第8話.とても大きなお魚らしく

 


 キラと路地裏作戦を始めて十日目。


 今や路地裏から忍び出ていかなくても、初等学校の生徒の方から私を探しに来てくれるくらいになり……そのおかげで、だいぶ順調にお金も貯まってきた。

 キラの分と合わせて、合計で1800リーンは貯金がある。


 ちなみに私は子供達から「路地裏の天使」と呼ばれているらしい。

 実際に何度か呼ばれたりもしている。最初は恥ずかしかったけど、もはや慣れである。

「天使様~!」って呼ばれて「はーい!」って返事をしたときは、キラが噴き出してたけど……。


(今度から夕食に、デザートのプリンもつけようってキラに提案してみようかしら……)


 そんな感じで、大銅貨の山を見ながら私はだいぶウハウハしていたのだが。

 ――そんなときに事件が起こった。


「あの、天使のおねえさん……」


 そろそろ店じまいをしようとしたとき。

 恐る恐ると訪ねてきた少年は見覚えのある顔で。


「あら、カイン君?」


 くるくるした金髪に青い瞳。

 それこそ本物の天使のように愛らしい少年が弱々しい表情で私を見つめている。


 昨日、指のささくれを治癒してあげた子だ。

 もしかしてまた怪我をしてしまったのか。でも、昨日とは少し様子が違う気がする。


「どうしたの?」と私が近づくと、カイン君は眉を下げる。


「天使のおねえさん……あの、ボクのにいさんが……」

「カイン君のお兄さん?」

「…………大けがをしちゃったんです」


 泣きそうな顔でそういう彼に。



「お兄さんのところに連れていってくれる?」



 一秒の迷いもなく私が言うと、カイン君は驚いたように口を開けていた。


「……いいんですか?」

「もちろん。怪我人がいるんだもの、当然よ」

「だって、天使のおねえさんは路地裏に住んでるのに」

「私はいつも路地裏から出てくるだけで、路地裏に住んでいるわけじゃないのよ。宿屋に泊まっているのよ」


 必死に説明すると、「そうだったんですね……」と息を吐くカイン君。

 もしかして初等学校の生徒のみんな、同じ勘違いをしているんだろうか。


 私が密かに悲しくなっていると、後ろで話を聞いていたキラが帳簿をパタンと閉める。


「ようやく網にかかったな、大物だ」

「魚の話ね!?」

「……まぁそれでいい。行こう」


 大通りに馬車を待たせているというカイン君に、私とキラはついていったのだった。




 ◇◇◇




「ボクの家は、王都の隣町のセムにあるんです。三十分くらいで着くと思うので」


 そう説明してくれたカイン君の真向かいに、私とキラは座っていた。


(馬車に乗るの、久々だわ)


 大神殿での暮らしでは、無論、馬車に乗る機会なんて一度も無かった。


「すごいわ。最近の馬車はお尻が痛くならないのね……!」


 しかも景色が流れるスピードも、ついこの間……と言っても二十三年前だが、私が乗った馬車よりずっと速い気がする。

 感激していると、窓枠に頬杖をついていたキラがこちらを見ずに言う。


「それはこの坊主の家の馬車が上等なだけ。車輪の音も小さいし、席のクッションも柔らかいし」


(坊主!?)


 独特すぎる言い回しに衝撃を受けていると、キラは横目にカイン君を見つめた。

 まるで値踏みするような鋭い目線に、カイン君の肩がびくっと震える。


「そもそもお前、普段はこの高そうな馬車に乗って登下校してるだろ」

「っ、それは……」

「昨日あの道をお前が通ったのは、天使の噂を聞いたからだな?」


 躊躇いがちにカイン君が頷く。私は首を傾げた。


「キラ、どうしてそんなことが分かるの?」

「容姿と服装からしてまさに高位貴族の坊主、って感じだから」


 淡々と教えてくれるキラ。


 確かにカイン君の格好は、他の子どもたちとは大きく違う。

 服は絹地だし、至る所に控えめながらレースが取り入れられている上品なお洋服だ。

 しかもそれを着慣れている様子だから、キラの言葉は間違いないのだと思う。


「つまりお前は、学校の近くの路地裏に現れた天使だかの――治癒魔法の実力を確かめたかったんだろ?」


 カイン君は恐々とした目でキラを見ながら、また頷いた。


「生徒の間ではすごく、話題になってて……それにこの人なら、にいさんの怪我も治せるんじゃないかって」

「そして天使はお眼鏡に適った、ってわけだ」


(そういうことだったのね……)


 実際に私が治したのはカイン君の指のささくれだったが、それでも彼の心には何か響くものがあったのだろう。

 私は静かな声音で尋ねる。


「それでカイン君。お兄さんの容態は……?」


 そう問うと、カイン君の表情には影が差した。


「……にいさんはおとうさんから、伯爵位を継いだばかりなんです」


 キラの目が光る。私が言うのも何だが、お金の気配に敏感である。


「おとうさんはもともと、領地に出る魔物を追い払う討伐隊を組んで、そのリーダーをしていました。にいさんもその役目を引き継いだんです」


(魔物!)


