第5話.治させてもらいます

 


「……それで、さっき言ってたのは本当?」

「え?」


 私がひとりで落ち込んでいると、少年は何故か目をきょろきょろさせながら訊いてきた。


「さっきの、って」

「……1リーンで足を治すって、アンタが言った」


 それを聞いて――ぱぁっと私の表情は明るくなる。


「もちろん! 任せてほしいわ!」


(これはもはや、私の唯一の特技ですから!)


 いつも以上に気合いを入れる。

 そんな私を胡乱げに見つつも、壁際に背を預けて立った少年は……右足の服の裾を大きく折り返してみせた。


「!」


 私は目を見開く。


 ひどい傷だった。膝からふくらはぎに、刃物で抉られたような傷があったのだ。

 しかも衝撃的なのは、それが何度も繰り返されたように、浅い跡や深い跡が無造作に走っているということだった。


「これは……誰かに、やられたの?」

「違うよ」


 すぐ否定の言葉が返ってくる。

 これ以上、追及されたくないのだろう。そっぽを向いた少年に質問を繰り返すのは酷なように思え……私は唇を噛み締め、傷口へと視線を戻す。


 そっと傷のない肌に触れると、少年がぴくっと震えた。


(……体温が熱い。それに傷口が膿んでいる。たぶん、きれいな水も手に入りにくい環境で生きてきたんだわ)


 すでに傷を作ってからかなり時間が経っているだろう。

 これ以上、こんなに小さな子にひどい痛みを感じさせていたくはない。



「……『アナリシス』」



 両手をかざし、その一心で唱えると同時。

 少年の傷口から、どっと――赤黒い血液の球のようなものが飛び出した。


「!?」


(ああ、目を剥いてる。でもお願い、逃げ出さないでね!)


 私の祈りが届いたのか、それとも単に驚きすぎて動けないのか、少年は微動だにせず目の前の光景に釘付けになっている。

 そしていくつも空中に生み出された球は、私の両手の中に次々と吸い込まれていく。


 たぶん、一般的な治癒魔法とはだいぶやり方が違うのだと思う。

 というのも私の、解析と治癒の二段構成の治癒魔法は、大神殿の神官長に教わったものなのだ。


 治癒魔法というのは、素質ある者が力ある言葉を唱えれば発動するもの。

 だけどそれだけでは足りないのだと、年嵩の神官長は教えてくれた。



 解析の魔法によって、私自身にも――突き刺すような痛みが襲ってくる。


 実際に私の身体に、同じ傷が現れるわけじゃない。

 でも脳に、目の奥に、鼓膜に、指先を、切りつけるような壮絶な痛みに……歯を食い縛って、声を出さないように耐える。


 目蓋の裏には、この傷を負ったときの彼の記憶さえも浮き出てきた。

 これは『アナリシス』の副作用のようなものだ。強い痛みや苦しみの記憶は、身体にも精神にも色濃く刻まれてしまうから。


 そしてその苦しさの、何十分の一かを理解した上で……強く思うのだ。

 治したい、あなたに元気になってほしい、と強く強く。


「『ヒール』!」


 目を開き、私が唱えると。


 かざした両手の先から、黄金色のひかりが生まれる。

 それは無数のひかりの粒となって、少年の傷口に吸い込まれていく。


 これは元々、先ほど少年の中から飛び出してきた痛みの塊だ。

 私の感情と、彼の感情が重なり合って――暗かったはずの路地裏は、もはや溢れ出しそうなほど強い光に包まれている。




 ――そうして、すべてのひかりが収まると。



 ……少年は、呆気にとられたような顔をしていた。


「どう? 違和感なく動く?」


 右足を上下に振ってみせて、少年が目を見開く。


「…………うん。治っ……てる」


(成功だわ!)


 良かった、と胸をなで下ろすと同時に。

 少年はまだ茫然自失とした様子ながら、上着のポケットを探ってみせると。


「ありがとう!」


 無言のまま差し出された小さな一枚の大銅貨を、私は両手で大事に受け取った。


(やったー! お金、稼げちゃったわ!)


