第21話.それはまるで嵐のような

 


 お屋敷の居間でセオドア様にキラ、カイン君とボードゲームをやって遊んでいたときだった。

 マニラス家の執事のセバスさんより、その報が入った。


「若様、エウロパ様がいらっしゃっています」

「エウロパが?」


 ちなみにセバスさん始めとして屋敷の使用人の多くは、ジャクソン様を伯爵、セオドア様を若や坊ちゃんと呼んでいる。

 公式的には伯爵位を継いでいるセオドア様だが、彼らにとってはセオドア様はまだまだ子供なのだろう。


「すみません。一度ゲームを抜けますね」

「あら。負け逃げですね」


 私がからかうとセオドア様は「面目ありません」と頬を掻いたが、そのまま部屋を出て行ってしまった。


「気になるなら見てくれば?」


 私は思わずそちらを見た。

 キラは大きな欠伸を噛み殺しながら、サイコロを手の中で振っている。


「気になってなんかないわ」

「顔に『気になる』って書いてあるけど」

「本当!?」


 私は慌てて頬に触れた。それほど分かりやすかっただろうか。


(だって明らかに、女性の名前だから……)


 ……だからといって別に、私が気にする理由にはならないけど。

 これ以上、変に否定するのも何だかムキになっているようで恥ずかしいので、私は素知らぬ顔をして立ち上がった。


「ふたりも一緒に行く?」

「オレはいい」

「ぼ、ボクも。エウロパおねえさんはちょっと怖いし……」


 私はカイン君の言葉に首を傾げた。怖いとはいったいどういう意味だろう。

「天使のおねえさんも気をつけてくださいね」という言葉に送り出され、私は部屋を出たのだった。




 屋敷の外に出ると、すぐにセオドア様の後ろ姿を見つけた。

 そして彼の目の前にひとりの令嬢の姿があった。ふたりは親しげに談笑している。


 年の頃は十六歳くらいだろうか。

 神秘的な薄紫色の髪の毛に、同色の瞳をした美少女だ。

 涼しげなワンピースに麦わら帽子を被ったその子は、立ち尽くす私に気がつくとふわりと微笑み帽子を外した。


「お初にお目にかかります。わたくし、エウロパ・カテと申しますわ」

「初めまして、エウロパ様。私はイヴリンと言います」


 私たちはお互いに礼を取った。

 エウロパ様の礼は、私とは比べ物にならないほど優雅で気品があって……そしてセオドア様と並び立つ姿はとてもお似合いだった。


 それを見て思った。

 もしかしてふたりは――恋人同士、だったりするのだろうか。


(やだ、私ったら。これじゃ完全にお邪魔虫だわ……)


 ここに来たのを後悔しかけていると、なぜかエウロパ様の方もどこか呆然としたように――私のことをじっと見つめている。


 私は気がついた。エウロパ様からは、密度の高い魔力の気配が感じ取れることに。

 そして、エウロパ様も私のそれに気づいたようだった。


「イヴリン様……イヴリン様は、どうしてマニラス家の屋敷に?」

「イヴリン様は、俺の怪我を治してくださった命の恩人なんだよ」


 長い睫毛に縁取られた瞳を、エウロパ様が見開く。


「怪我って……瘴気にやられたのでしょう? わたくし、心配していましたのよ」

「ああ、出来ればエウロパに治してもらえたらとも思っていたんだけど。でも瘴気に呑まれた腕ごと、イヴリン様は治してくださったんだ」


 顔を綻ばせて説明するセオドア様。

 でもそれを聞いているうちに、私の気分は少しずつ落ち込んでいく。


(私が居なくても……エウロパ様が居たんだわ)


 というかセオドア様としては、私のように見ず知らずの相手ではなく、親しいエウロパ様に治してもらう方がよっぽど安心だったんじゃなかろうか。

 そう思うと、この場に留まる気力はとても無く――私はへらりと笑って頭を下げた。


「ごめんなさい、おばさんはこれで失礼しますね。あとは若い人達にお任せして……」


 しかしそのときだった。

 私の腕を、誰かが掴む。しかもその感触は覚えのあるものだった。


 恐る恐ると振り返ると――必死な顔をしたセオドア様と目が合い、どきりと心臓がひとつ跳ねる。


 ……そして次第にもっとドキドキしてきた。

 だってセオドア様の腕力は異常なのだ。また『大きなウオ』ばりに抜けなくなったら、再び屋敷中の人を呼んで手伝ってもらわないといけない。


「手を離してください、セオドア様」

「嫌です。……あなたが、何か誤解をされているような気がして」

「誤解?」


 ええ、とセオドア様が頷く。


「僕たちのことを、恋人か何かだと思っているのでは?」

「…………っ!?」


 私は耳を疑った。


(ポンコツ探偵の推理が当たってる……!?)


