第23話.彼女は当たり前みたいに笑う

 


 イヴリンと名乗ったその少女の正体が聖女なのだと、すぐにキラは気がついた。


 当たり前だ。彼女の治癒魔法はあまりにも規格外だった。

 どんなに優れた治癒術士でも、一日に三回ほどしか治癒魔法を使えないという。

 それを一日に際限なく使える、と何の躊躇いもなく言い放ち、実際にいくらでも治癒魔法を目の前で行使する姿を見て、キラは自分の勘が正しいことを確信した。


 そしてカインによって案内された先で、瘴気に腕を呑まれかけた男の姿を目にしたとき……キラは、ひとつのことを覚悟した。


 彼女はきっと、瘴気を払って男の傷を治すだろう。

 彼女の力ならばこの町一帯を覆う瘴気くらい、呆気なく消し飛ばしてしまうはずだ。

 そのとき、その傍らに……否、この町に居れば、おそらくキラも一緒に消滅するだろう。


 そもそもキラは魔物なのだ。

 人間――特に天敵である聖女とは相容れぬものだ。そんなことは最初から分かっていることだった。


(アンタになら、消されても良いか)


 分かっていながらも、キラはその場から動かなかった。

 だがキラは消されなかった。

 彼女が魔法を使っても、身体に異常はなく……痛みの類もない。


 そこでようやく、キラは気がついた。

 キラが気づいていたように、彼女もまた――キラの正体を、悟っていたのだろうと。





「キラ君!」


 停滞していた思考を切り裂くようにして。

 響いた声に、キラは俯けていた頭をゆっくりと上げた。


「……カイン?」


 エウロパという少女に『危険な生き物』と呼ばれ、キラが逃げ出した先はセムの町の片隅だった。

 人気の無い場所にひたすら走り続けて……気がつけば、森の入り口近くに辿り着いていた。


 怖がりのはずのカインが、こうしてひとりでキラを追いかけてきたのは意外で。

 それと何故か、ほんの少しだけガッカリしたような……中途半端な感情を覚えて、自分でも不思議に思う。


 それが表情に出ていたわけではないだろうが、カインは言いにくそうに口を開いた。


「キラ君、あのね」

「…………」

「天使のおねえさんなら、ずっとそこにいるよ……?」


(え……?)


 カインはじっと森の方角を見つめている。

 キラは息を呑んだ。

 まさか、と思いながら……心のどこかで期待してもいて。


 自分の背後を――キラはゆっくりと振り返った。




「キラ! 助けてキラぁーっ!!」




 ――そこには、くぐもった声で何事か叫ぶ両腕の姿があった。

 キラは絶句した。目の前の光景に理解が追いつかない。


 その間にも両腕は「キラァッ!」と叫び、ブンブンと勢いよく振り回され続けている。

 キラは無言のまま視線を外すと、そちらを指さしつつカインに訊いた。


「……あれは何?」

「見ての通り、天使のおねえさんの両腕だよ」


(やっぱりそうなのか……)


