第22話.きらきら光る

 


 生まれたのはだった。



 何も見えない。何も聞こえない。

 恐ろしいほど澱んでいた――そんな暗闇の中で、生き物は小さな産声を上げた。


 生き物は黒い体躯をしており、金色の瞳をしていた。

 しなやかな四肢が生えていた。脳みそもあった。



 ……その生き物は、人々から"魔物"と呼ばれていた。



 瘴気の中で生まれた魔物の運命というのは、最初から決まっている。


 人間を見つけて襲うこと。そして、人間に襲われて殺されること。

 致命傷を負えば魔物の身体は霧散する。生まれたその瞬間から本能のまま暴れ狂い、やがて仕留められて――それで呆気なく終わるのが魔物の生涯だ。


 それなのに、その魔物の場合は違っていた。

 魔物はどんなに怪我をしても死ななかったのだ。

 その異質さを、誰にも気づかずにいられれば幸いだったかもしれないが、とある醜い小貴族に捕まった魔物は、そこで延々と切りつけられ、いたぶられる日々を送ることとなった。

 魔物にとってさらに不幸だったのは、自身に痛覚がキチンと備わっていたことだった。


 ある日、牢の見張りの隙をついて魔物は外へと飛び出した。

 右の後ろ足は散々、刃物で抉られてまともには動かなかった。それでも魔物は必死に逃げた。


 魔物は足を引きずりながらも、入り組んだ路地裏へと辿り着いた。

 牢屋と同じくらい汚い場所だったが、血の臭いは少なかったので魔物は幾分かマシな気分になった。


 そこで魔物は、布にくるまって横になっている老婆を見つけた。


「ああ、かわいい猫ちゃん」


 そんな風に呼びかけられ、魔物は小さく唸った。

 だが老婆は物怖じせず、手を伸ばしてきて――魔物の痩せこけた頬のあたりを撫で、ニコニコと笑った。


「きらきら、きれいに光る目だねぇ」

『……きらきら、っテ、なン、だ?』


 魔物は驚いた。

 自分の喉から、何か――音のようなものが飛び出てきたからだ。

 ぎこちないが、それは確かに言葉だった。人間の使う音の連なりによく似ていた。


 老婆は笑みを零すと、当たり前のように答えた。


「きれいって意味よぉ」


 きらきら、と何度も繰り返されたので、魔物も同じように、キラ、キラ、と鳴いてその言葉を懸命に覚えた。


 それからも老婆は様々なことを教えてくれた。

 老婆は物知りだった。人の暮らしぶりや、貴族や平民の違い、お金のこと学校のこと、宿屋や食堂や教会や集会所のこと、魔法や聖女のことなどを魔物に教えてくれた。

 魔物はそれらの知識を驚くほどの速度で吸収し、我が物としていった。


 聖女というのは、地下から噴き出る瘴気を抑える役割を持つ、特別な力を持つ女のことを言うのだそうだ。

 つまり魔物にとっては天敵だ。その女が目の前に居たなら、他の個体より少し特別だろうと、あっという間に魔物は存在ごと消し飛ばされてしまうだろう。


 ……会いたくない、と魔物は思った。

 だがそれと同時に、なぜか、そいつに会ってみたいとも思った。


「今の聖女様はねぇ、イヴリン様って言うのよ。あんまり素敵な方だからねぇ、大人はね、生まれてきた子供にみぃんなイヴリンって名づけちゃうのよ……」


 そのすぐ後、老婆は息を引き取った。出会って六日目の朝だった。

 魔物は動かなくなった老婆を土に埋めた。落ちていたシャベルを拾い、両手でその道具を使って穴を掘った。


 その頃には魔物は、人間の形を取ることができるようになっていた。




 ◇◇◇




 出会いはあまりに唐突で、偶然だった。


「あの、大丈夫……?」


 右足を引き摺って路地裏を歩いていると――そんな声に呼び止められて。

 振り向いた先に、少女が立っていた。


 白銀色の長い髪の毛に、大きな翠玉の瞳。

 おそらく十八歳くらいだろうか。目立たないながら上品な金糸で刺繍された白いワンピースをまとったその姿は、どこか浮世離れしていて……一目見て、ただの貴族では無さそうだと思ったのをよく覚えている。


 イヴリンと名乗った少女は驚くほど、何も知らなかった。

 治癒魔法が使えるのだと言ったくせに、その魔法が世間でどれほど価値があるものなのか見当もつかない様子なのだ。そこらの子供より無垢なのかもしれない。


(今まで親からどんな教育を受けてきたんだ……)


 魔物には親は居ないが、死んだ老婆が親の代わりだった。

 この少女にはそんな存在が居なかったのかもしれないと魔物は思った。


 でも、少女の言葉遣いはきれいで屈託が無い。

 小鳥が軽やかに歌うような声も、聞き心地が良くて――気がつけば逃げ出すのも忘れて話し込んでしまって。


 そして思いも寄らないことに。

 少女は魔物を蝕む足の怪我までアッサリと治してしまった。


 老婆が一度だけ見たことがあると言っていた治癒魔法とはまったく違う。

 宙を赤黒い球が飛んだり、傷口に黄金の粒が流れ込んだりするその光景は、魔物にとって不可思議で仕方が無かったが……あっというまに痛みは無くなっていた。


 しかも毎日のように夢に見ていた、鞭やナイフを振るう残忍な貴族の姿さえ――どこか遠くなっていて。


(記憶が、ほんの少し……薄れてる?)


 魔物は首を傾げたが、それは単なる気のせいだったのかもしれない。

 はした金をやっただけなのに、至上の宝物を手に入れたようにはしゃぐ少女の姿を見てフゥと息を吐く。


(すぐ慌てるし、笑うし、調子乗るし、泣くし……変なヤツ)


 と思いつつ――そんな少女のアホさにつられて爆笑してしまった事実には蓋をすることにした。


 少女は、しばらく王都で金稼ぎをする予定だと言う。

 魔物はそのまま見送ろうかと思ったが……バカっぽかったし、とても騙されやすそうな少女のことを、なぜか放っておけなくなった。


 気がつけば、誘いの声を掛けていた。



「それなら、オレと金稼ぎしない?」



 魔物の提案に少女は満面の笑みで「ぜひ!」と頷いた。

 やっぱり危ない、と思う。まともな判断力があればこんな提案には乗ってこないだろう。


「そうだわ。あなたの名前は何て言うの?」


 魔物は首を横に振ろうとした。名前なんて物は持っていないからだ。

 だが、ふと老婆の顔が頭に浮かんで――言葉が口端から滑り落ちる。


「…………キラ、だけど」

「素敵な名前ね」


 少女が笑う。魔物はつまらない社交辞令だと思いそっぽを向いた。

 すると気を悪くした様子もなく、少女は考え込むような仕草を見せ……やがて手を打った。


「なるほど。分かったわ!」

「……何が?」


 当たり前のように。

 少女は――イヴリンは、笑って言った。



「瞳がキラキラしていてきれいだから、あなたはキラなのね!」



 その笑顔のほうがよっぽど、魔物――キラには、美しく見えた。



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