第16話.お願いは取り下げます

 


 マニラス家のお屋敷から離れると。

 次第に風景には畑が溢れるようになっていった。


「わぁ……」


 私は思わず感嘆の吐息を漏らす。


(キャベツにほうれん草に、あっちはイチゴ? あ、あちらの方はタマネギを収穫してる)


「王都に出荷される野菜の約四割は、このセムの街で採れたものなんです」


 目を輝かせ見守っていると、どこか誇らしげな口調で後ろのセオドア様が説明してくれる。


「王都で開かれるパーティーに行くと、他の貴族からは野菜しかない街だなどと馬鹿にされることもありますが……」

「その人、罰当たりですね」


 私が思わず憤慨すると、セオドア様は目を見開く。


「それがどれほど有り難く素晴らしいことなのか、理解してもいないなんて」


(だって聖女は確かに、特別な力を持っているけど)


 聖女と呼ばれる人間だって、日々の食事がなければ三日と経たず飢え死にするだろう。

 人を生かすのは肉であり魚であり、野菜だ。瘴気は人を病にするが、飢えだって同じだ。

 丹精込めて野菜を作り上げてくれる人々が居るからこそ、私たちはこうして毎日元気に過ごせている。


「……ありがとう、ございます」

「え?」

「この街をそんな風に褒めていただけるのは、僕にとってすごく嬉しいことです」


 私は後ろを振り向きかけて――やめた。

 たぶん今、セオドア様は蕩けるほどの笑顔を浮かべている気がするから。


(間近で見てしまったら、たぶんまた顔が赤くなっちゃう……!)


「……そういえばカインが言っていましたが、イヴリン様は王都の路地」

「裏に住んでいたわけではなく、王都の宿屋に泊まっていました」


 これ以上誤解を広げるわけにはいかないと食い気味に言い放つと、どこかセオドア様は安心したように息を吐いていた。


「それなら良かった。王都は治安は良いですが、あなたのように若くお美しい方が屋根のない場所で寝泊まりするというのは危険ですから」

「若いだなんて。私は嫁き遅れの女ですから……」


 ぼそっと、後半は聞こえない程度の小さい声で呟く。

 彼は気遣ってくれているだけなのだから、こんな愚痴のような言葉を聞かれるわけにはいかない。


 そのまましばらくは無言で、カッポカッポと私たちは道を進む。

 朝から農作業に励んでいる人々は、近づいてくる蹄の音に顔を上げ――セオドア様に気がつくと。


「坊ちゃん!!」


 叫びながら、手にした農具を地面に横たえてこちらに駆け寄ってくる。

 すごい迫力だったが、彼らの顔には領主の息子であるセオドア様への心配と安堵だけがあった。


「怪我は本当に良くなったんですね!」

「良かった……! 良かったです!」

「心配を掛けてすまなかった。この通り、もう平気だ」


 馬の歩みを停止させ、そう微笑みかけるセオドア様。

 そんな彼を笑顔で見上げていた彼らだったが、ふと私に気がついて。


「坊ちゃん、こちらの別嬪なお嬢さんは!?」

「まさか坊ちゃんの良い人では!」

「恋人かぁ! ジャクソン様も安心されることでしょう!」

「これでますますマニラス家も安泰ですね!」

「待て、いろいろ誤解だ。それにこの方の前で坊ちゃんはやめてくれ……!」


 少しセオドア様の顔は赤くなっている。

 それからゴホン、と咳払いを落とすと。


「俺が治ったのはこの方の――イヴリン様の治癒魔法のおかげなんだ。俺にとっての恩人だから、丁重に扱うように」


(あ……"俺"って言ってる)


 それに、ふたりで話すときよりも口調が砕けている気がする。

 ジャクソン様もセオドア様も、領民に心から慕われているのだろう。彼らの表情や声からは、伯爵家への親愛の情が伝わってくるようだ。


 でも、何だかその距離感が――羨ましくもあって。

 私は馬上で振り返ると、必死の弁解を続けるセオドア様の服の袖をやんわりと引っ張った。


「セオドア様」

「あ……! すみませんイヴリン様、勝手に紹介してしまって」

「いえ、それは構いませんがひとつお願いがあって」

「お願い、ですか?」


 セオドア様を見上げ、私は小首を傾げて微笑む。



「私も皆さんと同じように、セオドア様に――そんな風に気軽に話しかけてほしいな、と」



(だってその方が、友人っぽいものね!)


 そう思ってのお願いだったのだが、なぜかセオドア様は呆けたような顔で硬直していた。

 不思議に思って見下ろせば、私達を囲んでいたおじさんたちも、何故かぽーっと頬を赤くしていて。


「……セオドア様?」

「……っ」


 たちまち、セオドア様の頬が逆上せたように真っ赤になる。


「っイヴリン様!」

「は、はいっ?」


 唐突に両肩を掴まれ、私は驚いて裏返った返事を返す。

 セオドア様は何度も口を開き、何度も閉じて……その末に、困ったように眉を下げてしまった。


「あなたは……無自覚すぎます」


(無自覚?……どういう意味? って、そうか!)


 少し考え、その意味に気がついた私はハッと顔を強張らせた。


「そうですよね! 仰る通りでした」

「分かってくださったなら、何よりで――」

「これ以上親しくしたいだなんて、不届きなお願いでした!」

「……えっ!」

「私とセオドア様は友人同士ですが、皆さんのように付き合いが長いわけでもなく、出会って日も浅いし……それなのに過ぎたお願いでしたね。お許しください」

「あ、い、いえ。何かいろいろ違――」


 何やらゴニョゴニョと呟くセオドア様。

 しかし、彼の言いたいことはもう全て理解できた。

 私はそんなセオドア様に力強く頷いてみせる。


 そんな一幕を見守っていたおじさんのひとりが、ゴクリと唾を呑み込む。


「こりゃ坊ちゃん、一筋縄じゃいかねぇ大物を選んじまったようだな……」


 え? 大物って――



(……また釣りの話!?)



 ワクワクする私の視界の隅で、セオドア様が小さく呻きながら顔を覆っていた――。



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