ありえない常識とあるべき矛盾
水は、高いところから低いところへと流れる。
低いところとは、すなわち重力が強く働く方向である。
よって、低いところから高いところへは流れることはない。
それは、すべての地点において重力が一定であることが大前提である。
高い、とか低い、とかは何か。
それを定義するのは何なのか。
実験においてすべてが同じ条件の上で行われてこそ正しい推論は生まれ、実験は収束する。
例外があるとすれば、それは「時間」において他ならない。
「テストプレイは良好ですよ」
和野君は数日前に完成した実験室の出来栄えを私に披露して見せてくれていた。
部屋の中央に設置された装置は、下手をすればノーベル賞も夢ではない機能をついに実現して見せた。簡単に言えば、いわゆる「ブラックホール生成装置」だ。
地球上において重力を操作するのは簡単なことではない。抗う方法としては色々なものが存在するが、重力そのものを変化させるものはまだ存在していない。それは重力がどのようなものかを説明することができないのと、重力波がどのように物体に作用しているかを観測・証明できていないからに尽きる。
これらの実験をあえて重力の影響下である地球上で行うことはナンセンスだが、いち大学の授業程度で無重力下の実験場を提供できる機関など存在しない。よって、地球の重力を考慮しつつ重力波の測定を行うには、この星の持つ重力以外の重力波を発生させる必要があるというわけだ。
そして、地球の重力以外で重力波が発生したかを観測するには、特殊な方式で投影される可視光線が必要になる。発生させたブラックホールに吸い込まれるのを観測できるほどに速度を調整されたレーザ光だ。地球と同じだけの縮尺にすると相当量の加速が必要なのだが、流石の私ですらその技術を聞いても理解ができない内容だった。モチはモチ屋ということなのだろう、ということで適当に聞き流した。
「気になるのは、核になる人工ダイヤの強度です。じっくりと観察できるほどの時間はありません。せいぜい十秒程度が限界と思われます」
「自重に耐えられる物質は地球上に無かろう。それにもし空間圧縮がそれ以上続いてしまった場合に周りが耐えられるとは思えない。すぐに我々も取り込まれてしまうだろうし、逆にそれくらいがちょうどいい」
要は、光が真空中で重力によって捻じ曲がる様を見れればいい。反転した先に平行世界があるなら、私の理想にまた近づくのだから。
「実際作っていて思ったんですが、仮にこれらの機器が正常作動したとしても、計測できる重力波からのレーザ光の屈折はせいぜい0.1ナノメートルも曲がりませんよ?」
「曲がったという事実を観測できればいい。どれ程曲がったか、などはあまり重要ではないからな」
そんなものかな、と和野君は考えているだろう。
現実問題そんな機材が完成しようものなら、人類は新しいステージに移行するだろう。人工ブラックホール発生装置…… これはその三歩ほど手前の技術が集められている。
「はあ、そんなもんですか」
彼はいい意味で仕事の虫で、悪い意味で技術者として興味が無さ過ぎた。残りの数カ所の点検を終えると、私は彼の左手薬指に光るものを見つけた。
「お、それが例の指輪かい?」
先日、うちのゼミ生の一人が婚約したと報告してくれた。相手を聞くと彼だという。いや、若いというのは羨ましい。私のパートナーは、今や時間だけだというのに。
「ええ。彼女の押しに負けてしまいまして。……いや、その言い方は卑怯ですね。自分も彼女を大切にしたいと思ったから」
プラチナシルバーの指輪が誇らしげに薬指に輝く。彼が仕事のこと以外で雄弁に語るのは珍しいことだ。在学中もそんなに話をした記憶はない。
「大事にしたまえ。一生ものだからね」
そんな会話をしながら、彼は後日行う予定の実験の実施日までの点検項目を確認したのち、帰っていった。
平行世界は、平行なのだ。それゆえ、決して交わることは無い。
時間の流れと共にその世界同士は同じ速度で時間軸を移動し、お互いがお互いを観測するがゆえにその進路は直進せず、お互いを追いかける様はまるで遺伝子の螺旋を模した動きで等間隔を保ちつつ回転する。
だが、それらは光に似た動きをするのではないかと仮定し、お互いを何らかの形で観測することができるものがいたとしたら。
それ自体が影響を与え合う行動になりえるとしたら。
私がするこれからの実験自体も、世界に影響をおよぼすのではないかという興奮を抑えることができない。そしてその興奮は、きっとあの並行世界側にいるはずであろう私も抱いているものに違いない。
そして何より、その現実は恐らく確定した未来であり、過去にするべき技術であり、避けられぬ歴史として起こる事であろう。
かつて、そしていずれ、起こるべき過去として。起こりえた未来として。
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