第27話.嘘は吐いておりません

 


 王宮に設けられた医務室。

 ――果たして、そこに第三王子オズの姿があった。



「ああ、エウロパ様。お久しぶり、です……ね……」



(分かりやすく死にかけてる……!)


 エウロパはその姿を前にして息を呑んだ。


 オズは呼吸器をつけられ、ヒューヒューと息を漏らしながらベッドに横たわっていた。

 もともと童顔で痩せた王子だったが、今は以前にも増して病的に痩せ細っている。

 顔は土気色だし、目の下にはどんよりと大きなクマまでこしらえていた。


 エウロパがあまりに驚いた表情をしていたからか、オズが弱々しく苦笑した。

 その横には厳しい表情の侍医が付き添っている。


「ストレスによる胃潰瘍だそうで……はは、大したことじゃないんですが……」

「今夜が峠です」

「……はは、本当に、大したことじゃないんですが……」

「峠です」


(峠なんだわ……!)


 もともとエウロパが王宮にやって来たのは、内情を探りイヴリンに情報を伝えるためである。

 しかしさすがにオズが死にかけているのは想定外だった。

 前々から苦労人だとは思っていたが、彼がここまで追い込まれているとは。


「それと、どうしてエウロパ様はそんなに泥だらけなんですか……?」

「この泥は神聖なる泥なのですわ。香りも良くて最高の付け心地ですの」

「そうなんですか……兄が血だらけなのは、まぁ、エウロパ様と一緒だからですね……」

「そういうことだ。俺の血液は全てエウロパのために流れている」


 オズが人払いした後に、エウロパはおずおずと訊いた。


「ところでオズ殿下。どうして殿下は胃潰瘍に……?」

「……過度なストレスで、胃がしっちゃかめっちゃかになりましてね……」


 ぐったりと答えるオズ。


「まぁ、僕の悩みは、イヴリン様さえいらっしゃればほぼ全て解決するんですが……」


 エウロパは静かに目を瞠った。オズがふっと笑みを漏らす。


「イグナ兄さんはエウロパ様にゾッコンですから、きっともう全てお話していることでしょう」

「……ええ、そうですわね」


 ここまで来て部外者にされては堪らないので、敢えて肯定するエウロパ。

 するとオズは細めた瞳で、エウロパの隣に立つイグナを見遣った。


「それでイグナ兄さん。セムの町に……イヴリン様は、居ましたか?」

「!」


 ごくり、とエウロパは唾を呑み込む。

 イグナはあんな風に言っていたが、やはりオズたちはイヴリンを血眼になり探していたのだ。


 当たり前だ。何せイヴリンは偉大にして高貴なる可愛くて美しくて綺麗で素敵で敬愛すべき聖女。

 スナジル聖国はイヴリンが居るからこそ機能しているのは、まともな王族なら全員が理解していることだ。


(イグナ殿下、この追及をどうやって躱すつもり……!?)


 その場に居る全員からの注目を浴びながら。

 イグナがさらりと言った。


「いや。ぜんぜん居なかったな」

「……!?」


(素面で嘘を吐いたわこの人!)


 エウロパとイグナの近衛騎士の表情が一気に驚愕に染まる。

 こんな状態の弟を前にして平気で嘘を吐けるとは……エウロパは驚きと共に、初めてイグナに好感を持った。


(イグナ殿下……イヴリン様のことを思って、黙っててくださるのね)


 ろくでもない変態鼻血噴きマシーンだと思っていたが、多少はまともな部分もあったのだと感動する。

 しかしオズも追い詰められているのだろう。そんなイグナに尚も問いかけを続けた。


「な、なら、セムの町に少しでも手がかりはありませんでしたか?」

「いや。特に無かったな」

「兄さん、どんな些細なことでも構わないんです……!」

「さっぱり無かったな。イヴリンの影も形も無かった」

「……そう、ですか……」


 エウロパは次第にオズが不憫になってきた。

 オズには悟られないようにしながら、そっと小声でイグナに訊く。


「……イグナ殿下。意外と嘘がお得意ですわね?」

「? 嘘も何も……イヴリンになんて俺は会っていないが」


(何言ってるのこの人……)


 唖然とするエウロパに、イグナは不思議そうに言ってくる。


「俺はいつもエウロパのことしか考えていないからな。……そういえば、森の中を歩いていたときに、キラァキラァとか泣いている女の声なんかが聞こえたような気もするが……」

「………………」


 どうやら彼が本気でそう言っているらしいと理解し――。

 くわっとエウロパは目を剥いた。


「しっ――信じ! られませんわ!」

「ど、どうしたエウロパ」

「イヴリン様の可憐な御姿を拝見し、しかも赤子より清い泣き声まで拝聴するなんて至上の体験をしておきながら記憶してもいない!? 今すぐその役立たずの目玉と耳をえぐって引っ張り出して説教してやりますわ!!」

「ぐっ……! 是非とも!」


 イグナが膝をつく。見る見るうちに王宮の美しい床が真っ赤な血に染まっていった。

「殿下ぁ!」とわらわら騎士たちが駆け寄っていくが、エウロパは信じられない思いで彼らから遠ざかる。


(本当にイカれた男っ! というかわたくしだってイヴリン様の泣き声なんて聴いたことないのにっ!)


 怒りのあまり拳を強く握る。やはり第一王子より先にこっちの王子を始末しておくべきか。

 そのせいで――しばらく、エウロパは気づいていなかった。


「あの……エウロパ様」


 振り返ると、オズが呆気に取られたような顔をしている。


「何でしょう、オズ殿下」

「ええと……僕の気のせいでなければ、先ほどイヴリン様の名前が聞こえたような……」


(しっ――しまった!)


 興奮すると周りが一切見えなくなる深窓の令嬢・エウロパは失態に焦ったが、それで慌て出すほど愚かではなかった。

 大声を出したのを恥じらうように、取り出した扇子で口元を覆ってみせる。


「……失礼致しました、オズ殿下。イグナ殿下とは、セムの町で会ったイヴリン様の話をしていましたの」

「イヴリン様!? それは、もしかして聖女の――」

「うふふ。セムの町には五十六人のイヴリンが住んでおりますので……」

「で、でもやはり、それは聖女の――」

「いいえ。白くて長い毛でフワフワでモチモチで、キラァキラァと独特に鳴く世にも可愛らしいイヴリンですわ」


 まったく嘘は吐かず、そう言い切ったエウロパを前にして。

 オズはしばらく考えた後、掠れた声で呟いた。



「………………犬かぁ…………」



 オズの容態が悪化したので、イグナとエウロパは早々に王宮を追い出された。



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