 大神殿から追い出されて数時間で金銭をゲットできるとは。

 たぶんこの子が居なかったらこの場で踊り出してたと思う。それくらい嬉しい。


 しかしはしゃぐ私と異なり、少年はずっと呆然としたままで。

 さすがに心配になってきて、「どうしたの?」と私が問うと少年は躊躇いがちに言った。


「このレベルの傷だと、治すのに……フツーはこの百倍は金が要るんだ」


(そうなの!?)


 また知らない情報が出てきた。

 どうしよう、私は彼の言うとおり本当に世間知らずなんだろうか? なんだか不安になってきた。


 頭を抱えていると、少年が金色の瞳を揺らしながら。


「要求、しないの? オレに」

「……えっ? 何を?」

「だから、お金」

「もうあなたからは、もらったじゃない」


 それなのに、何故か「何を言ってるんだコイツ」みたいな顔をされ私は戸惑った。


「100リーンって、ええと、つまり金貨一枚だから……1レーンってことよね? さすがにそんな大金を要求したら詐欺よ。自警団の方に捕まるわ」


 銅貨はラン、大銅貨はリーン、銀貨はルーン、金貨はレーンで大金貨はルラン。

 それぞれ十枚あれば、単位が上に移動していくので分かりやすい。……あれ、ちゃんと合ってる?


「だ、だから詐欺じゃないんだよ。みんな当たり前にそうしてるんだって」

「いいのよ、私は――世間知らずなんだから!」


(もうそういうことでいい!)


 フンッと鼻を鳴らして言ってやると。

 ――なぜか少年は噴き出した。


「そんなのっ……はは、自慢げに言うことかよ……!」

「……そんなに笑わなくてもいいじゃない」


 ゲラゲラとお腹を抱えて笑われては、さすがに恥ずかしくなってくる。

 私がじとっとした目つきをしていると、少年は「ごめんごめん」と言いながら何とか笑いを収めている。


 ……瞳が涙で潤んでいる気がするが、まぁ見逃してあげましょう。


「それでさ。さっきの赤黒いのとか、黄金色のやつとかって何?」

「さぁ……実は私もよく分からなくて」

「は?」


(あ、睨まれた。調子が戻ってきた?)


 でも本当に、誤魔化すつもりではなくて私もよく知らないのだ。

 というのも神官長によると、ひかりの粒を飛ばしながら治癒魔法を使う聖女は今までの記録上は居なかったそうだから。


「あなたの痛みを私が一時的に受け取って、それを治ってねってパワーで返しているのかなぁと個人的には思っているわ! でも本当によく知らなくて……」


 さすがに怪しすぎる? と思いつつ必死に身振り手振りに説明すると。

 少年は私の顔をじーっと、食い入るように見つめていた。


「なぁ……アンタってもしかして本当に……」

「ん? なあに?」

「いや……何でもない」


 少年は「まさかな」と呟きながら首を横に振った。


 そしてそろそろ出立しよう、と私は気合いを入れ直していた。

 なぜならこれからあと九人……いや、朝夕食事つきを望むのであれば、二十九人を治癒しなくてはならないからだ。


(まだまだ先は長いわ!)


「では私はこれで。また怪我をしたら……いえ、怪我はしないに限るけど、おでこをぶったり膝をすりむいたりしたら気軽に呼んでちょうだい」

「呼ぶってどうやって?」

「しばらく王都に居る予定だから!」


 アレックス殿下は国を出てけ、みたいなことを言ってた気もするけど、私には本当にお金が無い。

 しばらくは治癒魔法でお金稼ぎに徹して、資金が貯まったら船で隣国に渡る――というのが理想だと思う。


 私の返事を聞いた少年は、何か考え込むように顎に手をやっていた。

 それから――私を見上げると、少し緊張したような、上擦った声で言い放った。


「それなら、オレと金稼ぎしない?」


(…………へ?)



 私は思わず目をぱちくりとさせた。



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