第20話.第三王子の胃痛

 


 その日、大神殿の空気は地獄と化していた。


 いつになく暗く澱んだ目をした神官長と、彼の周囲を固め、ブツブツと何やら呟き続けている大量の神官たち。

 そして彼らの目線の先には、柱に縄で括りつけられたメアリの姿があり――その目の前には、アレックスが彼女を庇うように立ちはだかっている。


 にらみ合う両者のことを、どうすることもできずイグナとオズは傍で見つめていた。

 その一触即発の空気を、最初に裂いたのは――神官長だった。


「メアリ・サフカを処刑する」


 それまでギャーギャーと喚いていたメアリの口の動きが、ピタッと停止する。

 アレックスは大慌てで神官長の前に立った。しかしその足は傍目からでも分かるほど恐怖に震えている。


「ちょ、ちょっと待ってくれ……!」

「そうは言うがアホックソ、これは決定事項じゃ。偽の聖女を名乗った以上、あの女は裁かねばならぬ」


 それは神官長の言うとおりだった。

 聖女を騙るなど立派な大罪だ。しかもメアリは、わざわざ実家の使用人に神官の振りまでさせて引き連れ、王都の広場で聖女の演技をしていたのだという。言い逃れは出来ないレベルの極悪犯罪だ。


 その現場を騎士の振りをしてイヴリン探しをしていたイグナとアレックスも見かけてしまい、アレックスに至ってはショックが大きすぎたのかしばらくは言葉を失っていたほどだ。

 今も凍りつくアレックスに、ビービーと恥ずかしげもなくメアリが泣きついている。


「えーん! アレックス様ぁ!」

「えーんではない。十八にもなって泣きわめくな小娘」


 ぴしゃりと吐き捨てる神官長。

 メアリは涙を落としつつ、びくっと身体を震わせた。


「び、びえー……」

「び、びえーではない。今すぐ死に晒せ小娘。地獄でイヴリン様に泣いて許しを乞うがいい」


 冷酷無慈悲な神官長を前にメアリが震える。大柱ごと、ブルブルと。


「な、なんだ。急に地震が……!?」


 床が揺れ動くほどの震えに神官たちがどよめいた。

 さすがに騎士たちから十分近く逃げ回っていただけはある、とオズは息を呑む。魔力には恵まれなかったようだが、メアリは結構な怪力娘のようだ。


 しかしこのまま放っておくわけにもいかず――オズはそんなメアリと神官長の間に立った。


「神官長、今はこんなことをしている場合ではありません!」


 すると途端に揺れが収まり、メアリは喜色満面になった。


「イカれたおじいさんから身を挺して庇ってくれるなんて……! あ、分かった。あなた、さてはあたしのことが好きなのね!?」


(ぐッ……!)


 あまりの屈辱にオズは怒鳴りたくなったが、どうにか唇を噛み締めて耐える。


「そうなのかオズ!? オレにはそんなこと一言も……!」

「あら、アレックス様ったら嫉妬ですか? ふたりの王子に奪い合われるなんて、あたしって罪な女ね!」


 ブチ! ブチ! と、およそ人の唇から聞こえないだろう音が何度か響いた。

 そのたび、オズの薄い唇からダラダラと血が滴った。人を殺しそうなほどの目つきをしたオズに、さすがの神官長もたじろぐ。


 オズは流血しながら、よく通る声で言い放った。


「この女の処刑はいつでも出来ます! ですがイヴリン様は今も寒空の下、ひとりで泣いているかもしれませんよ!?」

「…………ッッ!」

「あのお可愛らしいイヴリン様が、幼げでちっちゃくて可憐で愛くるしいイヴリン様が、今も『おじいちゃま……早く迎えに来て』と呟いて涙を拭っているかもしれないんですよ!?」

「う……うおおオオオッッ!」


 その姿を想像したのだろうか。

 じわじわと、神官長の瞳に涙が盛り上がっていく。周りの神官たちも雄叫びのような声を上げながら男泣きを始めてしまった。


 やがて、泣き声も少しずつ静かになっていって。

 オズの説得に我に返ってくれたのか、先ほどより幾分か落ち着いた様子で神官長が訊いてきた。


「ちなみにイヴリン様が無事に見つかった後は、この女とバカ親共は血祭りに上げて良いということじゃの?」

「もちろん構いません。むしろそうしてほしい」

「オッケーじゃ」

「ちょっと! どういうことなの!?」


 ようやくオズの真意に気がついたらしいメアリが喚くが、オズはそれを無視して彼女の傍らに立つアレックスに微笑んだ。


「アホックソ、あなたはすごい人だ……よくぞこの女と数年間仲良くやってこられましたね。忍耐強さは世界一ではないでしょうか」

「そ、そうか? お前に褒められると照れるな」

「褒めてない。さようなら」


 オズはアレックスに背を向けた。これ以上こいつらと会話をしていると温厚なオズでも何をしてしまうか分からない。


 というかどちらにせよ――イヴリンが神官たちの語るような人柄の人物であれば、恐らく彼女は自分の家族たちを守ろうとするのだろう。

 そして面識のないオズさえも、何故かイヴリンはそうするのだろうという確信を抱いていた。


「オズ殿下! ご報告が!」


 そこに回廊を大急ぎで、オズの近衛騎士のひとりがやって来た。

 騎士の大神殿への立ち入りは本来なら許されないが、現在は緊急時のため特別に許可を得ているのだ。


「隣国カッタールの使者が、イヴリン様への謁見を求め王宮に来ております……!」

「なっ……?」


 その言葉の意味を深く考える前に、騎士の言葉が続く。


「カッタールだけではありません! ドミニム、リンマ、オーラクナ、さらには遠く離れたタリニャンからも使者が訪れておりまして」

「っああもう、こんなときに……!」


 オズは思わず舌打ちをした。

 イヴリンを探すのが急務だというのに、次から次へと問題が発生する。


 しかも横で自らの護衛騎士から何か耳打ちされていたイグナが、若干申し訳なさそうな顔でオズに話しかけてきた。


「すまないオズ。俺はしばらく王都を空ける。使者の相手はお前に任せたい」

「どうしたんですか急に」

「エウロパがこちらに来るらしい」

「……エウロパ様が?」

「いつも通り、護衛を伴ってセムの街を通過する予定らしいから迎えに行きたい」


 エウロパはイグナの婚約者である公爵家令嬢だ。


 セムを治めるマニラス伯爵家は、エウロパの生家であるカテ公爵家と古くから親交がある。

 マニラス伯爵の姉がカテ公爵夫人なのもあり、両家は非常に仲が良いのだ。だからエウロパは、いつも王都に来る際には必ずセムの街で一泊しているとイグナから聞いたことがある。


 しかし王都ラスタから隣町のセムまでは、馬車で小一時間の距離だ。

 わざわざ王子が迎えに行くほどのことでは無いのだが――それに口出しするほどオズも野暮ではない。


(朴念仁のイグナ兄さんが、唯一キチンと興味を示しているのがエウロパ様ですからね……)


 それはそれとして。



(僕、もうすぐストレスで死ぬのかな……)



 オズの胃にはそろそろ大きな穴が開きそうだった。



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