「手分けしてキラ君を探してて……ボクは町の中を、おねえさんは森の中を探してたんだけど、たぶんその途中で底なし沼に嵌まっちゃったんだ……」


 瞳を潤ませるカイン。

 全く以て訳が分からなかったが、あれほどぽやぽやしている人ならば、底なし沼に嵌まることもあるのだろう。


「……うるさいし、とりあえず助けるか」

「そうだね」


 毒気を抜かれたキラは、カインと協力して叫ぶ両腕を救出することにした。

 カインが暴れる右手を掴み、キラは左手の方を掴む。


 ぬかるみに足を取られながら、「せーの」と息を合わせて引っ張り上げようとしたのだが――


「お、重っ……」


 ふたりで同時に呻いた途端に、慌てたように両腕がわたわたした。


「ち、違うわ! 私が重いんじゃ無くて泥が重いの! 本当よ!」

「ボク、人を呼んできましょうか……?」

「カイン君、諦めるのが早いと思うわ! でもその方が助かるかも!」


 両腕の言葉に頷いたカインが、屋敷のある方向に向かって駆け出す。

 その背中を見送りながら……もがく両腕を丸ごと掴んで、キラは息を吐いた。


 ほとんど脱帽しながら呟く。


「……何で、こんなことになってんの?」

「キラのせいよ!」

「!」


 しかし沼の底から予想外に強い返答が返ってきて、キラは目を見開いた。


「キラが急に逃げたりするからでしょう!? 私、すごく心配で……! こうして底なし沼に嵌まっちゃったのもキラのせいなんだから!」

「ご……ごめん」


 喚く両腕に、思わず謝ってしまう。

 すると泥まみれの両腕が……ぎゅっと、キラの手を大切そうに掴んできた。



「……いいわよ、許してあげます。キラは今までたくさん、私のことを助けてくれたからね」



 その言葉に――。

 何かを言おうとして、結局キラは卑屈に笑ってしまった。


「オレ――魔物なんだよ?」

「……ええ、そうね。知っているわ」

「それでアンタは聖女だろ? だから、オレたちは……」

「私は気にしないわ。だって、キラはキラでしょう?」


 繋いだ手に、ますます強い力が籠もる。


「あなたは私の大事なお友達よ。それ以外のことは、どうでもいいわ」

「……でも」

「私だけじゃなく、セオドア様やカイン君もそう言ってた。きっとジャクソン様たちだって同じことを言うと思う」


(そんなの……)


 信じられないことだ、とキラは思う。

 そんなキラの胸中に気がついたかのように、両腕は笑って言い放った。


「魔物に襲われたことがあるカイン君が、「キラ君はキラ君だから、怖くないです」って言ってたの。……ねぇキラ、これでも信じられない?」

「…………っ」


 何かが、目の裏側から込み上げそうになって――キラは思わず、歯を食いしばった。


「……信じる、よ」


 小さな、震える声でキラは呟く。

 すると両腕はひどく優しい声で「うん」と頷いてくれた。


「でも……私ね、キラに謝りたいのよ」

「……何で?」

「今まで私、瘴気を片っ端から吹っ飛ばしてきた。その中にはもしかしたら、あなたの両親や兄弟姉妹、それに恋人や友人が居たんじゃないかって……」

「いや……別に居ないと思う」


 キラは首を横に振った。

 魔物という種そのものに対して、思うところも特にない。


「そうなのね」と両腕はほっとした様子だった。

 本当に、いちいち、そんな些細なことばかりを気にする両腕のことが……ちょっと煩わしくて、そしてほんの少しだけ――愛おしいと、キラは思う。


「そういえばあの、エウロパって人は……」

「エウロパ様は……『イヴリン様のご友人を危険生物呼ばわりした罪で死にます』と首を吊ったわ」

「――――はっ!?」

「安心して、すぐにセオドア様が助けたから……ゴボゴボゴボ」


 そこで両腕が不穏に咳き込んだ。さすがに限界が近いのかもしれない。


「だ、大丈夫? 呼吸は?」

「ゴボッ……そうね、若干だけど命の危機を感じているかも」


 まだカインの姿は見えない。救援が来るには時間がかかりそうで、キラは焦りを感じた。


「ま、待ってて。何とかひとりでもやってみるから。――うっ、重……」

「キラ、無理しないで! でも無理して! そろそろ死ぬかも!」

「重ッ……ほんとに重い、すごく重い……!」

「うわーんっ、重い重い言いすぎよ! セオドア様は羽のように軽いって言ってたわよ!?」

「それは間違いなくお世辞だと思うっ……!」


 もしかしたら、とキラは思う。

 魔物なのに、人のように心を持つ自分が生まれたのは――もしかしたら。



聖女イヴリンのことを、理解するため……?)



「キラっ! 助けてキラぁっ! ほんとに死ぬーっ! このまま沼の中で死んじゃうーっ!」


(……それはさすがに違うか)


 そんなことを考えつつ、ぜえぜえと荒い息を吐いていると。


「そこで何をしている?」


 背後から凛と響いた声に、キラは恐る恐ると振り向いた。

 そこには騎士を引き連れた、見るからに屈強な男が立っていた。



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