結末は新たな世界の始まり

交わり、繋がり、ほつれ、混じる

 重力波観測装置の正式稼働は、予定より大きな修正を余儀なくされた。

 理由は不明だが、テストで出た値が一日経過するごとに大きく変化し、安定した計測結果を得ることができなかったからだ。

 そこら辺の大学が行う実験であれば誤差として片づけることもできたかもしれないが、この装置で扱うのは曲がりなりにも『重力』であり、『ブラックホール』に近いものだ。扱いを間違えるとクレーターができる。

 ……というのが一之瀬教授の弁だ。

 もちろんそれだけ重要な実験であり、満足な計測結果が出ないのは困る。そういう意味合いが強いものなのだから、正式に稼働させるまでに十分な予備実験を重ねるのは仕方がないことなのだろう。

 ともあれ、八尾望改め数野望考案の装置は、一年半という長い年月を経てようやく公開実験が行われる手筈となった。

「……」

 浮かれるゼミ生の多い中、神妙な面持ちで特別実験室にて装置を睨み付ける者がいた。

 二宮零一、その人である。

 彼は誰よりも早く実験室に入り、あとから入って来たゼミ生をまるで誰かを探しているかのように一人一人睨み付けた。ほぼ全員が入り終えた頃、装置からもっとも遠い場所に陣取ってからは微動だにしない。

 この行動に九重刹那も何事かと近くによって問いただすも、珍しく不機嫌を続ける二宮に辟易し、珍しく少し離れて席に着いた。

「ごめん、遅くなった!」

 そんな折、主役の一人とも言える八尾改め和野望が入室してきた。

「望、遅かった…… なに、それ」

 最近めっきり登校するのを見なくなった親友の姿が普段と違い、見慣れないコブを抱いているのに九重は気がついた。

「あ、これ? そりゃ勝手にとってきたりはしないよ。私の」

 言いながらコブを九重の前へと差し出す。そこには、産まれたばかりの赤ん坊がスヤスヤと寝息を立てていた。

「まさか最近大学に来なかったのって……」

「うん。ダンナ様に止められて。先週ようやく退院したとこ。……かわいいでしょ」

 だっこする? と聞こうとした望を十六夜が先を切る。力ずくではないものの、相当な誘導によって望は近くの椅子に座らされた。『動くな』と言うことなのだろう。

 望自身もそれには従い、ようやく全員が席に着いた形になった。




 ほどなくして一ノ瀬教授が入室し、実験室に不思議な緊張感が張りつめる。

 数秒後のチャイムの音で、ざわついた室内は途端に空気の振動を抑制され、静寂に包まれた。

「では、今日は待ちに待った実験を開始する。何の実験かはもう周知であるが、まずは明確にしておこうと思う」

 沈黙を破ったのは、もちろん教授の声だ。

「もう何度か極小規模の実験で成功している事象ではあるが、今日は本格的に実証実験を開始していくつもりの今回の内容を、簡単に説明する」

 教授は事前に用意していた資料を背後の巨大モニタに映し出した。そこには、教授が普段から口にしている『平行世界パラレルワールドの存在モデル』である日本の線が3Dで映し出され、リアルタイムで螺旋を描きながら右から左へと移動している様子が表示されていた。

「普段から皆には口で表現していた『平行世界』は、常に時間軸を同速度で移動し、お互いの世界同士は着かず離れずの螺旋を描きながら進んでいる」

 アニメーションは、くるくると赤い線と青い線が等間隔の距離を保ちつつ移動している。

「既に観測実験はある程度進んではいるが、これは残念ながら『観測可能な感覚器官を持つごく少数の体験者』の言葉が頼りであり、科学実験における『第三者による結果の再現性』に乏しい。これは、例えば一キロ先にある物体の形状を確認できるかできないかの差に近く、それ相応の機器を用いることで双方の差を埋めるなどの観測機能の均一化が必要である」

 教授がコンソールを操作すると、モニタにあった螺旋の動きが停止し、アニメーション画面の中央に黒い点が発生した。

「分かりやすいように言うと、双方の平行世界はとても一般人には見えない隔たりがあり、観測者はそれを無視して平行世界を覗き見る器官が備わっているとも言える。ならば、それが見える位置まで、双方の世界を近くに寄せればよい、と考えた」

 教授はさらにコンソールを操作する。ゆっくりと世界の螺旋が再度動き始めるが、その動きが先ほどよりも規則性を失い、まるで黒い点に引き寄せられるような角度を持ち始め、やがて黒い点に到達すると同時に停止した。

「表現は正確ではないが、この双方の世界の間にブラックホールを生成し、二つの世界の感覚を限りなくゼロにする。そうすることで常人にも平行世界が観測できる環境を作る。それを実現させるのが、この装置ということだ」

 停止したアニメーションの黒い点が拡大されていく。そこには、先ほどよりも高密度でやはり螺旋運動をする赤と青の線が表示されていた。

「気を付けてほしいのは、この観測を行うことができるのはせいぜい一人か二人。それ以上の人間が観測できるレベルにまでブラックホールを拡張するには機材が小さすぎる。ということで、栄えある最初の観測者を選びだしたい」

(私…… ではダメね)

 刹那は無言でモニタから視線を外し、周囲を観察する。

 自分は『観測できる側』の人間である。あの青い世界が果たしてどんな場所なのかは言葉に変えることはできないが、少なくともあの黒い点の近くであることは自身の感覚が告げていた。ならば、自分がその装置を使わなくとも観測者側であるという自覚を持っているとしてもおかしくはない。そこまでは考えに至っていた。

 となると、誰が望ましいのか。

 それが気になって、自然と他の学生へと興味が湧き、視線が周囲を彷徨った。

 だがそれは、意外な人物が名乗りを上げることで停止させられた。

 いや、停止した方が早かったかもしれない。

 世界は、また刹那自身の思いとは関係のないタイミングで、青く、静かな空間へと誘われた。

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