第11話.穴が空いてしまいます

 


 セオドア・マニラス。

 二十三歳の若き美青年である彼の名はそう言った。


 私はそれを、彼の手をどうにか振りほどこうと四苦八苦する最中、彼の父親から聞いた。


「私が腰痛を患ってしまいましてね……この度、隠居することになりまして」


 とは言っても、領地運営に関しては基本的にはお父様のジャクソン様が行っているそうで。

 セオドア様は主に自警団のリーダーとして動くのと、パーティーへの参加などの役割を担っているそうだ。

 つまり実際は伯爵位を継いだというより、次期伯爵として公式に名乗り、顔を売っている段階なのだそう。


「そ、その腰痛も良かったら私が、あとで治しましょうか……っ!」

「本当ですか!? それは、願っても無いことですが……」

「おま、おまま、お任せくださいっ……!」


 そしてなぜ私がぜえぜえ息切れしているのかと言うと、先ほどから必死にセオドア様の手を振りほどこうと力を込めているからだ。


 最初は自分ひとりでどうにかしようとした。しかし眠るセオドア様の力は尋常でなく強かった。

 見かねたキラが躊躇いつつ私の腰を引っ張ってくれたが、それでも駄目で。

「にいさんがごめんなさい!」と謝りつつ、カイン君も手伝ってくれたがやっぱり駄目で。


 結果的に現在、私の腰にはキラが、キラの腰にはカイン君が、そしてカイン君の腰には伯爵夫人が手を回し、伯爵夫人の腰にメイド長、メイド長の腰にメイド、メイド、メイド、メイド、そして気がつけば屋敷の使用人たち総出となり……息も絶え絶えに、私の両手を引っ張り続けている。



「うんとこしょ、どっこいしょ!」



 全員で声と力を合わせ、私たちは必死の戦いを続けている。

 前に絵本で読んだ北国の童話に、こんなお話があったような……とか現実逃避したことを考え出していたとき、どうにかセオドア様の手からは解放されたのだが――その頃には、全員が満身創痍の状態だった。





「……昨日は本当に、申し訳ございませんでした!」


 ――という一幕について、自身の両親からガミガミと叱られたらしく。


 ベッドの中から深く頭を下げ、項垂れる美青年……セオドア様に、私は「いえいえ!」と勢いよく首を横に振った。


 昨夜は夜も遅く、私とキラは伯爵家の屋敷の隣に構えられた、立派な客館に泊まらせてもらった。

 部屋は広くベッドは羽毛でふかふか、メイドや使用人たちはとても親切で優しく、そして何よりごはんが美味しかった。一言で言えば最高だった。


 着ていた聖女用の簡易法衣はお洗濯中だからと奪われてしまった私は、はしゃぐメイドたちによって着替えさせられ、今や貴族令嬢のような可愛らしいリボンとレースだらけのドレスを着せられてしまっている。


(一応、私ももともと貴族令嬢だったんだけど……まぁでも、家からも勘当された身だし)


 未婚の二十八歳にとっては罰ゲームのような格好だと思うが、彼女たちも良かれと思っている様子なのでとてもじゃないが文句は言えなかった……。


 キラは今朝から「伯爵と大事な話があるから」と言っていて、現在は一階の客間に居るようだ。

 そして私はこうして、二階の角部屋でセオドア様と向き合っている。というのも、彼が私を呼んでいるとメイドに教えられたからだ。


 今朝目覚めたセオドア様はすっかり回復し、腕も自由に動かせるようになっていた。

 本人は起き上がりたそうにしていたのだが、とりあえず一日は安静にしてほしかった。それで話し相手くらいにならなれるかと、私は彼の元を訪ねたのだ。


 落ち込む様子のセオドア様を励ますため、私は両手を合わせてにこりと微笑む。


「北国の童話『大きなウオ』では、相手は沼のヌシ……つまり大魚だったのですが、それを力を合わせ釣り上げる釣り人たちの姿には私も感動したものです。昨日は彼らの気持ちを味わえたようで貴重な体験でした」