 私は息を呑む。


 地下から噴き出る有害な瘴気という気体――魔物というのは、その瘴気から生み出される怪物だ。

 瘴気を吸い込めば人は病気になるし、魔物は人を襲い、多くの国の人々を苦しめ続けている。


 私は聖女としてずっと、この瘴気を抑えて魔物を発生させないために祈り続けてきたのだ。

 そしてスナジル聖国は高位の聖女に恵まれたからこそ、今までそこまで瘴気や魔物の被害が出ずに済んできた。


「この二十年以上……魔物はほとんど領地にまで出てくることはなくて、イヴリンさまは本当にすごいお方だっておとうさんは毎日のように言ってました」


 カイン君の瞳の中で光が揺れる。


「だけど、数日前から様子がおかしくて。瘴気のモヤが、領地の近くにも出るようになったんです。にいさんは二日前に、そのモヤから出てきた魔物にボクを庇って、噛みつかれてしまって……治癒術士の人も呼んだけど、ぜんぜん、ダメで」


 それきりカイン君は泣きそうな顔で黙り込んでしまった。

 私はもう――衝撃のあまり、言葉もうまく出なかった。


(メアリは何をしているの……!)


 私を大神殿から追い出し聖女を継ぐと言ったのだ。

 行動には責任が伴う。聖女を語る以上、メアリは命がけでこの国の民を守る責任があるのだ。


 涙の粒を落としそうになっているカイン君の両肩に、私はそっと手を置く。

 見つめ合うと、それだけで私は辛くなった。あまり寝ていないのか、カイン君の顔には疲労が色濃く滲んでいる。


「大丈夫よ、カイン君。あなたのお兄さんは私が助けるから」

「っ本当、ですか?」

「ええ。カイン君の大好きなお兄さんだもの」


 励ますつもりだったが、カイン君の顔色は優れないままだ。

 私はこほんと咳払いをした。


「あのね、私にもすごく年の離れた妹が居るんだけど」

「……仲良しですか?」

「いえ、仲はすこぶる悪いわ」


 気の毒そうな顔をして黙るカイン君。


「仲は悪いけど、でも私はあの子のこと嫌いじゃないの。強かで、我が儘で、思いやりが無くて、顔はかわいいけど根から悪い子だし口も悪いし、人から婚約者を奪い取ってほくそ笑んでいるような子だけど……」

「ほ、本当に嫌いじゃないんですよね?」

「もちろんよ。顔は可愛らしい子なの」


「顔しか褒めてないぞ」とキラがぼやく。いえ、そんなことありません。


「それでね――何が言いたいかというと、つまりカイン君のお兄さんも、カイン君のことが大好きだと思うの」

「……!」

「カイン君が悲しそうにしていたら、きっとお兄さんも悲しくなっちゃうわ。だから笑顔になる必要なんてないけど……気をしっかり保って。ね?」

「は……はいっ」


 ゴシゴシと涙を袖で拭って、カイン君が大きく頷く。

 私も頷き返す。励ました以上――そして元聖女としても、私には責任がある。


(必ずカイン君のお兄さんを治さないと!)


 それからしばらく経って。

 少しは気が紛れたのだろうか。


「あの、そういえばそちらの男の子は……」


 ずっと訊きたかったのか、キラの方をちらちらと見やるカイン君。

 今までキラは、私が子供たちからお金を巻き上げる――もとい交流していたときにも、決して表に姿を出そうとはしなかったので、ふたりは初対面なのだ。


 私は「そうでした!」と改めてカイン君に紹介する。


「この子はキラよ。私の初めてのお友だち」

「……はっ?!」


 何だかキラが仰天しているが、私は気にせず紹介を続けた。


「ちょっと言葉遣いが乱暴だけどとても良い子だから、カイン君もぜひたくさんお話してみてね」

「え、えっと……頑張ります! よろしくキラ君!」

「…………」


 カイン君が気合いを入れてそう言い、キラが沈黙したところで馬車が停まる。

 どうやらカイン君のお家に到着したらしかった。



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