 今日のセオドア様の鋭さは異常だった。本来の彼の推理力ではあり得ないことだ。

 まさか偽者なのではと疑った直後、私の表情からすべてを悟ったらしいセオドア様が言う。


「エウロパは僕のいとこです。母女神に誓い、僕が想っている女性はたったひとり――」


 何かを言いかけているセオドア様が突き飛ばされた。


「うわー!」


 屋敷の横を流れる小川に落下するセオドア様には見向きもせず、私の目の前にやって来たエウロパ様。

 何が起こったのか分からず唖然とする私に、彼女は妙にどもりながら話しかけてきた。


「あの、か、勘違いだったらすみません。あの、あのあの、あなたは……もしかして聖女イヴリン様ではありませんか!?」


(えっ!?)


「やっぱりー!」と歓声を上げたエウロパ様が、キラキラキラキラと目を輝かせながら私の顔を覗き込む。


「握手してもらっていいですかぁ!」とものすごい勢いで差し出された手に、私は反射的に触れた。

 するとビクゥッ! と肩を震わせ、そのままエウロパ様は動きを止めてしまう。


 ……恐る恐ると見れば、エウロパ様の顔は紅潮しており異様に息も荒かった。


「はぁ……はぁっ、はぁ、はは……おててちっちゃ……すべすべ……良い匂いする……くんかくんか」

「え、エウロパ様?」

「――うはっ! い、いえ、申し訳ございません! 汚い手でいつまでも触れたりして! もう一生洗いません!」


 相反することを叫びながらエウロパ様が、もじもじしつつ言う。


「わ、わたくし、赤子だった頃からイヴリン様にす――すごく憧れてましてぇっ……!」

「そ、そうなの? ありが」

「ありがとうだなんてっ! うふふえっへへ、実はイヴリン様が好きすぎてラブすぎて、地元ではイヴリン様親衛隊も結成してますの! 毎日大神殿の方角に向かって会員たちと祈りを捧げて、今日もイヴリン様が健やかであるようにと願ってて、ってめっちゃ早口ですみません! ひとりで騒いじゃって気持ち悪いですわよねっ!?」


「いえ、そんなこと――」

「ていうか声もお姿も何もかも可愛すぎるのではっ! 地上に降臨した大天使様ですか? そうあなたこそ地上にたむろする汚らわしい人間たちの中になんて居てはならない輝かしい方っ! 叶うことならば天上の世界に送り届けてさしあげたい、それなのにわたくしはあなたが目の前に居る奇跡を逃したくないなどと罪深いことを願ってしまいますのっ! あーんもう好きすぎて頭おかしくなるぅうっ!」


(怖い!!)


 私は思わず後ろに下がった。

 カイン君が「ちょっと怖い」と言っていたのはこのことだろうか。それにしても、ちょっとどころじゃない。すごく怖い。


(さっきまで深窓のご令嬢という感じだったのに、今は涙と涎がすごい勢いで出かかってます!)


「やめろエウロパ! イヴリン様が怯えているだろう!」

「セオドア様!」


 尋常でない恐怖心にやられた私は、小川から上がってきたセオドア様に思わず駆け寄る。

 するとずぶ濡れのセオドア様が妙に嬉しそうに顔を輝かせたので、エウロパ様の表情が鬼のように豹変した。


「セオドア様! わたくしとイヴリン様の逢瀬を邪魔するなんて、いとこでも許せませんわ!」

「正気に戻れエウロパ! さっ、イヴリン様は危険ですので僕の傍に」


 と言いつつ私を抱き寄せるセオドア様に、エウロパ様が憎悪の目を向ける。


「イヴリン様おどきになって! そいつ殺せないですわっ!」


(ひいいいっ!)


「……何やってんの?」


 混沌とする空気を切り裂くように、冷静な声が響いた。


 私とセオドア様の帰りが遅いので、心配で様子を見に来てくれたのだろう。

 カイン君とキラが、扉の隙間からちょこんと顔を覗かせている。


 その瞬間、空気が冷え込んだような感覚があった。


「……ねぇイヴリン様。どうして」


 急に声のトーンを低くしたエウロパ様に、私は呼気を止める。



「どうしてあんな危険な生き物が、ここに居るのですか?」



 彼女の目線の先には……愕然と目を見開いた、キラの姿があった。


「…………っ」


 それからのことは一瞬だった。

 キラは扉を開けると――私やカイン君の声も無視して、そのまま一目散に走り去ってしまったのだ。



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