第10話.聖女不在の大神殿にて
「死ねぇーッッッッッ!!」
「…………っっ!」
アレックスは心の底から怯えていた。
「お前、お前お前、よくもよくも!」
血走った目で吐き捨て、唾を飛ばしてくる腰の曲がった老人。
その身体を神官たちが抑え、宥めようとはするが……そうしながらも、彼らからもまた強すぎる怒気が漂っている。
それが明らかに自分に向けられていることにも、アレックスは気がついていた。
(何でコイツら、こんなに怒ってるんだ!?)
アレックスはこれ以上なく混乱していた。
何故ならアレックスとしては、彼らに吉報を伝えたつもりだったからだ。
――年増聖女イヴリンは力が弱まったから大神殿から追い出してやった。国からも出ろと言ったので、きっと今頃は隣国にでも渡っているだろう。
――しかしこれからのことなら何も心配はない。何故ならイヴリンの妹のメアリに、聖女としての素質があるからだ。
それなのに、どうしてこんな手酷い扱いを受けているのかさっぱり理解できない。
次第にふつふつと怒りが込み上げてきて、アレックスも仁王立ちして言い返す。
「し、死ねとは何だこの汚らしいジジィめ! オレはこの国の第一王子だ、誰よりも尊い身分なん――」
「死ねーッッ!!」
「ひいい!!」
本気でアレックスは壁際まで飛び退った。それほどまでに神官長の迫力が凄まじかったのである。
老人の唾で顔をべちゃべちゃに濡らしたアレックスが小刻みに震えていると、同じく大神殿へと集めた弟たち――第二王子のイグナと、第三王子のオズも、揃って溜め息を吐いていた。
甘やかな美貌を持つオズが、呆れたように言う。
「……アレックス兄さん。さすがにこれは僕らも庇えませんよ」
頷いた仏頂面の美形、イグナも付け足した。
「ああ。むしろここで神官長に殺された方が幸せかもしれない」
「お前らまで何を言ってるんだ!?」
喚くアレックスに、オズは肩を竦めた。
それからさらりと言う。
「だって国王陛下より重要な方を、兄さんは追放したんでしょう?」
「……え?」
「王にはいくらでも替えが利きます。しかし聖女はそうは行きません。スナジル聖国は、聖女あって成り立つものなんですよ」
「…………」
黙り込んでしまったアレックスを責め立てるように、オズは険しい顔で続けた。
「一応訊きますが――地下から噴き出る瘴気を抑えるのは誰です? 毎日のように祈り続けて人々を守っているのは?」
「……それは」
「国民の誰ひとりとして兄さんの顔なんか覚えちゃいませんが、みんな聖女イヴリン様を讃えて敬っている。あの方を嫌っているのなんて、この国では兄さんとイヴリン様のご家族くらいですよ」
愕然とするアレックス。
「それを兄さんは、メアリだとか言う女性にころっと落ちて、彼女が望むままに聖女の称号を与えることにして、真の聖女を勝手に追い出した――それも人払いした上で、独断で」
あはは、とオズは不気味に笑った。
「さぁ、聖女を失ったこの国はきっと瘴気に呑まれて滅びますよ。どうですか兄さん。色恋に狂って故国を滅ぼしたお気持ちは?」
「……それ以上はやめておけ、オズ」
(庇ってくれるんだな、イグナ……!)
感激するアレックスだったが、
「大罪人とあまり話さない方がいい」
と冷たく呟いただけの弟に、呆然とする。
「あの意地汚い虫けらども……イヴリン様の名を使いビッチ女の銅像なんぞ立ておって……殺す……鍋で煮てとびきり苦しめて殺す……」
そして神官たちに取り押さえられたまま、およそ神職に就いているとは思えない物騒な言葉を吐き続ける神官長。
自分の予想とは違いすぎる状況に、アレックスは信じられない思いでいっぱいだったが――それでもこのまま沈黙していられない性分だった。
「そ、そんなことを言うが、オレがイヴリンと婚約破棄したときだって誰も止めなかったじゃないか!」
会心の一撃だと思ったものの、オズはアレックスを憎々しげに見ると。
「止めなかったも何も、兄さんが自分が不義を働いた現場をイヴリン様に見せつけるなんてアホな真似をしでかしたんですよ。そんなヤツとの婚約、むしろ破棄させてあげるべきでしょう」
「き、傷物になったイヴリンを放置してたじゃないかっ!」
「僕たちだって、放置したくてしたわけじゃないですよ……」
頭が痛い、というようにこめかみを抑えるオズ。
「……あのですね、毎日女の子と遊び回ってるお花畑兄さんには分かってないかもしれませんが。第一王子である兄さんがイヴリン様との婚約を破棄した以上、他に彼女に求婚できる立場である人間は、僕かイグナ兄さんくらいしか居なかったんです」
「馬鹿にするな。オレだってそれくらいは分かる」
「では改めて聞きますけど。自分を手酷く捨てた婚約者の弟に唐突に求婚されたとして、それを受け入れる女性が居ます?」
……居ないかもしれない、とアレックスは思った。
「い、イヴリン様はなぁっ、とても泣き虫な女の子なんじゃああ!」
場が沈黙に包まれると、神官長がワッと泣き出した。
「お前みたいなゴミクズ男から受けた仕打ちがショックだったんじゃろう……しばらくは毎晩のようにシクシクと枕を濡らしておられた……ワシらはその押し殺した泣き声を聞きながら、全員が涙と鼻水を垂れ流しにしてあの方の心の安寧を祈っておったんじゃ!」
神官長のその言葉に、彼を取り押さえていた神官たちは思わず手を離し、周りに並んでいた神官たちまで一斉に瞳を潤ませる。
