第24話.変態さんが増えました

 


「……ひどい目に遭いました」



 泥まみれの格好で屋敷に戻った私を出迎えてくれたのは、呆然としたセオドア様とエウロパ様、それにカイン君だった。


「イヴリン様、いったい今までどこに……!? 町中を探しても見つからなくて……!」


 申し訳なさそうに言うセオドア様に私は首を横に振る。

 カイン君はあの後、応援を呼びにすぐマニラス家の屋敷に戻ってくれたのだろう。


 でもその後――彼がセオドア様たちを連れて駆けつけてくれたときには、私やキラはその場には居なかったのだ。


(セオドア様たちは悪くないわ……悪いのは全てこの人……)


 ぐったりと振り返った先――飄々と腕組みしているその人物は、私の視線に気がついて「ああ」と口を開いた。


「すまない。ちょっと道に迷ってな」


 いけしゃあしゃあと言い放つ男――イグナ殿下に、私は牙を剥いた。


「ちょっと!? 私が泥に嵌まってから一日経ってますけども!!」

「人の一生という観点から見れば、一日なんて些細なものだろう」


(は、腹立つ……!)


 昨日……騎士を連れて現れたイグナ殿下たちに、私は底なし沼から救出してもらった。


 私の元婚約者であるアレックス殿下の五つ年下の弟――イグナ殿下。

 直接話したことこそ無いが、遠目に姿を目にしたことは何度かある。

 自己紹介したところ、彼の方も私が聖女だということをすんなりと信じてくれた。


 どうやら大神殿では、私の不在による大騒ぎが起こっているらしい。

 つまり私を連れ戻しに来たのか? と気になって、セムの町に居る理由を訊いてみたところ、イグナ殿下は無表情のまま答えた。


『俺の婚約者であるエウロパが、この町に来ていると聞いたから迎えに来たんだ』


 それを聞いて私は驚いた。

 まさかイグナ殿下がエウロパ様の婚約者だったとは。


(そっか。セオドア様とエウロパ様は、やっぱり恋人同士とかでは無いってことよね)


 何故かそんなことに安堵しながら、私とキラはイグナ殿下と共にマニラス家の屋敷に向かおうとした。

 だがそれが間違いの始まりだった。



(――イグナ殿下は、ものすごい方向音痴だった……)



 そもそも、イグナ殿下は王都からやって来たはずだ。

 マニラス家の屋敷に向かったはずなのに逆方向の森の近くに居た時点でおかしかったのだ。


 それなのに彼は自信満々に先頭を歩いて私たちを迷宮へと導いていった。


(『森に入ればあっという間にマニラス家に着く。セムの町の常識だ』とか、『恐ろしいほどの獣道だろう? つまりこれが近道ということだ』とか、おかしいことばかり言ってるとは思ったけど……)


 周囲の騎士たちが疲れた顔をしながらも『殿下の仰る通りです!』とか甘やかすのもいけないと思う。おかげで本当に辛い目に遭った。

 幸い、一日かけて歩き続けてどうにか見知った屋敷の前まで戻ってこられたが……あのまま森を彷徨い続けていたら終わりだった。


 疲れ切った頭でぼんやりと考えている私の肩を、優しくセオドア様が掴む。

 自分の手が汚れるのも構わず、心配そうに眉を下げた表情を見て、思わず涙が込み上げそうになってきた。


「イヴリン様、何とお労しい……! 使用人にすぐに用意させますのでまずは湯浴みをしてください」

「セオドア様……!」

「それとお洋服もすぐに準備します。お疲れでしょう、食事を取ったら部屋で休んで――」


 そんなセオドア様は横から伸びてきた手に唐突に突き飛ばされた。


「うわー!」


 屋敷横の小川に落ちていくセオドア様。

 入れ替わりに私の両手をぎゅうと握ったエウロパ様が、その愛らしい顔を紅潮させて話しかけてくる。


「泥を被っていてもお美しいなんて反則ですわイヴリン様! というか泥のくせに役得すぎませんこと!? わたくしだってイヴリン様の身体に合法的にひっついていたいいつまでも! これは来世は泥に生まれてくるしかありませんわ……!」

