繰り返される歴史の中に消える罪
「その装置は、起動してはいけない」
低い声が、青い世界に響く。
「……二宮、先輩?」
聞き覚えのある声に、刹那はつい反応する。
二宮は一直線に刹那の近くまで来ると、強く抱き寄せた。
「な、何を!?」
「この実験は、何らかの歴史的特異点の要素がある」
二宮は先ほどよりも視線を強めて周囲を観察している。一人一人、自身と同じ素養を持つ物を外側から吟味しているようである。
「結局、装置の完成を阻止することも教授に装置への興味をうばうことも、君がこのゼミから遠ざけることも、……他の観測者の関与も探ることはできなかった」
「ちょ、ちょっと先輩! どういうことなんですか!」
刹那は、なんとかもがいて二宮の拘束から上半身だけ自由になる。だが、その場から離れる許可までは出なかった。
「この実験は失敗する。理由は不明だ。起動後に時間軸フレアが起こり、それぞれの平行時間軸がブラックホールを中心に吸い寄せられ、癒着しようとする。だが、平行世界は自身らが交錯しないようにと、時間軸歪曲が発生する前まで歴史が巻き戻されることになっている」
「時間軸、フレア?」
「装置が発生するブラックホールの重力操作は、途中から制御ができなくなる。一定の精度を超えて研磨された人工ダイヤが重力の屈折率を、装置が制御しうる出力を遥かに超えて発生させてしまうんだ。彼の技術力の賜物なんだろうが、いくら歴史を変えてもあの精度を落とすことはできなかった」
二宮は、
刹那はそんな顔をする二宮を初めて見た。
「歴史を、変える?」
何とか話を理解しようと、刹那は二宮の話を反芻するが、理解できたのはその部分のみだった。
「君はこの事故に巻き込まれる。まだ『観測者』として未熟な君は
二宮はまた、刹那がここに来た時のように注意深く周りを見る。
「明らかに、今回は介入者がいる。」
刹那は、その言葉を聞いて背筋から血の気が引いた。
ただでさえ自身がどんな状況にあるのかを理解できていないのに、これ以上の恐怖は無かった。
だが、次に耳に届いた声は、彼女の予想をさらに超えていった。
「貴方には悪いんだけど、もうこれで終わりにしたいの」
女性の声。
聞き覚えのある声。
「……君は確か、九重くんの」
声の主は、すっと席を立った。抱えたものを、大事そうに抱きしめながら。
「八尾望…… 今は結婚して、和野望と申します」
女性は恭しく二宮に一礼する。いつもと違う、どこか彼女と違う響きを持つ態度と声。二人の様子が普段と違うことを、刹那は今でも受け入れられないでいた。
「彼女に分かるように、説明してやってくれないか」
「……まず、私の
それを聞いた二宮は、腕の刹那を差し置いて飛び出しそうになるが、その重みを感じて踏みとどまり、小さく深呼吸する。
「わかった…… 続けてくれ」
「今は二宮さんの観測によって、二つの平行世界はブラックホールに飲み込まれる少し前の状態で固定されています。刹那の観測も相まって、私たちは3.2~3.8次元の間を行ったり来たりしている状態で固定されています」
「望……? 何を言ってるの?」
「刹那。あなたは観測対象を正規の次元から少しずらして、対象を詳細に観測するための独自の時間軸を作るチカラがあるの。だけど、その出力が安定せず、時々暴走する事があったと思う」
「そのたび、ぼくが彼女を助けていた。だから以前よりは時間軸のブレは少なくなってきていたはずだ」
二宮の介入に、望は笑顔で返事をする。
「ええ。だけど、特異点となる装置の暴走は変わらずこのタイミングで完成し、修正のための巻き戻しを止めることはできない」
「お前じゃないのか!」
今にも飛びかかりそうな二宮を、今度は逆に刹那が止めに入った。
「先輩! もう少し話を聞いてみましょう?」
「……最初は、装置の実験結果が特異点となった原因は刹那の暴走にあると思っていたわ。私は結構前からこの特異点を観察していたんだけど、どうも腑に落ちない点が多かった。だから、私は判断材料が少ない間刹那をずっと観測していたの」
「刹那は暴走などしない。特異点は装置だ。巻き込まれて、ずっと来ない未来を待ち続けている」
二宮は、刹那を抱く腕に力を込める。
「あなたが私のいる時間軸上で起こる
「俺のチカラはせいぜい『
「なら、装置起動の際に起こる『
二宮は、それを聞いてさらに腕に力を込める。
「……刹那」
優しく望が刹那の名前を呼ぶ。
「あなたは、装置の起動に際してあなたの中に眠る観測者としての能力が本格的に目覚めるの。それは、『時間軸の細分化』ともいえるチカラ。僅かな時間、それこそ刹那の時間に生まれる平行世界の全てを観測することができるもの。そして、そのチカラと教授の装置…… 重力波による多重平行世界の接続が起こり、情報量が天文学的に増えてしまった結果、無限に近い数の平行世界同士が混ざり合おうとしてしまう」
「どういうこと? 平行世界は本線と予備の二本だけでしょう?」
「教授に教わったでしょう? 分岐の分だけ、人の数だけ、平行世界はある。そして、それらは時間と共に収束していき、最後にはふたつになる。本来あの装置で観測できる平行世界はせいぜい四、五本程度の世界だけだったろうけど、あなたの能力の目覚めと共にそうならなくなってしまう」
刹那は愕然とした。
いくら自分が知らなかったこととはいえ、自分が望を、二宮を困らせていた、苦しめていたという事実を、分からないなりに理解したからだ。
「あ…… あ……!」
「彼女は関係ない! 他の観測者の関与がある! こんなタイミングで九重くんだけが原因となるはずはない!」
二宮は声を荒げる。その声に同調してか、周囲の青さに揺らぎが生じる。
「……あなたのチカラも、限界が来ているようね」
二宮の額から大粒の汗が流れる。刹那の目から見ても疲労が溜まっているのが理解できた。
「でも、大丈夫。そうならないための最後のピース。私は見つけたから」
望は、そう言ってにこりと笑顔を作った。
今まで見てきた彼女の笑顔と違い、明らかに何かを決意した苦々しい笑顔であることを、刹那のみが理解することができた。
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