覚が見えてしまっているのか。
狼狽えるエウロパだったが、神官長は足取りをふらつかせながらもこちらに近づいてくる。
「ああ、イヴリン様……! イヴリン様!」
「ち、違いますわ神官長。わたくしはエウロパで……」
そして神官長は、エウロパ――ではなく。
エウロパの服についた泥に向かって跪き、涙を流した。
「この神聖なる泥から、イヴリン様の魔力を感じるんじゃ……!」
(神官長……!!)
エウロパは強者の予感に打ち震えた。
「た、確かにこの泥には、ほんの微量ですがイヴリン様の魔力が宿っていますわ。でも、どうして……?」
「このワシが見間違えるはずがないっ! あの方の魔力の波動であれば、それがどんなに僅かであっても読み取る自信があるっ!」
「……やりますわね」
冷や汗を流しつつにやりと笑うと、神官長も口元を笑わせる。
「……ご令嬢こそ。イヴリン様お手製の泥を見せびらかすなどと……フフッ。あの方は自分のものとでも主張されているおつもりかな?」
「うふふ、逆ですわ。わたくしこそイヴリン様の忠実なる下僕なのです。この泥はその証にして、わたくしの誇りですわ」
「……やりますな」
「神官長こそ」
フフ、フフフ、と不気味に笑い合うふたりを、恐ろしげに遠くからアレックスは見遣る。
だがそのとき、本来そこには居ないはずの少年の声がその場に響いた。
「……その話、僕にも詳しく聞かせてもらえます?」
ぎくり、とエウロパは身体を強張らせる。
振り向けば、回廊の薄暗がりからは――車椅子に乗せられたオズが現れたのだった。
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