「エウロパ!」

「……あら? イグナ様?」


 私の背後からイグナ殿下が鋭く呼びかける。

 すると、いま気づいたというようにエウロパ様が首を傾げた。


「こんなところで遊びほうけて……ハァ。本当に王子って暇そうで羨ましいですわね。国の金で贅沢三昧してクソして寝てろですわ」

「ぐっ……!」


 婚約者の冷たすぎる言葉にショックを受けたのか、その場に膝をつくイグナ殿下。

 王族に向けるにはあまりにも不敬が過ぎる言葉に、私も唖然としていたのだが……イグナ殿下はエウロパ様への処分を言い渡すでもなく、身体を震わせている。


「い、イグナ殿下っ?」


 私はぎょっとした。彼の足元の地面に大量の血が滴っていたからだ。

 だが鼻を押さえながら上向いたイグナ殿下は、恍惚とした歓喜の表情を浮かべていた。


「っやはりエウロパ、君こそ……ハァッ、俺の理想の女性だ……!」


(気持ち悪!)


 何で罵られたのに息を荒げて興奮しているのだろう。

 周りの近衛騎士たちも慣れた様子で布を差し出しているあたり、彼はいつもこんな調子なのだろうか。


(というかこの感じ、誰かによく似ているような……)


 すると、目を細めたエウロパ様が吐き捨てた。


「気持ち悪いですわ」


(あなたも大概ですが!?)


 むしろそっくりだった。婚約者というだけあり似すぎている気もする。

 圧倒されていると、エウロパ様はまだ悶えているイグナ殿下を放置してこちらを振り返り、私の後ろに立つキラの前に躍り出た。


「って、イグナ様のことなんてどうでもいいのです。キラ君、わたくしどうしてもあなたに謝りたくて……!」

「……気にしてないから」


(キラが引いてる!)


「本当に気にしてない。だからそっちも気にしないで」

「キラ君……ごめんなさい、本当にありがとう。それとわたくしからもあなたに訊きたいことがありますの」


 エウロパ様が微笑む。しかしその唇からはゾッとするほど冷たい声が放たれた。


「イヴリン様とはどういうご関係なの?」

「……べ、別に何でもな」

「何でもないってことは無いと思うの。だってふたりは宿屋で一室を取って暮らしていたって言うじゃない? 羨ましすぎてわたくし、昨夜は一睡も出来なかったわ。イヴリン様の可憐な寝顔を見て、清らかな寝息を聞きながら眠るのってどんな気持ち? ねぇどんな気持ち?」

「…………イヴリン」


 キラが困った顔で見てきた。

 小さな友人に頼られ、しかも名前を呼んでもらったのが嬉しくて――私は張り切って助け船を出した。


「エウロパ様、キラは私にとって初めての(友)人です!」

「始末します。ごきげんようキラ君」


(始末!?)


 物騒な単語が聞こえてきたので、私は慌ててエウロパ様を背後から羽交い締めにする。


「待ってエウロパ様! キラは私の大切な子なの!」

「はっ、はわん……!? わ、わたくし、いまイヴリン様にだだだ抱きつかれてますの!? 人は願えば本当に泥に転生できるものなのですね!!」

「エウロパ、病院に行こう! まだ間に合うはずだ!」


 小川から上がってきたセオドア様がエウロパ様を引き取ってくれたが、彼女はきぃきぃ言いながら暴れ続けた。そんなエウロパ様をイグナ殿下が熱い眼差しで見つめ続けている。


 あまりの大惨事を前に――キラが顔を引き攣らせつつ、盛大な溜め息を吐いた。



「この国ってヤバいヤツしか居ないの?」



 その通りだったので私は「本当ね」としきりに頷いたが、キラはそんな私に白けたような目を向けてきた。何で?



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