中には嗚咽を堪えきれず、男泣きする者まで居た。あまりにむさ苦しい光景にアレックスは息が止まりそうになる。
……そして同時に、許せなかった。
アレックスばかりを責め立てるが、彼らの態度にも問題はあったはずだ。
「し、神官たちだって全員あの女と距離を置いてただろッ?」
「ワシらはなぁっ、二十三年も前からあの方のことを見守っておるんじゃぞっ!?」
神官長が苦しげに身もだえする。もはや興奮しすぎてそのままポックリ逝きそうだ。
「あんなに可愛らしい女の子が、とてとてっと廊下を歩き、ワシに『おじいちゃ……』と話しかけてしまって恥ずかしそうに頬を赤らめたり、疲れてワシの袖を引っ張ったり、ワシに身体を預けてくぅくぅと愛らしい寝息を立てていた頃から、あの方のことをひたすら見てきたっ! もうワシらにとっては孫じゃ!」
「私にとっては娘です!」
「僕にとっては嫁です!」
「俺にとっては聖母です!」
「自分にとっては」
「ええい黙れ! イヴリン様はワシの初孫じゃ!」
同調した神官たちを容赦なく一喝して黙らせると、それから神官長は告げる。
「そしてワシらは血で血を洗う闘争の末に、結んだ……『聖女不可侵条約』を」
……ごくり、とアレックスも、そしてイグナやオズも唾を呑み込む。
「いったい、何なんだ。それは」
「読んで字の如くじゃ。イヴリン様に抜け駆けして話しかけたり、差し入れしたり、手紙を渡したりした人間を処罰する」
「は?」
「吊し上げにしてブチ殺すということじゃ」
アレックスはいよいよ脱力した。
つまり男所帯の大神殿では、イヴリンが大切すぎたあまり扱いに困って、距離を取っていたと……そういうことなのか。
何だそれはと思いながら、アレックスはフンと鼻を鳴らす。
「そもそもあの女、女の子って歳じゃないだろ。もう今年で二十八の嫁き遅れババ――アギュンッ」
そのとき、アレックスの脳天をとんでもない衝撃が襲った。
目にしていた世界が割れんばかりに軋み、それから……スゥ、と頭が冷たくなったかと思えば。
目の前には肩で息をする神官長が立っていて。
だらだらと、アレックスの両目の間を赤い何かが伝っていく。
(………………血?)
神官長の杖でブン殴られたのだと理解するには時間がかかった。
何故なら今までアレックスは誰かに殴られた経験が一度も無かったからだ。
「お、お前……! この国の第一王子の頭を殴ったな!?」
「なーにが王子じゃアレックソ! その出来の悪い頭、もっぺん殴ってやる!!」
「王子の名に糞をつけるなどと! 不敬罪だぞ!」
「何度でも言ってやるわい! アレックソ! クソカス王子!」
怒るアレックスだったが周りは弟たちも含め噴き出していた。
プライドだけはどんな山の頂よりも高いアレックスは怒りのあまり拳を握る。
その間も血液が神殿の床にぽとぽとと降り注いでいく。
そのときだった。
「あーん! アレックス様ぁ……!」
「メアリ!?」
「ひどいの、この人たちがぁ!」
廊下から、メアリが泣きべそを掻きながら近づいてくる。
その周囲には神官たちの姿があった。アレックスは彼らを思いきり怒鳴りつけた。
「お前ら、いったいメアリに何をした!」
「何をしたって……聖女(笑)としてパチモンの祈りの儀に臨んでもらったんですが、話にならないのでお帰りいただこうかと……」
「笑とかパチモンとか何の話だ! メアリは本物の聖女だぞ!」
アレックスは割れた額を抑えながらぐすぐす言っているメアリに近づく。
「そ、それでメアリ、オレの傷を治してくれないか!」
「……は?」
「いま、神官長に杖でブン殴られたんだ! ほら出血までしてる! ひどい傷なんだ!」
すぐに魔法の力でどうにかしてくれると思われたメアリだったが。
「いえ。あたし、そこまでの傷はちょっと……あ! 指のささくれなら治せますけど」
そんな風に首を傾げられ――アレックスは唖然とした。
「……メアリ、ものすごい高度な治癒魔法が使えるとか言ってなかったか?」
「指のささくれが治せるのってすごく無いですか? ささくれって、放置してると地味に痛いし」
「……この女を家に帰してくれ」
承知しましたと神官たちが頷く。
「ちょ、ちょっとアレックス様ぁ!?」
まだメアリは何か叫んでいたが――今や彼女に構っている場合ではない。
このままでは自分の立場はまずい。それだけはアレックスにも理解できていた。
「一応訊きますがアレックソ、どうします?」
呼ばれ方に違和感があったが、アレックスはオズに大人しく聞き返した。
「……何がだ?」
「いえ、素直にイヴリン様を大神殿から追い出したと発表して、国民にクーデターを起こされて拷問の末に処刑されたりとか、そういう覚悟はあるのかなって」
「……オレはどうすればいいと思う?」
「死ぬのが手っ取り早いですね」
「そうか。死ぬのが……いや、他に何か手はないか。頼む教えてくれ」
頭を下げると、オズは思い切り溜め息を吐いて。
「そういう素直で馬鹿なところは嫌いじゃないんですけどね……」
それからオズは投げやりに言う。
「とにかく、公にするわけにはいかないので神官たちに頼んでイヴリン様を探して……彼女に謝り尽くすこと。そしてどうにか大神殿に戻っていただく――これしか無いのでは?」
しかし少しだけ冷静になったアレックスには、それはひどく困難なことに思えた。
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