「そうですね……僕は恩人である女性に向かって、理性の無い大魚のような振る舞いを……」

「私、一度でいいから釣りをしてみたかったので、むしろお礼を述べるべきというか」

「嫌がるあなたの手を無理やり取って安眠するなどと、もはや大魚にも劣る下劣な行動を……」

「すみません! 私のフォローが下手でした!」


 ますます苦しげな表情になるセオドア様。

 お互い申し訳なさでぺこぺこぺこ、と頭を下げ続けていたのだが……ふと気配を感じて顔を上げてみると、いつのまにやらセオドア様はそんな私のことを見ていた。


 キラキラと煌めくような瞳に、じーっと食い入るように見つめられて。

 何だか非常に、落ち着かない気持ちになってくる。


「セオドア様……その、そんなに見つめられると穴が空きます……」


 おずおずと私が指摘すると、セオドア様はハッとしたように口元に手を当て……。



「……申し訳ありません。あまりの美しさに、見惚れてしまいました」



 本当に面目無さそうに、シーツの上でわざわざ身体の向きまで変えてくれたのだけど。


 ――金髪の合間に見える耳まで、ほのかに赤くなっていたりして。


(ひえーっ!)


 私の目は潰れそうになった。

 まだ知り合ったばかりだが私にも分かる。この伯爵、とにかく純すぎるのだ。


(『危機を救ってくれた女ってのは、誰の目にも天使のように見えたりするだろ?』だったかしら……キラの言う通りね……)


 たぶん彼の目には、私はそれこそ天使か女神のようにも見えているに違いない。

 正気に戻ったときにガッカリされそうで怖いけど……。


「と、とにかくセオドア様がお元気になって良かったです! それでは私はこれで失礼しますね!」


 そそくさと退散しようとしたところ、


「……父に聞いています。この付近一帯に現れ始めていた瘴気が、昨夜急激に鎮まったのだと」


 そんな言葉に、思わず振り返る。

 セオドア様は、また私のことを見つめている。

 しかし先ほどとは少し違う……私のことを見極めようとするような双眸に、呑まれそうになる。


「――より正確に言うなら、あなたが素晴らしい治癒魔法を使うと同時に、跡形も無く霧散したのだと」


 ギクッ……と私は肩を強張らせる。

 昨日の『キュア』で、私はセオドア様の身体を覆う瘴気を浄化した。


 でもどうやら力みすぎたのか、結果的には――この街に蔓延る瘴気を一気に払ってしまったらしく。


(それ自体はまったく問題ない――問題ないけど!)


「そしてあなたのお名前は、イヴリン様……ですよね?」

「わ、私はそのぅ……先日名乗ったとおり、通りすがりの天使のイヴリンでして」


 もはや彼は明らかに気がついているのだ。私の正体に。

 しどろもどろになる私の腕を、優しくセオドア様が絡め取る。


「!!!」

「許可も無く触れてすみません。でもイヴリン様には、天使なのに実体があるでしょう?」

「てっ……天界では、実体のある天使が流行っているのです」


(我ながら苦しすぎる言い訳!)


 そして彼はベッドから起き上がると。

 流れるような仕草で私の手をそのまま引き寄せ……ちゅっと、手のひらに口づけを落とした。


「…………っ!」


 彼に触れられたところからじんわりと熱が広がるように。

 体温がどんどん上がっている気がする。というか、ぱくぱくと開いた口から湯気まで出たかもしれない。


 そんな私に気づいているのかいないのか。

 セオドア様は戸惑うばかりの私のことを目を細めて見つめる。


「では美しい天使様。あなたに魅了されたこの哀れな人間の男と、婚姻を結んではくださりませんか……?」

「あ、あれは、冗談だったのでは」

「冗談なんかではありません。俺は不器用ですし、冗談は得意ではないので」


 真摯な眼差しととても向き合ってはいられず、慌てて目線を逸らしながら。


(た、助けてキラ~ッ!!)


 泣きそうになりつつ私は心の中でその名を叫んだ。


 その頃、頼りになる少年が伯爵相手に金銭交渉に臨んでいたことなど、私は知る由も無いのだった……。



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